第四十六話「グロッド」
陽が照りつく中、ヴァイケルと騎馬隊がアズライア軍の中央軍に対峙していた。しかし戦力差は歴然でヴァイケル隊は二百弱、対する中央軍は一万。押しつぶされるのに一分もかからないだろう。
ヴァイケルの馬に近づく黒衣の男が黒犬を模した面当を上に跳ね上げた。
「ヴァイケル殿、整いましたが本気ですか?」
「軽く撫でてくるだけだから、本気ではないな」
「ああ、もうやる前提で話が進むんですね。二百で本当にいいんですかい?砦の方からもっと呼びますが?」
「二百だからこそいいんだ。お前の人選に疑いはないしな。下手に多いと右翼、左翼が動いて逃げ場を失う。だが二百に攻められて、指揮官は応援要請なんぞ出そうものならもう戦場に立てないほどの生き恥だ。イサムラ、今回はなるべく人死は出すなよ。敵にもだ」
「そんな無茶言わんでください。と言ってもいつもの事ですが」
「牧羊犬はどうだ?」
「まあ大丈夫でしょう。それより馬鹿が約束の話は大丈夫か心配してましたが」
「ふむ、キラデラ!」
呼ばれた大男は大盾を背負い、巨大な斧を地面をえぐりながら引きずっていた。
「たいしよおおおう、やろうぜえ。今度こそオレが大将を殺してやる!」
「今回は遠慮しとく、ちと先約があってな」
「話がちげえ!今から殺す!」
「まあ、まて。俺の代わりに死をくれてやる奴を紹介しよう」
「俺を殺せるやつか?」
「ああ」
キラデラは雄叫びを上げる。
近くにいた兵士の金属装備がびりびりと震える。二百メートル先の敵軍にも動揺する動きが見えた。
「おい、あれオーガじゃねぇか?」
「ああ、まずいのがいるな」
「五年前は一緒に肩を並べて戦ったが……今日は敵か」
「よりによって俺等と当たるのかよ」
アズライアの兵士達は少数相手と見て楽観的な雰囲気から空気が変わる。負けはしないだろう。だが目の前の生ける伝説の斧が自分迄届かない保証はない。視界に入った者は鏖殺される以外の結果はなかった。
「あーあ、ビビらせちまった。最近はまともにやり合ってくれる奴が居なくて逃げられてばかりだ」
「今回は殺すなよ。一人もだ。おっと吠えるな」
「俺がここにいる意味をわかってるだろ!」
「さっきも言ったが最高の相手を用意してやるよ。そいつは俺より強い」
「くちっ」
「フロラル、風邪?」
「いいえアイリちゅ、はにゃが、ううん、くちゅりはいいわ。エーテルがじゃわちゅくの……くちっ!」
フロラルは二度目のくしゃみをした後、お茶を入れ直した。
「大将よりか!そいつは楽しみだ」
辺りはざわめき「グロッドより強いとかあり得るのか」と言葉の端々に疑問があがる。
「いいか、お前ら、今回は戦じゃない。ただの遊びだ。命を落とすな、命を奪うな。それ以外は好きにやれ。あと一時間くらい後で花火が上がるがそれを合図に後方に引け。目印が置いてある。そこでヴォーガン砦を仕掛ける」
その言葉を聞いて犬たちは盾を上に掲げ、各々の獲物で叩く。
「オゥ!ウォウ!」
「アオオオオオ!」
牧羊犬達の雄叫びが平原に響き渡り、草葉に潜んでいた鳥たちが一斉に飛び立っていく。
またもやアズライア軍に波が生じた。
「おいおい、あれ魔犬だぞ?」
「じゃあグロッドもハンドラーもいるじゃないか!なんで英雄とクォーターランドの三厄災が全部揃ってるんだ!」
ヴァイケルも慣例に付き合い、黒いフェイスペイントを施し頬に白い牙、左眼を切り裂く赤色三本線。グロッドの戦化粧の出で立ちで現れた。全身はかつて存在したクォーターランドの伝統的な装備で、黒毛皮であしらった皮装備と鎖帷子、肩回りには狼の毛皮。まさしく伝説の降臨だった。
「グロッド!グロッド!」
「グロオオオオッドォォォ!」
雄叫びは最高潮となり、ヴァイケルも両手を上げ遠吠えをする。
士気を上げる天才だな、と遠目からイサムラがほくそ笑む。
「我らも配置につくぞ。左右の犬どもを走らせすぎるな。今回はちいっとばっかり数が多い。だが勝たなくていいから気楽に行け。そら犬笛を吹けえ!」
それを合図に鏑矢が放たれた。赤い煙の尾を引きながら彼我の間に矢が突き刺さる。煙が視界を遮り多くの兵は前方すら定かではなくなった。
アズライア軍指揮官の目に映ったのは赤色の煙の中に浮かぶ人影だった。
「ライフル隊、構え!」
煙の中から巨大な顔が現れた。
「てぇぇっ!」
二百丁を超えるライフルが火を放つ。だが聞こえるのは敵の悲鳴や怒号じゃなく、連続した甲高い金属音だった。煙の中から現れたのは、先住民族の顔や悪霊が描かれた巨大な盾。携行するサイズではない。それらの盾は二人で動かす手押し台車の上に設置されていた。そのサイズは高さ二メートル、幅八十センチ、厚さ二センチを超える、最早、金属の塊だった。隣り合った盾とは鎖で繋がれ、盾の両サイドの穴には本来槍が設置されるが、今回は金属の棒が差し込まれていた。
