第四十話「やっぱり来てくれた」
フロラルとアイリスは地面に置いた目印に、土煙を上げて地表を滑りながら駆け込む。アイリスは行き過ぎた目標に反転しながら叫ぶ。
「障壁展開!コードはラフレシアの花弁!」
微かな振動が体に伝わり展開の完了を知らせる。
暴風と飛石が二人を突き抜ける寸前に何かに阻まれ半球上に滑り去っていく。
「ぎっりぎりだったね」
フロラルは息を切らしながら、地面に足を投げ出した。その背にアイリスがもたれかかり「死んじゃうかと」と途切れ途切れに呟く。息が落ち着くと二人は空を見上げる。
紫色の雲が先程の洞穴を中心に外側へと波打つように流れていく。中心の空には暗雲が立ち込め巨大な積乱雲となっていた。時折、雷が雲間を走り抜けると、雷鳴が遅れてやってきた。
「おかしい」と目を細めアイリスは訝しむ。
「どうしたの?」
「計算じゃグラッドとシャイネリアの干渉波は対消滅するはずだったの。どちらかが遅れているみたい。もしこのまま三回とも起きれば次元断裂かも」
「それって?」
「この星消えちゃう」
スケールの大きな話にフロラルは笑うしかなかった。
「消えちゃうかー。ま、大丈夫」
「また根拠のない自信」
「根拠ならある。双樹様とお姫様だよ?」
「あー。なるほど」
「じゃあお茶の準備しよ」
アイリスは相方の毎度な呑気さに苦笑しながら腰を上げた。
「なんだかメイド、楽しくなってきちゃった」
「フロラルはホント、簡単に出来てる」
「なにお!」
「芳茶? 黒豆?」
「午後は黒豆にしましょう。パウンドケーキの種、昨晩寝かせてたの」
「やはり簡単」
「なにお!」
アイリスは手を止め島の中心の方角を見る。
「お気をつけて。皆様」
そんな心配そうな表情のアイリスの横に並び立ちフロラルも軽く会釈をする。
「お茶を入れてお待ちしております、御主人様」
精霊界と現実世界の混ざり合った混濁の世界、通常「狭間」は三人分の大量のマナが質量を伴う勢いでゆっくりと渦巻いていた。漆黒の空間に光、風の靑、空の白がお互いを求めるように絡み合い、混ざり合い、そして分離していく。時間と位置は概念でしかなく、自分の他にも別の自分の意識が飛び交い認識し合う感覚が、吐き気を催した。
「シャイニー、シーラ!」
呼び声に答える返事はなく、グラディアスはこの事態を理解すべく言葉にして思考する。そうでもしないと頭に流れてくる自分の思考がエコーとなって意識が刈られそうになった。
「時間は意識していないと止まったまま。だから操作できるが過去にはいけない。位置は動かせる。故に同時に自分が存在してしまうから、これも時間と同じで意識で集合できる」
故郷の家を思い浮かべる。暖炉の前のロッキングチェアに座るイメージ。事実、目の前に存在を始め手で触れることもできた。周りを見渡すと懐かしい我が家そのものだった。
「よし、固定できた。精霊の呼び出しは歌?」
いつもの歌を奏でても反応はない。
「たしか契約方法は人それぞれに違うと聞いてたけど、どうしたものか」
椅子に座り体を委ねると木材の軋む音を立てながら揺れ始める。視界の端にあったサイドテーブルの上に分厚い古い本があった。タイトルはない。
「見たことがない装丁ということは僕の記憶じゃない。誰かの記憶? ああ、ロータス、君か」
本は突然開きページが次々と飛び回り、少しづつ集まっていくと紙で出来た狼となった。
「よく分かったなあ」
紙で出来た顎がかさかさ音を立てながら開閉する。
「違和感有り過ぎてね。これも試練?」
「まだだよ」
「ふむ。他の二人は?」
「いるよ。気づいてると思うけど、傍にもいるし、一億キロ彼方にもいる。ただし現実世界側の体は位相は違っても位置は変わってないから気をつけて」
「このまま契約すると他の二人はどうなる?」
