第二十話「めんこいわぁ、巣に持って帰りたい」
シーラは仰向けに横たわり、夜空を見上げていた。
暗かった辺りをいつの間にか月が照らし始める。
泣きすぎて喉が痛い。こんな時ですら喉が渇き、空腹に苛まれる。目を擦りすぎて目尻がヒリヒリもする。まだそんなことを気にするの?と自問するが答えを出すのが怖かった。
草むらから、がさがさと音が聞こえた。
シーラは動ぜずに音の方に目を向けた。その視線の先で冬眠から覚めたばかりの痩せた熊が鼻を鳴らしながら辺りを伺っていた。シーラに気づき鼻先がシーラの体を嗅ぎ始める。
「食べていいですよ」と微笑んで熊に語り掛ける。そんな自分の異常な言動すらどうでもよかった。
もう何も考えたくない。もうあの人のあんな顔を見たくない。
あの怒りは見たことがある。シャイニーと長らく城を抜け出し、こっそり帰った時。あの顔は他人に対してじゃない。
グラッド自身に対してだ。
あんな顔をするんだもの。自分を責める怒りはどれほどだろう。私は逃げてばっかりだ。グラッドのように自分と向き合う事が出来ない。だって出来ないことばっかりだもの。それでも全部私から始まった事。だから自分で終わらせたい。私ができる事をする。
こんな形だけど。
「あなたは選ばれてないよ」
その声にびくりとする。精霊語だ。
「選ばれてない?」
そう言いながら上半身を起こし辺りを探る。熊は鼻を鳴らすと闇へと姿を消した。
「そう、くまちゃんの晩御飯に。精霊語上手くなったね」
「えっとルーンちゃん、ね」
現れた精霊に覚えがある。たしか四兄妹の末っ子とか。
「そ」
「えっと、シャイニーの所に帰って、ください」
「えーやだよ、今は帰らない。てか君を追っかけるのにものすごーく、くたびれたんだからね」と言うとシーラの肩に乗る。
暫くの沈黙にも時は待たずに過ぎていく。春先の森は秋と違って静けさが佇む。冬ですら雪が鳴る音や梢から落ちる音が絶え間なく聞こえる。ここで聞こえるのは、風に揺れた葉の音と自分のすすり泣く声。それが森を冒しているかのようにさえ思えてくる。
「私、もうなにもわからない、です」
また逃げてる。
この小さな精霊の声を聞くのは現実逃避なんだろう。心も体も逃げ続ける。そんな自分に辟易する。
でも、暖かい。ルーンは頬に背を向けて寄りかかっている。そんな他愛のない事がシーラには心地よかった。
「いいんじゃない?」
「よくないよ」
「そんな時はなにも考えないのが一番。うー、おっしゃ! 特別にルーン様のスペシャル魔法見せてあげようではないか! てなわけでマナを渡しなさい?」
この小さな精霊と話しているうちに気持ちが少し落ち着いてきた。なるほど、シャイネリアが辛いときはいつもルーンが居てくれる、と言っていた理由が分かった。もう長年付き合ってきた親友のような心の距離感がとても落ち着かせてくれる。よくよく考えると精霊との会話は初めてだった。
「えっと、こうかな」
体の中の「熱」を捉える。ルーンルーンディースは風。マナはもちろん風。
「そうね。ちょっと荒いけどなんとかなる。後に続いて」
シーラは耳を澄ませて身構える。妖精の口から流れたのは陽気な歌だった。
「くっまさんクマさん、起っきるクマ? ぱっちりおめめで起きなさい。
ねっこさんネコさん、歌うのニャ? にゃーにゃー鳴いて歌うのニャ。
とっりさんトリさん、降りてきて? 高いお空から降りてきて!」
これは童謡?と妖精に続いて詠唱をする。合わせて妖精の可愛らしい踊りも真似をする。
「いまからいまから踊るのよ。みんなでみんなでおっどるのよ」
闇に消えた熊が再び現れた。リスが足元に纏わりつく。軽く跳躍を試みてシーラの肩に乗ろうとするがルーンが蹴とばし追い出した。あらゆる動物、生物がシーラの周りを囲み、何かを待っていた。
「あなた達?言ったでしょ。踊るのよ!……て、無理かぁ。あっはっは。うし、使えるようになったら今の詠唱を使って。このルーン様の詩だからね!覚えておくのよ、弟子よ!」
「私には、無理かな」
と項垂れると、動物たちも項垂れた。おやと思い、右手を上げると、ツグミは右翼を上げ、熊も右手を上げる。立ち上がってみた。すると動物たちも立ち上がった。
「これは」
「名付けて、動物使い! なんちて!あははは」
シーラはくるりと体を回す。動物たちもそれに倣い、上手くいかなかったリスは転がった。シーラが手を差し出すと、起き上がったリスは足元から這い上がって腕に伝い、手のひらに乗った。キュイキュイ鳴くと立ち上がって首を傾げる。「うふふ、ご命はなにか?だって」と妖精がリスの意を伝えてくれる。
「素敵な魔法!」と笑った自分に気が付き、また俯く。
「どうしようもないくらい、馬鹿、です」
「だからいいのよ、それで。人は馬鹿なくらいが丁度いいの。あのね、全部持ってたら、ずっと笑って、ずっと泣いて、すっごい疲れちゃうじゃない? きもいし!」そういうと吐く仕草をしてからコロコロ笑う。
「たまには息をしなくっちゃ」