「押せええええ!」
彼らはそれらを盾車と呼び、防御、突撃、と戦術に合わせて運用していた。
アズライア軍の方陣は縦四列に分けられ前方より、アルファ、ベータ、ガンマ、シータと呼ばれる。後方寄りに位置するガンマの兵たちが前方からの圧力を感じた。
「お、おい、下がるなよ。隊列維持しろ」
「いや、前が下がってくるんだよ」
「まさか押されてるのか?相手は二百だぞ!」
様子を見ようと前列の頭の隙間から前方を伺う。頭上から光るものが落ちてきたかと思うとライフルの銃刀に騎兵の帽子が引っ掛かる。それはアズライア軍のものだった。
百人隊の指揮官が色めき立ち「来るぞ、構え!」と号令をかけるが、待機横列では銃も構えられず、出来たとしても視界には味方しか見えなかった。
「指揮官は素人か!」とベテラン兵が叫ぶ。腰の刺突剣を抜き、地面に向けて構える。突如、前の兵の頭が横に吹き飛ぶのを他人事のように目で追った。
「邪魔しねえなら殺しやしねえ」とキラデラは、にぃと笑い、叫びながら剣で突き刺そうとする兵の手を、柄ごと握り潰した。
「おっと、殺してねえからセーフだな」
「少数の敵に何をやってる!」
指揮官なりたての男はキラデラから後ずさりしながら叫ぶが、既に周りから味方が消えていた。
「計算もできねえのか。俺等、一騎当千で二百だぞ。ならば二万だ!」
「げはは、隊長、桁違ってますぜ!」
「おりょ、二千か?まあ関係ねぇわな。コイツラじゃ二千でも十分だ」
アズライア中央軍は縦に割かれ正面突破を許したが、右翼、左翼軍は煙幕により戦況の把握はできていなかった。阿鼻叫喚の叫び声は敵兵のものであり、大軍による圧殺以外の光景は想像できずにいる。大軍に石を投げ込んだところで何が変わるのかと多くの者が思っていた。
中央軍最後方の大隊の前列にズールが前方の様子を見ていた。眼前には、あちらこちらで煙が立ち込め状況判断すら難しい。軍の大きさが逆に足枷となっていた。
「敵にすると厄介だな」
ヴァイケルの配下達を置いてきた判断に間違いない。離反が確実な兵たちを喉に刺さった小骨程度にしか見ておらず、なら先に抜いておいた方が良いと判断したからだ。こうして見るとヴァイケルの光が強すぎて周りの者の影が薄くなっていただけだったと今更ながらに思う。以前の戦いでは彼らの死亡率は僅か三%ほどと聞いた。報告する者は皆、口々に「ヴァイケル様の傍で戦えば死ぬことの方が難しいでしょう」と誰もが同じ言葉を使う。
それもそうだ、彼は今まで味方だったのだ。戦の英雄の凱旋を煌びやかに彩るのは当然だった。
「ファラス、今回、我らに正義はないぞ」と分かっていたことを口にする。ズールは振り返り、背後の兵士たちを見た。かつての戦友たちに向ける銃と剣を持つ事の苦悩と躊躇いの表情。
戦場には空気がある。殺気や恐怖、高まる高揚と熱。だが今回は違う。前進命令に躊躇い、後退には戦好きな連中すら素直に従う。七万にも上る兵がヴァイケル一人の為に委縮しているのだ。過去最低な士気の有様だった。英雄とはそういう空気を生み出す存在なのだと歯噛みせざるを得ない。
「たった二百だぞ」
今回の戦場で一番多く使われた言葉をズールは吐き捨てるでもなく、ただ呟いた。
後世には「二百の遠吠えに七万の後ずさり」と故事になるこの戦は既に結果は見えていた。城を陥落しても勝ちにはならない。もう負けているのだ。
「これではどっちが反乱軍なのかわからんな」
兵と兵の間を駆ける早馬の姿を見つけ、誰に言うでもなく出た言葉を置いてズールは前に出た。兵士が来た方向は前からではなく、後方からだった事にネフィルからの伝令だろうと馬を寄せていく。
「閣下、火急ゆえ失礼します!」
「かまわん、何事だ」
「ネフィル軍、接敵しました。延いては援軍を要請します」
「敵? あやつはなんと戦っておるのだ! 恐れすぎて幻覚でも見ておるのか!」
「バシュタットであります!」
ズールの怒りが困惑に変わる。
「バシュタットだと?」
「はい、しかも、火蜥蜴の強襲を受けたとの事」
バシュタットの虎の子部隊が何故ここに? 疑問しか浮かばない内容だが真実なら置いておけず対応するしかないと伝令兵を呼ぶ。
「右翼にネフィルの元に行かせよ、そうだ、全部だ。左翼の半分を右翼の穴に置け」
二人の伝令兵が復唱しそれぞれの方向へと馬に乗り駆けていった。
ズールの背後にざわめきが起き何事かと振り返ると、溜息をついて首を振った。
「ヴァイケル様だ」と若い兵士が畏敬の目でその背を追う。
「久しいな、ヴァイケル。その格好もな」
「あなたも。アズライア公」とヴァイケルは小さく頭を下げた。
ズールは馬から降りて、最高の栄誉を持つ古くからの友人と対峙する。