「それは大丈夫。質量は此方側にあるから」
「存在は向こうにあるのに?」
「グラッドも知ってるじゃないか。今君らは僕らと同じ存在なのさ」
「そういうことか。分かりやすい説明ありがとう」
「さて、契約始める?」
「いや、他の二人のタイミングを見ないと。三人同時に魂結びの歴史はあるかい?」
「んーないね。二人までなら。君らも知ってる対消滅を実証した二人の魔道士夫婦の時だね」
「あの本は事実だったのか。理論だけかと」
「え?君らそんな曖昧な計画でやろうとしたの?」
「失うものは無いからね」
「いや、この星が。まあグラッドは昔からそうだった。姫様以外どうでもいいからなあ」
「ま、まあ、うん」
「ん? どうしたの。顔が赤いよ」
事の顛末を話すと紙の狼は飛び跳ねて喜んだ。
「良かった良かった。とはいかないや」
「なんで?」
グラディアスの体に微かな振動が伝わると、ロータスが叫ぶ。
「伏せて!意識を石に変える感じで!」
グラディアスはバウンドする床にしがみつき、つい浮遊の詠唱を始めたが効果は発揮せず幾度となく床に叩きつけられる。次第に大きな落差から波に乗った船のように緩やかな上下運動に変わった。
「シャイニー危なかったみたい。エーンヴァルーが強制介入で契約終わらせたって言ってる。魂の死寸前だったんだって」
グラディアスは長いため息をついた。目には涙を溜め「よかった」と涙声で囁く。
「ロータス、シーラの所に行けるかい」
「僕は大丈夫だけど、グラッドは……止めても無駄だよね」
「受肉完了までどれくらい?」
「一時間で現実世界」に降りるかな。同時にシャイニーの体も実体化するよ」
「対消滅の衝撃は?」
「ある。多分、受肉後の体は持たないし、シャイニーも砕ける。範囲は狭いけどそれなりにはあるんだ」
グラディアスは寂しそうな顔をする、紙の狼の頭を撫でた。
「ロータス、対消滅の経験があるんだね。もしかしてレンブラント夫妻の逸話は君なのかい?」
「忘れたよ」
ロータスは撫でる手に頭を摺り寄せる。
「さあ急ごう」
「真っ直ぐだなあ」
「シーラは笑っていないと駄目なんだ。だから全部、上手くやり遂げないとね」
「そっか。覚悟はいい?」
「ああ」
「じゃあ行くよ。死ぬほど痛いから正気を保っていてね」
「え?」
紙の狼が燃え上がると金色の狼が現れ、グラディアスの襟に噛みつく。
「はあ、いくほ」とはっきりしない言葉の後、駆け出した。
闇の中、光の箒星が燃え盛りながら飛翔する。時折、急な左右へのステップでグラディアスの体も左右に大きく振られた。
「ロー、タ、ま、だ、心、準備が」
ロータスに咥えられたグラディアスは距離の概念がないこの狭間で走る理由を確認したかったが、それどころではない。意識が肉体から剝がされそうになるたびに激痛が襲い掛かる。先程の故郷の部屋と同じ要領でいけるんではないかと、意識をロータスの背に乗り体を伏せるイメージにする。思い通りに上手くいったが、痛みは依然襲ってくる。その感覚と間隔に違和感を感じカウントを取った。
左三秒、右二秒、左三秒、左一秒、そしてロータスの呟き。
「そうか、儀式陣のコピーか」と腑に落ちて体は動きに委ね、精神は魔法陣をなぞっていく。ルーンルーンディースが描いた魔法儀式陣ならなんとなく覚えていた。あの緻密さ、大きさ、一時間で終わるのだろうかと不安になるが、ロータスはこうみえて現実主義なのを思い出し、出来ないことをやる精霊でもなかった。
「最後が問題かな」
「さすがはグラッド、気付いたね」
儀式陣の重ね。位置の概念がないこの世界にしかできない手段。
完成する瞬間の衝撃は凄まじいものになる、とロータスは説明する。
「飛び込む僕はともかく、飛び込まれるシーラの方に影響は?」
「大丈夫。存在の転移と変位、そして変移はこちら側だけ」