ルーンルーンディースはシーラの鼻を両手で挟むと、自分の小さな鼻をくっつける。
「あのね。シャイニーが泣いてるの。あなたが笑わないとあの子はいつも不安になる。自分のせいじゃないかって。無理しなくていいから。でも、泣きたいときはあの子の前で泣いてあげて? ね、わかってる? あの二人が泣くのも怒るのも、あなたのせいかもしれないけど、大好きだからだよ」
シャイネリアの泣き顔を、そして約束を思い出した。
「必ず怒るって、言ったのに。傷つくかもしれないけど、ちゃんと言う、って言ったのに。お、こってもない。何も言って、ない、約束、破っ……」
両手で顔を覆い指の隙間から「本当に馬鹿」と震える小さな声と涙が漏れた。
ルーンルーンディースが大きな気配に気づき、地面に降り立ち胸に手を当て、恭しくお辞儀をした。
「御方の御出でで御座います。精霊よ、数多なる精霊よ。頭を垂れよ。足ある者は跪け。口あるものは閉じて沈黙を愛せ。御方、比翼連理様で御座います」
突如、辺りが闇に包まれる。
足元に人が歩ける幅に火が灯る。その火は勢いよく前方へと延びていった。現実の炎ではないのだろう。木々にはなんら影響も与えてなかった。
ルーンルーンディースは先に進むように促す。シーラは頷くと歩み始める。
ようやく此処が何処だかわかった。イエッタと過ごした湖だ。かなり走ったつもりだったが、体力のなさか、気持ちの余裕のなさか。おそらく両方だろう、と思いながら湖の水際に辿り着く。
湖水の表面が揺らぐ。小さな波。大きなうねり。無数の渦。それらが混濁し、次第に収まっていった。
水面が鏡のようになると、湖だけが月明かりに包まれた。
「おかあさん」
か細く、息も途切れ途切れの声が辺りに響き渡る。
水面に波紋が緩やかに広がっていく。そして少女が映し出された。
イエッタを掠れた声で呼ぶ。
「おかあさん、耳を貸して。うん、ありがとう。あのね、ちょっと恥ずかしいから言えなかったけど、みんなにね、大好きって。グラッドも、シャイニーも、シーラちゃんも大好きって、伝えてほしい。シーラちゃんに頑張って、て言って。たぶん怖くて王女様できないと思うから。でも……王女様もいい。ぜったい可愛いよ、可愛くって、みんな可愛がってくれる最強王女様なの」
微笑んでいた顔が寂しげになると、声にはしないその口は、見たかった、と動くのを見てイエッタは涙しながらに頷く。
「あのね、生んでくれてありがとう、ラフィーナは楽しかったよ。大好き、おかあさん」
湖面が吹き上がり、ラフィーナの顔が歪んで消える。高く舞い上がった水が小雨となって暫し降り注いだ。やがて湖面は静けさを取り戻した。
シーラは手のひらに雨を受け止めた。その手のひらに顎から涙が零れ落ちる。
分かってはいた。これはグラディアスが見せてくれた過去の出来事みたいなものだということに。だが息遣いも感じられるような生々しさにその場に居たような錯覚を覚えた。まるで自分が直に見た記憶のように。
比翼連理が背後から現れた。首をシーラの顔を高さまで下げ湖面を暫しの間、一緒に見守った。
「想いを馳せる姫よ。今のは我らの記憶、心揺蕩う夢と少女ヒナの願い事」
「思いを違える姫よ。今のは貴女にはとって難事、災難、はたまた迷惑ごと」
雌雄はシーラの目線に合わせるため地面に腰を下ろした。
「ヒナ?」
「如何にも」
「貴女も見たであろう?まだ空を知らぬ雛鳥のような少女を」
「うむ、まるで雛、え?そうだったのか?てっきりラフィーナのフィナのところがヒナになったのだとばかり」
「お黙りなさればよろしくってよ」
「お、おう、いや無理にお高い態度を取らなくってもな。言葉が変だぞ。嬢もあんぐりと口を開けておる」
指摘されたシーラは慌ててお辞儀をした。
「え、えっと初めまして。おおおお目にかかれて、光栄でございます? へ、陛下に置かれましては、ご、ご機嫌麗しゅう?」
「めんこいなぁ」
「めんこいわぁ、巣に持って帰りたい」
シーラでも目の前の精霊が普通でないことが感じられた。耳鳴りがするほどの精霊の干渉波。ロータスはこちらに実態があるから影響が少ない、とはこういう事かと実感する。
「ああ、すまぬ、嬢には少々きついな。少し位相をずらそう」
心なしか巨鳥が縮んだ。瞬きする間に更に縮み最終的には鳩程のサイズに落ち着いた。
「これでいいだろう」
「楽になりました、ありがとう、ございます」
「あなた?この姫は私達のさっきの姿を見ていたって事?」
「そういうことだな?」
雌雄は同時に「むう」と唸る。
「まあ、よい。話を戻そう。聞くに嬢はラフィーナの死に自分が関係していると思い困惑しているな?」
シーラは返答に困った。肯定するのが怖いのではなく、肯定することで双子にこれからどう接すればよいのか分からない、嫌になるほど自分本位で自分勝手な思いを表に出すのが恥ずかしかった。
「そうだな、先に真実を話そう」
「そうね、先に真実を伝えましょう」
「ラフィーナを死なせたのは我らだ」




