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金の双樹  作者: 宮﨑 夕弦
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第三十七話「センシティブ・ブースト」


 空中に粘度の高いタールのような黒い瘴気が滲み出る。ぽたりぽたりと地面に落ちると、次第に勢いを増す。やがて堰を切ったように溢れ出すと、人を形作ろうと蠢き始めた。


「公太子ギャンビット」通称ブラックプリンス。霊的存在なので召喚ではなく降霊術になる。物理的攻撃を受け付けない上に自身は精霊界から次元断裂で攻撃してくるので厄介極まりない相手だった。唯一救いなのは術者はリンクするので微動すらできない。だが一体一の戦闘に場合に限って言えば敗北に期す事はなかった。それはヨグが召喚師においても優れた術師の証でもある。


 黒い瘴気は二メートル程の人形に落ち着き、腕を回したり、首を傾げたりしているが、同調の微調整だろう。グラディアスは判断に迷うが、ギャンビットがシーラを狙うとひとたまりもない。急ぎ対風阻害魔法を精霊召喚に切り替える。

「その嗅覚、万里を超え、地を駆ける脚は幽鬼の如く足音はない。お主は逃げる事叶わじ。はらわたを引き出され飢えた牙が喰らえば、その毒は死する事叶わじ。永久に咀嚼され肉片と化してなお死する事叶わじ」

 グラディアスは霊のルーンを切り地面を指差す。

 地面が盛り上がり、岩盤が砕け砂塵が舞った。腐った頭を持つ狼が姿を現す。

「食事の時間だよ。シュトルム。ただしあの影人と派手な異邦人だけだ」

 シュトルムは常に空いた頬からよだれを垂らし、眼窩から零れ落ちそうな眼球が忙しなく動いていた。ひと鳴きすると駆け出すが右足が折れ叫び声を上げながら転倒する。

「おいおい、坊や、本気出さないと死んじゃうぜ」

「ご心配どうも」

 不安な表情は見せず、グラディアスは次の詠唱を始める。


 転倒したシュトルムにギャンビットは右手を掲げる。毒素の固形化した混じり物の液体が噴出され、ゾンビ狼と言うべき精霊の身体を酸で溶かしていく。情けない悲鳴を上げシュトルムは後退りした。

「これで何をしようってんだ?」

「異国の精霊を知らないなんて、勉強不足だよ」

 シュトルムの皮膚が波打ち弾けると硬化した毛並みが現れる。溶けた皮膚が次々と弾け新たな強硬な皮膚へと再生されていった。

「シュトルムの悲鳴は歓喜のウォークライなんだ」

 シュトルムはギャンビットに飛び掛かり右腕を食いちぎる。切断面は瘴気にしか見えないがまるで血が吹き出すように黒い霧が噴出した。

 ヨグの額に汗が浮かぶ。痛覚は切っているが感覚だけは伝わってくる。

「霊体を食い千切るとか反則だろ」

「あなたが言いますか」

 ギャンビットは雄たけびを上げると失った右腕を見る。切断面から瘴気が噴出し右腕を再生した。

「そうだよなあ。じゃあ火魔法は得意じゃないけど」

 さして残念そうでもなく右腕を上げる。


「弾ける火種が踊る、踊る。やれ焦げろ、やれ焦げろ。今晩の獲物の焼き具合を確かめるは古のアスリンが仕えしホーランド・ヴェノン。魔が走る、羽根を散らして魔が走る。腹は膨れたが心は満たぬ。狩りの再開だ!」


 グラディアスの右手から炎が噴き出すと形を変え、炎を纏う四羽の雄鶏が地表を走る。その脚が地面を蹴るたびに火柱が立ち上がり地表を焦がしていった。ギャンビットは自分に纏わりつく雄鶏を掴もうとするが素早さについていけずに黒い手が空を切る。嘴が啄む箇所に火が付き、その火が次第に延焼し体全体が火に覆われる。

 雨は炎に吸い込まれ水蒸気に変わるが火が衰えることはなかった。

「いい加減うざいな」

 ヨグは天を仰ぎ吠え、火だるまのギャンビットも同じ動作をする。

 瘴気が風船のように膨れ上がり、限界に達すると弾け飛び四肢が四散した。飛び散った瘴気が地面を焦がし、瘴気をまともに浴びた雄鶏が悲鳴を上げながら溶けていった。

 シュトルムは瘴気を浴びるたびに再生を繰り返し、体毛は刃のように研ぎ澄まされていく。

「ギャンビット、黒き詩と、死と、屍をもたらせ」

 地表に飛び散った瘴気が渦を巻きながら再び集まり、体を捩じらせた。捻転したままシュトルムに襲い掛かると槍のように細くなり首元に突き刺さると回転しながら狼の体内へと吸い込まれるように姿を消した。

 狼はグラディアスの方を向くと鳴こうとした下あごが開き、そのまま地面に千切れ落ちる。間接が溶かされて支えを失い地面に倒れると煙を上げながら溶けていった。溶けた肉の塊から黒い霧が立ち上りギャンビットは姿を取り戻す。


 グラディアスの表情に曇りが出る。

 相性が最悪なのは分かっていた。広範囲魔法(エリア・エフェクト)を活かした戦闘なら分がある。ここは狭すぎて他の三人を巻き込んでしまう。もともと使う魔法は個人戦闘向きでないものばかりだ。特化しているのはシャイネリア。そのシャイネリアが動けない今、手持ちで何とかしなければならない。

 それに相手はまだクランヴィアを使っていない。遊びですらないだろう。


「何を待っている?ああ。分かっているさ、フロラルだろう? そうだな、彼女は私でも厄介だ。昔は泣き虫な女の子だったが、いい女になった。私の妻たちの列席に並べてもいいくらいにはな。そこは礼を言おう。よく育てた」

