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金の双樹  作者: 宮﨑 夕弦
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第三話 「お前が望むなら仕方がない」


 ティンバーフレームで建てられた温かみのある我が家がシャイネリアは好きだった。最近、都心部では鉄の柱で作られることも多くなったがまだ地方では木造が主流であった。なにしろ鉄を好む精霊もいるがほとんどの精霊が「居心地が悪い」と不評らしい。故に都心部ではマナの量が圧倒的に少なく最近では簡単な魔法ですら発動が困難になってきている。文明が花開く時代は見ていて楽しいが、この先精霊たちの居場所が減り続けるのは目に見えていた。


 肩に腰掛けるヴィーにシャイネリアは愛しげに頬を寄せた。

 たぶんこの時代の魔導士、魔法使い、錬金術師、精霊使い、すべてが協力しあわないとすぐにラグナレクの予見通り精霊界の終焉を迎えるだろう。


 シャイネリアは肩に降り積もった雪を払い扉を開けた。振り返るとシーラが横たわったヴァイケルの様子を伺っている。得意ではない治癒呪文だが応急手当レベルでしかないスペルをもう使い果たしているので早急に施術が必要だ。おそらく肺に骨が刺さっている。

「グラッド、なにやってたの!?お蔭でせっかく一晩掛けて練ったマナ、全部使っちゃったじゃない!」

 だがいつものグラッドのお調子声は聞こえず、両親がソファーの横で項垂れていた。二人の衣服に赤いものが見え、シャイネリアはぎくりとし思わず小さく声を上げた。

「……グラッド?」

 父フィールスがちらとシャイネリアを見ると、

「大丈夫だ、今は落ち着いている」

「パパ…ママ…何があったの?」

 そういいながらソファーに近づく。父の影で見えなかったグラディアスの下半身が見え、そして姿が全部見えたとき、声を抑える為なのか口に手を当てた。


 グラディアスの体は血にまみれていた。その体は無数に深く切り刻まれ、右頬は目の下から大きく斜めに縫われている跡があった。


「流石、我が息子だ。カウンタースペルを受けつつもゲートを開きお前達を帰した」

 いつもの父の声じゃない。その目は今まで見たこともない暗い目だった。怒りと悲しみが入り混じった目だ。同様に母、イエッタも憔悴しきった表情だった。シーラがシャイネリアの背後から覗き込み、傷だらけのグラディアスを見ると小さく悲鳴をあげ震えるシャイネリアの背にしがみついた。

「おお。これは殿下。ご無事で何より。非礼をお許しください、何分……こういう状況なので」

 シーラはシャイネリアの背の影で見もせずに首を振った。シャイネリアがグラディアスの傍で屈むとフィールスは場所を譲り、シーラに暖炉の傍にある椅子を勧めた。



 無言がしばし続き、湯気が立っていたレモネードも冷えかけた頃先に口を開いたのはシーラだった。

「私は小さい頃、母に手を引かれキッタの地にやってきました。

 王都が輝く姿を一望できる丘から母が寂しそうに見ているのを今でも思い出します。それから3年後に亡くなりましたが、母はずっと笑顔を絶やす事はありませんでした。幸せのまま亡くなったんでしょうか?私はそう望んでいます」

 フィールスは微笑み、ワインを一口飲んだ。

「殿下は母上によく似ましたな」

 シーラは顔を上げフィールスを見た。

「母をご存知で?」

 残念ながら、と首を振りながら言葉を続ける

「王宮の『薔薇の間』と呼ばれる離れにひっそりと飾られている肖像画は貴方様の母上なのです。そのことはあいつと私しか知らない秘密ですがね」

「あいつ、とはどなたですか?」

「殿下の父上、先王ファーングラムI世、ベリアッドです」

「……私には良く分かりません。母は父の事を一切喋らなくて」

 フィールスはシーラの肩に手を乗せ、ぽんぽんと叩いた。

「貴方様の父と母は立派な方だった」

 そういって立ち上がると暖炉の上の絵をはずして、一つだけ違和感のあるレンガを引っ張り出した。その中に手を突っ込み羊半紙の包みを取り出す。フィールスは片眉を上げて肩をすくめる。息を吹きかけて埃を払うとシーラに渡した。

