第三十八話「五里霧中」
ヨグはグラディアスに近づき、腰に携えていた刃渡りの長い小刀を取り出した。後ろ手に縛られたシーラはよろめきながら立ち上がると腰を沈め膝に力を込める。
「おっとエーテルの術は勘弁」
ヨグが腕を振ると地面から蛇が飛びだしシーラの足へと絡みつく。体表が蠢くと蛇はロープへと変化した。
「お姫さん、少し待ってくれ。この坊やは油断ならないからな。慎重に首を切り落とす。うん? 命乞いとか、どうか愛する人の命は助けて!とかないのかな」
「誰があなたに頼みごとをするか!です!」
「そんな顔するなよ、こんな小娘に勃ってきやがった。殺すより先にほとぼりを冷ましとくか?」
「あらあ、それはたった今無理になったわよ。蛇出さなきゃよかったのに」
「何を言っている? そうだな、先ずは小僧を片付ける。うん? 小僧? どこに行きやがった!?」
ヨグは辺りを見回すが倒れていた場所に吐血のような跡はあるが姿が見えない。
「ヨグ、妹の方もいないわよ」
シャイネリアの姿も確認できずに、どういう事だと言わんばかりにヨグは精霊の顔を見る。
「馬鹿な、詠唱なんて聞こえなかったぞ」
シーラの胸元からルーンルーンディースが顔を出す。
「あなた、力は強いかもだけど、おつむは双子たちに及ばないわ」
ヨグは小さな妖精に嘲笑され、歯ぎしりをしながら胸元めがけて蹴り上げようとした。だが体に触れる直前でつま先が止まった。力を入れても動かず、蜂の羽音のようなノイズ音が聞こえてくる。
「次元断層、だと。この魔法、空の精霊の固有魔法だぞ。クランヴィア、お前か?」
「あたしじゃないわよ。そこの精霊がニアに呼びかけたんでしょ。さっき作りかけてた魔法陣が完成してるし」
ヨグは地面に目を凝らす。人が描くには不可能な程、緻密な精霊語で書かれた呪文と幾何学模様の図形と線が入り混じる高度な魔法陣が地中に描かれ、その中心にシーラが横たえていた。
「そこのお嬢さん、半分はもう狭間にいるわよ。加えて言うなら、双子ちゃんたちはあらかじめ儀式陣は作っておいた感じ。男の子が戦闘中に発動条件を固定してたじゃない。条件が細かいほど発動難しくなるけど出が早いのよね。ごめんなさい? よく知ってることだったわね」
クランヴィアは想う。
最近では精霊を使う者同士の戦闘は起きなくなって久しい。騒ぎにならない程度、現実離れしない程度に自重しながら使う者が殆どだ。ヨグは齢五十を超え一方的に民間人を殺してきたが、魔法戦闘に置いては未熟すぎた。双子たちは若いがどれほど多くの研鑽を積み上げたか伺い知れる。おそらく師であるフィールスの指導の賜物だろうが、それ以上に近い将来、王座につくだろう娘への想いが強く、堅牢な城のようにも見える。加えてシーラと、フロラルを始めエーテル使いが多く目覚めているが新たなる時代への変化か、もしくは。ラグナレクの角笛か。
「トリガーはなんだった?」
「貴方の魔法攻撃。濃いほど発動時間短縮。強い貴方のマナを利用するなんて賢いわ」
「魔力吸収だと?何故妨害しなかったんだ」
「位階はニアの方が上なのよ?ここの精霊界側の支配は既にニア。それに貴方には視えていないけどヴォルケイノとステイシスが寝ているから、私ごときじゃ十分な力は発揮できない。貴方の呪文のサポートで精一杯なの。この苦労を分かって欲しいわ。まあ還ってきた直後ならあたしでもいけちゃうけど」
「くそ、待つしかないのか」
「いいえ? あたしは逃げることをお勧めするわ」
「なぜだ。ごちそうは目の前に寝ているぞ」
「確かに光と風、三柱は魅力的。でもあたしだって命は惜しい。まだ昇華できないもの。何故、かは二つの理由。一つは受肉したときの双子の精霊の干渉波。現実世界側の貴方は双子の中間にいるから、たぶん粉々になる。次に姫様の干渉波が襲ってきて魂の死。あの子たち、おそろしいほど計算高いわね。でもそうはならない。その前に、もう一つの理由の厄介な相手が来るわ」
「なんだと」
ヨグにとっては幸運だった。
クランヴィアの瞳に映る黒い影が見えていなかったら次元断層で己の身を守れなかった。
クランヴィアの忠告がなければ初撃で首を落とされていた。
「ヨグ、姫様に何をした!」
フロラルは獣の様相で食い散らかす寸前の狼のように歯を剥き、ヨグにはそれが牙にすら見えた。右腕が持つ刀はヨグを指し、刀身にはフロラルの怒りに満ちた眼が映る。
「久しぶりだな。一皮むけたようで何よりだ。処女を捨ててから良い女になった」
「わたしは姫様に、もう人は殺さないと誓った」
「ふむ。じゃあ私を殺さないのだな」
苦み走った笑顔でヨグは後ずさる。
「何を言っているの? 人は、ですよ?」
言い終わるが早いか、フロラルは縮地で間合いを詰め、刀を振り下ろす。羽音が聞こえ、刀は右の上腕の皮膚すれすれでのところで止まるが、フロラルは力を込める。刃は肌に触れ食い込んでいき、血が漏れ出した。
