第二十三話「わかった、グラッド」
北の山脈の吹き下ろしに乗る雪の匂いが新芽薫る風に変わった頃。
早朝、パラス前の広場に双子とシーラは、三台の馬車の側で身支度をしていた。八名の護衛騎士、御者に扮した騎士五名、側付き二名の構成は商隊にしては違和感のある組み合わせだが、シーラをエスタニアン商人のやんごとなき御令嬢とし、高価な商品を取り扱う体で行く偽装商隊だった。
「着くまで魔法禁止よ?あんた歩いていくつもりなら止めないけど野盗は少なくなったとはいえ、安全とは言い切れないわ。アズの件もあるし」
昨晩のグラディアスの多すぎないかの意見にはシャイネリアは一蹴した。
シーラは自分の装いを少し恥ずかしそうに見て小さく溜息をつく。
「それは分かるけど、私、こんな、男物の洋服って初めてで、なんかちょっと恥ずかしい」
「エスタニアンは大体そんな感じ。彼らは動きやすさ重視だから。そんな顔してると、ほら御覧なさい」
「ああ、カナンさんの目が」と猛禽類の眼が如く遠くから様子を伺うカナンを見てシーラは苦笑いをした。
「人前で良かった。私達だけだったらシーラがモフられるところだったわ」
シーラは「はっ」と両腕で胸を隠した。シーラの胸を見ながらシャイネリアは「ほむ」と頷くと、
「カナンさん、もしかしたら、そっちの人かしら」
「人前ではやめてほしい」
「まるで人前じゃなかったら大丈夫、みたいな?」
シーラはシャイネリアをポカポカ叩き始めた。「や、やめ、ぷんすかシーラ」とはしゃぐ二人をグラディアスは緊張感のない妹に溜息をつきながら馬に鞍をつけていた。
「全く」と言いながら作業をこなす。
三台のうちの一台、幌馬車には十分なスペースがあった。二人だとゆったりとは言えないが毛皮を幾重にも重ねて用意してくれた座席をやんわりと断わった。双子は幌馬車ではなく交代で馬に乗り警戒に当たる算段で、その方が都合が良かったし不測の事態に即応する為でもあった。タンデムシートを取り付け一息ついているところに側付きの二人が挨拶に来た。
「グラディアス様、しばらくの間お世話をさせて頂きます、フロラルとアイリスで御座います。どうか宜しくお願いします」
「あー、よろしく。見たところ僕と同じくらいの年だよね。畏まらないで普通に接してくれると助かるよ。シーラやシャイニーたちにも」
「めめ滅相もございません」
「どちらがフロラル?」
最初に声を掛けてきたショートカットをカチューシャで髪を止めている左に立つ少女が、スカートの裾を掴もうとする仕草をしたが、着慣れない皮ズボンに気づき執事式の挨拶をした。
「アイリスも宜しく」
可愛らしいフロラルとは対称な風光明媚な長身の少女も、無駄のない所作で恭しく挨拶する。腰まで伸びる美しい黒髪を赤い紐と一緒に三つ編みで纏め上げ、良く言えば深沈たる雰囲気、悪く言えば不愛想な面持ちで「不束者ですが宜しくお願いします」と言った後、微動だにしなくなった。グラディアスは機嫌が悪いのかなと愛想笑いをする。
「アイリス、そんな緊張しなくても、楽にするように仰せつかったのよ、リラックス、リラックス。申し訳ございません、グラディアス様」
「グラッドでいいよ」
「お心遣い感謝いたします、グラッド様」
「あ、まぁ、うん。アイリスは緊張?してるの?」
「この子はアークト様のお気に入りですが、どうにも人が苦手で。今回、研修も兼ねてお仕えさせていただく事になりました」
こくりと頷くアイリスに「肯定するんだ」とグラディアスは苦笑する。
「そっか、アイリスも僕を友人と思ってグラッドって呼んで」
「わかった、グラッド」と鉄面皮が遠慮なく発した言葉にフロラルの方が仰天した。