「これは?」

「あなたが先王の正式な子である。というベリアッドの覚書です。あいつ自らのサインと押印、そして元老院にしか分からない隠語が隠されている」

 シーラはその包みが果てしなく重い様に感じた。ただの小作人の娘なのだ。それをいきなり、おまえは女王だ、と言われている。溜息すら出ない。シーラの目は暖炉の揺れる炎を見つめた。これをいまこの暖炉の火にかければ楽になれる。

「おやりなさい。それは貴方の自由だ」

 シーラは見透かされた自分の心を恥じらいながら、それでもどうすればいいのか分からなかった。グラディアスを見る。そしてシャイネリアを見た。先程までの気丈で気高い雰囲気は消え少女のように祈っている。




「ベリアッドとの約束は殿下を王座につけることではないのです」

 フィールスの視線は遠い過去を見ていた。


「馬鹿な!そんなこと出来るわけない!」

 若きフィールスは目の前の男に指を突きつける。その男は短く刈り込んだ顎鬚を撫でながらにやりと笑う。王族の紋章をあしらったマントを翻しながら、玉座にすわり片膝を抱えた。傍にある林檎を頬張

る。臣下がみたら泡を吹きかねない素行だった。


「いや、お前ならできるさ。俺はもう長くない。それはお前にも分かっているだろう?心配なんだよ。王妃をとらず世継ぎのないまま死んじまうと、この国は荒れる。水面下で息を潜めているやつらが、いつ空気を求めて水上に上がってくるか分からんからな」

「だからといって茶番で奴ら引っ張り出すなんて!」

 ベリアッドはフィールスを指差した。

「お前しか出来んのだよ」

「だがな!」

「フィールス。この国の守護たる魔術師であり、俺の親友よ」

 フィールスはベリアッドを見る。親友と呼んだ男の憂いた目は美しい窓の細工を見ていた。

「あいつと出会って、心底この国を守らればならない、と思った。わかるか?あいつの生きているこの国を守りたいのだよ。この間、鷹狩を言い訳に娘を見に行った。三、四才くらいかな。笑えよ、フィールス、父親の癖に娘の年も分からないでいる」

 フィールスは黙って親友の言葉を聞いた。

「愛しかった。この手で抱きたかった。傍にいたあいつは差し出した俺の手から逃げるように下がると娘を抱きしめて笑って首を振ったんだ。俺はすぐ城に帰り、初めて神に祈ったよ。何故にあいつだったんだと。どうでもいい俺の椅子を狙っている貴族の娘だったら、心置きなく傍に置けたのに、何故にお前はあいつを俺に選ばせたのか、とな」

 林檎を少し齧りベリアッドはゆっくりと立ち上がって返事を促すかのように上目でフィールスを覗き込んだ。

 フィールスは床を見ながら溜息をつく。

「ベリアッド。王の声じゃなくお前が望むなら仕方がない」

 フィールスの傍に歩み寄り、そして手を差し出した。フィールスはその手を見、力を込めて握りかえす。

「俺は国を守りたいだけだ。あいつの住む、娘の生きるこの国をな」

 王は微笑んだ。

 フィールスの前でしか出さない笑顔だった。



「父が、いえ……陛下が私に会いに……」

「心置きなく父とお呼びなさい。あいつも喜ぶ」

 シーラは手にした包みをそっと胸に抱いた。

 これは王族の証を記したものではない。

 王が娘へ、父は誰であるかをしたためた手紙なのだ。


 後ろ手に縄で拘束されているヴァイケルは項垂れてはいたが床に落とした視線を動かせずに二人のやり取りを聞いていた。この優男に見えるフィールスという男を思い出した。平民あがりで王族書庫付のただの司書官吏だったはず。先王から秘匿文書を預かるほどの寵愛を受けていた話など耳にしたことはない。


 でっちあげの女王を担ぎ上げクーデター?馬鹿な話だ。そう思わざるをえない。

 ヴァイケルは顔を上げてシーラを見た。その視線に気付いたシーラは慌てて騎士に近寄り、何処か痛いところはないですか?と体を気遣ってきた。返事もせずにまた床に視線を落とす。シーラは少し寂しげに椅子に戻った。意識がはっきりしないヴァイケルはたぶん魔法に毒されたのだと自分に言い聞かせた。