呻き声をあげヨグは左手でフロラルの腹部に手を当てる。
「開竅せしは空の腕」
掌の中心から発せられた甲高い音が破裂音に変わる。発動直前でヨグと距離を取ったがフロラルの腹部の布が血と共に弾け飛ぶ。フロラルは手で傷を押さえるとなにやら呟く。次に手を離したときはぐずぐずになっていた肌が跡形もなく綺麗になり、形のいい臍が見えた。
「化け物め」
「そう? でもこんな私を姫様は愛してくれる!」
フロラルは再度距離を詰める。刀を寝かし切っ先を突き立て喉元を狙った。ヨグは次元断層をその場の空間に残し刃を固定する。すかさずフロラルを中心に次元断層を展開し次元の牢獄を作り上げた。
「切るには時間がかかるだろう。第一なんで魔法効果を切れる? 出鱈目にも程がある。ま、今から窒息するがね。くそ、痛いな」
忌々しく呟くと、刀傷で流れ出る血を腕を振って地面に血痕を残す。苛立ちを紛らわすために呪詛を飛ばしながら牢獄内の酸素の変性に取り掛かった。目に見えない障壁に手を当て詠唱を初める。クランヴィアの言う通りマナの錬成が異常に遅い。
集中する為に目を閉じると全身が総毛だった。慌てて飛びのき、目の前の自身がいた場所に落雷が落ちる。
「フロラル、なんだか私よりシーラちゃん愛に目覚めてない? 引くほどだよ?」
アイリスが離れた洞穴の入り口に立っていた。視線はヨグから離さない。
「アイリス、これどうにかできる?」
「無理。頑張って切って。それまで、えっと、名前を忘れたあの男に呪文は使わせない」
「仕方がない」
フロラルは刀を鞘に納めると、左手の甲を額に、右手は引いて腰で構える。
「聞け、足音を!其れは巨神の足音!踏み荒らせ!」
勢いをつけて繰り出される右手が次元断層にぶつかりノイズが響き渡る。
「巨神の激怒!」
次元牢獄は軋みをあげ地響きにしばし耐えたが、更に加えられたフロラルの拳の衝撃に砕け飛ぶ。
「ああ、そうだな。これは分が悪い」
精霊の支配不足で大きな魔法が撃てない。無敵のはずの魔法が人の手で砕かれるとは予想を超えている。ギャンビットを還した事ですら小僧の読みなら、敵にしておくには勿体無いが何れは始末しておかないといけない。この国がどうなろうと知ったことではないが、己より高みに行くことだけは許しがたい。
「引くぞ、クランヴィア」
「ゲートは置いてるわ。トリガーは、ひらけゴマ、よ。逃げましょう。鬼人が来る」
尽きかけのマナを使ってランダムに罠を散らす。
フロラルは逃げ出す敵に近づこうにも見えぬ障壁に阻まれ近づけない。縮地は転移ではなく、物理的な移動故に障害物に阻まれる。フロラルの「逃げるな!」の叫び声も虚しく敵は姿を消した。だがフロラルの関心事はすぐにシーラに戻る。
「アイリス、姫様は何処!?」
アイリスは辺りを警戒しながら近づいてきた。そして地面の儀式魔法陣を見て溜息をつく。
「精霊が描く魔法陣って綺麗だね。安心して。三人とも狭間に行ったの。追っかけたいけど、私の力じゃこんな魔法儀式陣、描けない」
黒髪の美女は下唇を噛み、拳を握り締める。フロラルは心を静め、アイリスの背を抱いた。
「フロラルはずるい。私をいつも置いてけぼりにして先に行っちゃう。私、足が遅いのに」
「ごめんね。でも、あなたはいつも助けに来てくれる。さっきもそう。私が無茶できるのはアイリスのおかげよ。先に行っちゃうかもしれないけど、私はあなたをいつも待ってる。絶対に来てくれるから」
アイリスは背中から回されたフロラルの手を握る。この先、この親友の背を追っかけられなくなるんじゃないかと、不安になる。自分の能力は雷に特化。聞こえはいいが、雷しか操れない不器用な人間だった。それに比べ妹のリーチェは姉から見ても天才だった。五大元素精霊だけじゃない。他にいくつ操れるのか知らないが、人のキャパシティを超えた怪物だった。
力がないせいで幼い頃から一緒に育ってきたフロラルを守れなかった。そのくせ身内の暴力を見ると怖くてすぐに陰に隠れる卑怯者。だけど他の姉妹から虐められているのに笑顔を絶やさないフロラルの強さを見て憧れた。シーラも監視していた一年近くの間に何度も泣いても泣いても自分でしっかり立ち直り、立ち上がり、歩き出す姿を見てきた。百年城の頃はマナの使い方も知らなかった普通の人だったのに。
私もそう在りたいと願う。
私もいつまでも憧れる人たちの傍に居たい。
「グラッドが言ってたよ」
底深い思考からフロラルが引き戻す。いつの間にか浮かんでいた涙をまばたきで振り落とすと振り返る。
「なんだろう。なにか、やらかしちゃったのかしら」
「ううん。アイリスほどの天才を見たことがない、って」
「私が!? ないない」
「私ね、魔法の事よく知らなかったから、アイリスの凄いところ知らなかったんだ。グラッドが言うにはね、たしか……」
フロラルはまだ船に乗っていた数日前を思い出す。