背に乗るグラッドに不敵にほほ笑む。
「あと十秒で終わるよ。死ぬ覚悟は?」
「馬鹿いえよ、そんな気、毛頭ない」
「さ、グラッドのお姫さん、いや奥さんになる人を助けに!」
「気が早」
グラディアスの意識が刈り取られたのは痛みを感じる直前だったのが幸いした。ロータスと引き剝がされあるはずのない地表を体が滑っていく。
晴天の空に、ゆっくりと流れる雲。風に揺れる草原。その草陰からシーラが顔を覗かせた。
意識を失ったグラディアスにシーラがおそるおそる近寄っていく。
「グラッド?」
シーラは慌ててグラディアスを抱き起こした。
「頭を打ったのかな!? ゆすっちゃダメかな!? は! これはキスで起きる、パターン、なの?」
動揺するシーラはとりとめない思考を張り巡らし狼狽していたがグラディアスの目覚めにほっとした。
「やあ。無事だあいててってってててってて!まじかああああ、いてえええええええええ!」
「だから言ったじゃん、死ぬほど痛いって」
「ロ、ロータスちゃんどうしよう、グラッド死んじゃう!」
「死ぬほど、だから別に死なないよ、シーラ姉ちゃん。たぶん」
「たぶんってなに!? 怖いこと言わないで!」
「ほら、位相が同位してきた。馴染んできたから、もう大丈夫」
「よかったぁ」
シーラは膝枕をしている荒い息のグラディアスの顔に掛かった前髪を払う。
「やっぱり来てくれた」
「当り前、じゃないか」
「さっきの地震みたいなのは?」
「シャイニーが契約を終わらせた」
危険だったことは告げずに、微笑んでそう伝える。
「あー、だから私の所に?」
「もう計画がぐだぐだだよ。グラッド様のおも、あいて」
膝枕から降ろされたグラディアスの言葉はシーラの口づけで止められる。覆いかぶさったシーラの閉じた目から涙が零れ落ちた。唇が離れた瞬間、シーラに笑みがこぼれた。
「怖かった、けど。信じてた。ありがとう、です」
「どういたしまして、お姫様」
グラディアスはシーラの頬に手をあて再度、唇を重ねる。
「いちゃついてるところ悪いけどさぁ、時間ないよ?」
ロータスの声にびくりとし、シーラは赤面した。慌てて体を起こし、グラディアスの背に隠れる。
「あ、あとどれくらいだ」
「んー余波を考慮して五分」
「まじか! ニアは何処だ!」
「そこ」
「まじか! 何処だ?」
ロータスの前足がシーラを指す。
「シーラだが?」
「よく見て」
シーラは困った風に小さく笑い、頬を掻く。そして背を向けた。
三歳くらいだろうか、その背に頬を膨らませ眉をしかめながらしがみつく、小さな女の子がいた。
「うぉっぷ。これはどういうことだ、ロータス」
女の子はグラディアスに舌を出してそっぽを向く。
「どうって? ニアだよ。正確にはニアだった女の子」
「うん? どういうこと?」
「ニアは昇華しその肉体にラフィが宿った」
「昇華した!? という事は代替わり? てっきり混じったものかと。という事は人の精霊化?」
「まぁ禁忌な話だから今はよそう、とにかく今はニアの記憶を持つラフィだよ。でも生まれたてだから小さくて力の制御も発露も瞬間しか出せない。まぁそんなこんなで後二分」
「おおい!どうやって、契約を!?」
「あはは、ごめんごめん、もうここに来た時点でほぼ終わり。あとは真名を呼ぶだけだよ。ニアには新しい名前と愛情を」
シーラは背に隠れた女の子を抱くと頬をつついた。
「もう決まってる、です」
ロータスは立ち上がり、金色に輝き始める。
「さぁ、我、いや我らが真名を呼べ、さすれば魂結びて、生も、死も、心も、共に歩まん。未来永劫、縁は紡がれん。さあ、お主らの呼ぶ名はなんなりや!」
グラディアスはシーラの両の手を招き、シーラもそれに答える。
「其の名は」
「ロータス!」
「ヒナ!」