「ああああああアイリスちゃん!? しししし失礼しました、アイリスも早く謝んなさい!」
困った顔をしたアイリスは「ごめんなさい、グラッド」と謝罪するが、
「アホの子か!そこじゃない!いや言葉遣いもだけれども!」とフロラルが激怒する。
グラディアスは苦労が絶えなさそうなフロラルと不思議な雰囲気のアイリスに堪えられずに笑い出す。そして手を差し出し、友人になれそうな二人を心から歓迎した。
メイドの両名は少し離れたところにいるシャイネリアとシーラの元に挨拶に向かう。
似たようなやり取りがあった後、アイリスが双子が何故馬に乗って移動するのか問うた。
その問いかけに暫し間を置いたシャイネリアは「風の声が聞こえないのが嫌なだけ。私の性分かな」と答える。
アイリスは「左様でございますか」と表向き出来るメイドを装っていたが、実のところそれどころじゃなく、高まった鼓動を抑えるのに苦労していた。目の前にいる「憧れの」シーラ様に粗相があってはならぬ、とアイリスはいつも以上に神経を研ぎ澄ます。ああシーラ様、男装も素敵。と本人は心に留めていたつもりだったが、「ア、アイリス、心の声、漏れてますよ」とフロラルが注意をする。
「ぬ?アイリス?」とシャイネリア。
「はい」
「アイリスちゃん」とシーラ。
「はい!」と顔を赤らめる。
ふたたびシャイネリアが「アイリス」と呼ぶと無表情で「はい」と返事をする。
「可愛いわ」のシャイネリアの小声にシーラが「可愛いね」と頷いて同意をする。直立のまま赤面するアイリスの隣で疲れ切った顔で微笑むフロラルは「準備があるので、またお茶の時間に」と二人は去っていった。
「シーラ」
「んー、なに?」
「本当にモテるわね」
「そ、そんなことない」
「女の子に」
シーラは眉の両端を、むっと上げる。
「シャイニーの方がモテるよね」
「そんなこと、あるわね」
「子供に」
ぷんすかシャイニーがシーラを追いかけ始めた。それを見たグラディアスは再び始まった追走劇を苦笑しながら見守る。
まるで姉妹のように見える二人を追いかけるラフィーナを想像する。
「ヒナ、おまえの姉さんは元気になったよ。僕も、かな。もっと幸せな光景を見たかったのは僕もシャイニーも同じだ。そしてたぶんシーラも」
グラディアスは木陰で休めていた体を奮い立たせ伸びをした。
「さぁ、おまえの、僕たちの王女様を救いに行ってくるよ」
そう言ってグラディアスは二人の妹を「いい加減にしろ」と追いかけ始める。
「旅にはいい日だな」
「そうね。雲雀のさえずりも、暖かい日差しも、冬なんか忘れちゃうくらい、あったかい」
イエッタは夫の手を握り双子たちを見る。
「ヴォルケイノ、今はまだ夢を見ているがいい。必ず起こしに行くぞ」
夫の細くなった目とひそめる眉を見る。自分が行けない口惜しさと苦しみ。その夫の隠す心情を察し、少しだけ強まった手のひらを握り返した。
「あの子たちは大丈夫、あなたの子ですもの。そして無敵の親友さんの娘さんよ。なによりラフィーナも見守ってるから。大丈夫、大丈夫」
「君は楽天家だな」
「いいえ? 偉大なる魔術師の妻ですよ、予言の一つくらいは出来ちゃうの」
「ああ、シャイネリアが言っていたな。私のママは世界一の魔女だ、ってな。そう言うのなら、そういう事なんだろうな」
イエッタは夫の腕に抱きつく。
「そうよ。いまさらなお話」
フィールスは微笑んで「我が魔女の君」と言ってイエッタを抱き上げた。妻は自分の唇を夫の唇に軽く重ねる。
「さあ私たちの子供たちだけの初めての冒険、見送りましょ」
「そうだな」
フィールスは妻を下ろし手を繋ぐと、騒ぐ子供たちの元へと向かった。