「貴様が」

 グラディアスの言葉を遮るようにシーラの声が響く。

「あなたがフロラルちゃんの名前を口にするな!です!」

 ヨグはシーラの体を睨め上げた。

「お姫様は後でゆっくりと楽しもうか。今は貴女の王子様を壊していくのが忙しくてね」


「グラッドは約束しました。私を守るって。グラッドは約束を破った事、ないです!」

 グラディアスは、困っている場合じゃないなと苦笑した。


「うーん、なんだろうこれは。あー、私は苛ついているのか。この感情がそうなのか。お礼に片肺だけ貰っておこうか。いやなに、ちょっぴり穴を開けるだけさ。まあ痛いけどね」


 ヨグは片腕を上げ振り下ろす。ギャンビットは同期し同じ方の手から細長い瘴気の針がシーラに伸びていく。グラディアスの心臓が冷えた。シーラに手を出すのは自分が死んだ後だと思い込んでいた。

 針がシーラに届くのは三秒くらいか? 何の呪文なら防げる? 魔法障壁ならいけるだろうが詠唱には十秒はかかる。

 間に合わない。

 身を挺したところで物理的には防げない。意味がないとしても体は動いていた。

 射線を遮ることも出来なかった宙に浮いた体を地面に打ちつける。だが次の瞬間、我が目を疑った。


 シーラは何を見ている?


 シーラは体少し反らして攻撃を避けきった。驚いたのはグラディアスだけじゃなく。ヨグも己の指先とシーラを交互に見ている。

「うん?それは幻影魔法か?いや、マナは感じないな」

「そんなゆっくりだと当たる方が、難しい、です」

 こめかみに血管を浮かせ、初めてヨグに怒りの表情が出る。

「私が馬鹿にされただと? 身の程をわきまえろ!」

 ギャンビットが両腕を上げ指を組む。

「屍を食め、食い尽くせ。来たれ厄災の前触れ」

 指先の瘴気は飛蝗となり飛び立つ。羽音が甲高く響き渡り、凄まじい速度でシーラの眼を狙った。

「えと、まだ遅いです」

 そう言いながらゆるりと躱す。

 「一体何が起きているんだ」と驚愕の言葉はヨグからではなくグラディアスから溢れた。

「グラッドまで気づいてなかったの?」

 地面に横たわっていたルーンルーンディースは息も絶え絶えに体を起こした。

「自分で言ってたでしょ。陛下のお子様だよ?」

「そうか、センシティブ・ブーストか!」

「私の難解なダンスを一発で覚えたって言ったのに」

 

 ヴァイケルとフロラルは同じフィジカル・ブーストに特化し肉体の限界を超えて行動する事が出来る。シーラは肉体的には若干の補正しか出来ないが、五感、全てが人の範疇から外れて感知する事が可能となっている。シーラ本人にはそれが当たり前であったために特別なものと気付かずにいた。


「ルーンちゃん危ないから、ここに入ってなさい」

 ルーンルーンディースはシーラに体を掴まれ胸元にむにむにと押し込まれていく。

「おおう、狭いけどシャイニーには無い心地良さだわ」

 シーラはグラディアスの視線に気づき目が合った瞬間に逸らされた。慌てて胸元を隠す。

「ごめん」

「別にいいんですけど」とシーラは赤くなり口を尖らせた。


「話が違うな。ただの精霊憑きだと聞いていたのだが。まぁいい、手を変えるだけの事」

 ヨグはギャンビットを帰還(リターン)で精霊界へと返す。

「さて、姫君。早くニアを呼びたまえ。私のクランヴィアがお腹を空かせていてね。じゃないと大切な君の友人たちが廃人となってしまう」


 ヨグは両手を広げ掌を上に向ける。

 口が開きバリトンが利いた精霊の歌が流れ出た。グラディアスは呻き声をあげると耳を塞ぎ膝を折る。

「グラッド!」

「おいおい、早くしてくれないか。そんなに持たないと思うよ」

 暴風が突然収まり雨も止む。シーラは、はっとなり振り返った。地面にはシャイネリアが倒れていた。

「な?」

 音が鳴り響いた。高音から低音へ。やがて音の重圧と共に地響きが鳴る。

「おいで、クランヴィア」 

 空中に亀裂が入ると、闇に繋がる裂け目になった。

 裂け目に光が溢れる。その眩い光の中から翼を持った人型の精霊が現れた。肌を透かす薄手の絹のような布を纏ってはいるが、美しい乳房や陰部すら隠し覆せていない。

 身の丈ほどの金髪を風に揺蕩え、三メートルはある白い翼をゆっくりと羽ばたかせヨグの背を抱く。

「ああ、今日も綺麗だね」

「あの子? でも同じ眷属の癖に醜いわ。まるまると太った豚みたい」

「おまえと比べるなよ。可哀そうじゃないか。あれはマナを食い過ぎてる仕方がない。でもまだだよ。もう少し太らせる。お前がもっと美しくなるために」

「うふふ。たのしみ」


 耳鳴りと吐き気。急激な気圧の変化か。シーラを見ると苦しそうだがもっている。気圧の外圧の変化に合わせて体内の内圧も変えて耐えているようだった。

 酸素も減らされ歌どころか詠唱も困難な状況で何ができよう。


 死を待つしかないのか。


 グラディアスは仰向けに倒れた。

 シーラが手を伸ばし地面を這ってきていたがヨグの手が髪を掴み引き戻す。


 死を待つ?

 ごめんだね、待ってなんかいられない。


 こっちから行ってやろう。


 シーラに伸ばした手が地面にぱたりと落ちた。

「グラッド!」

 シーラの呼び声は岩肌に吸い込まれていく。


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