 フィールスの一家を見る。そしてシーラを。

 でないとありもしない真実を受け入れそうになる自分を許せなかった。





 グラディアスが意識を取り戻したのは一週間後のことだった。

シャイネリアは祈りをやめて、血の気を取り戻した兄の顔に安堵して目に溜めた涙がこぼれるのを抑えなかった。

「シャイニー、無事だったか?悪かった、手間取って遅れてしまった」

「馬鹿っ!」

 抱きつこうとしたシャイネリアは兄の体を見て、どうにか自分を抑え両親に振り返った。イエッタは胸を撫で下ろし、フィールスは頷いていた。

「しくじったよ、父さん。あいつは誰だ。見たこともない精霊を使っていた」

「見たこともない?」とフィールスは表情を曇らせた。

「殿下の居場所を探った時には居なかった奴だ。同じ偽装干渉波を使ったのがまずった。それに匂いを辿られたらしい。まさか踏み台の奴がもうやられてたなんて迂闊だった。くそ、今でも寒気がする……意識ごと喰われそうだった。あいつ、偽装した痕跡を無視して一直線にこっちに噛みついてきた。まるで猟犬、いや飢えた亡者のようで、目が……濁った闇のようだった」

 フィールスは舌打ちをする。そして慌しく立って、暖炉の火を消し始めた。

「父さん?」

 フィールスの様子を見たイエッタも隣の部屋へと駆け込む。

「お前が見た精霊は」首を振るフィールス。

「空虚の精霊だ。ここがバレたぞ。逃げ支度だ」

 その言葉が終わらないうちに窓ガラスがいきなり割れた。と同時に鈍い音を立て矢が床に突き刺さる。シャイネリアは窓の傍の壁に身を押し付けてゆっくり外を見る。

 距離を置き兵士達が家の周りを包囲していた。その兵士達は金属の鎧ではなく音を立てないように皮鎧で身を包んでいる。皮の盾には青地に二本の牙を持つ獣を模したエンブレムが施されている。金が掛かった装備を見ると屯田制の兵じゃなく生粋の軍隊と見て取れた。

「まずいわね。紋章を見るとアズライア卿の私軍っぽい。銃士隊も後続にいるけど親衛隊ね。うーんと一週間くらいで、いや正味三日くらいで来れる位置と速度ならベネズの千人隊かな」

「寄りによってゴランの猪か」

 グラディアスはそう言いながら身の痛みに耐えながら身を起こし、身支度を始めた。

「グラッド、大丈夫?」

「寝てたってハリネズミになるだけだろ?ご免こうむる」


 シーラがグラディアスの傍に駆け寄り身支度に手を貸す。

「ありがとぅおぅおぅ」

 背中越しにシャツの袖に腕を通す手助けをしているのがシーラと気づき変な声をあげたグラディアスは、慌てて振り返った。

「ま、真に恐縮で御座いますが、お手を煩わす程の事では」

 シーラはグラッドを上目で睨みつけながら首を振った。

「貴方は命の恩人。少しは手伝わせてください」

「恐れ多くも」

 シーラは再び睨みつけた。

「今度、その言葉を言ったら打ちます」

 グラディアスはへの形に口に歪ませると肩をすくめた。

「シャイニー、風を呼べるか?」

 シャイネリアは兄を見て首を振った。

「まだ無理。さっきから練っているけど三十分程かかるわ」

「それハイベルのハリケーンだろ。俺らまで吹き飛ばす気か。勢いは最初だけでいい、停滞させたいから。乗り手じゃなくズマ公でいいよ。俺は広範囲術式の準備を始める」

「それなら十分くらい。……ん?アスリンとゴルゴルンのコンボ?あんた、やれるの?」

「うん? グラディアス様だよ?」

 シャイニーは外の様子を見て呪詛を呟いた。

「まずい。何人か突っ込んでくる」

 フィールスは壁に掛けた剣を手に取り鞘を投げ捨てる。

「私が時間を稼ごう」

 イエッタは愛する夫に近寄り唇を重ねた。

「イエッタ。子供達を頼むぞ」

 イエッタは笑う。

「最後みたいな言い方しないで。私の旦那様は不死身よ」

 剣を使えない夫に微笑むイエッタはどうにか震える体を抑えることが出来た。抱いた腕を夫がそっとはずし、我が身に残った夫の体温を逃がさないように両手で抱きしめる。フィールスが意を決してテラスへと続く広間への扉を開くと大きな体が視界を塞いだ。その腕がフィールスの手から剣を奪い去る。


「ヴァイケルさん!」

 シーラの声が居間に響き渡った。

 ヴァイケルは息を切らしながら額の包帯から漏れる血を手の甲で拭き取る。

 そして剣先をフィールスに突きつけた。






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