第二話 「魔法、ってあるのね」
シャイネリアは片膝をつき頭を垂れ、目の前の少女に敬意を表した。
「殿下に置かれましては、この不敬にも程があるこの仕打ち、さぞやお怒りで御座いましょう。ですが一刻ともはやく我が父にお会いくださいますよう奏上申し上げます」
シーラは突然現われた少女が何故に自分に跪くのか理解が追いつかなかった。人違いをされているには違いないが牢獄に三日の間、一度たりとも衛兵以外の気配を感じたことがない。それに殿下と呼ばれた。偉い人をそう呼ぶのは自分の身分でもそれくらいは知っている。王族か貴族か知らないが田舎者で畑を耕すことしか知らない自分がそのように扱われることがとんでもなく恐れ多いような気がし、少々不安になった。
「えっと。わたしが、です?」
「はい」
「貴方様のお父様に?」
「さようで御座います」
「ああ、ええと。立ってください、お顔が見えないと、その、話しにくくて」
「恐れ多くも」
「あのぅ、お願いします」
「……では御意に」
シャイネリアは顔上げ立ち上がった。頑丈な扉を挟んでシーラの困った顔を見て、安心させるかのように微笑んだ。
「殿下、少しお下がりください」
「え?あ、はい」
自分の事だと認識するために数秒要したシーラは慌てて二,三歩退がり、様子を伺う。するとシャイネリアの唇が薄く開き鈴の様な音が聞こえた。魔術を知る者なら古代精霊言語の詩文だと気付いただろう。
空気が割れるような、例えて言うならそのような音が聞こえた。シーラはその音にびくりとして辺りを見回した。思わず首を竦めてしまったのをシャイネリアに見られて恥ずかしくなる。
「おいで、シルフたち」
シャイネリアが人差し指と中指の指先をついと出すと、上のほうから青白い燐光が舞い降り指先にまとわりついた。シャイネリアは楽しそうに指先をくるくる回すと光もついて回るように飛び回り、まるで踊っているようだった。シーラの驚きの表情の前にも、新たな光が舞い降りる。
「これはなんです?手品かなにか、のような?」
シャイネリアはくすりと笑い、
「そう、マジックです。ヴェネーゼは殿下のお傍なの?気難しい子なんですよ」
はぁ、と不可思議顔のシーラは目の前の光球を目で追う。シャイネリアが指先を口元に持って行くと、その光球はシーラから離れてその細い指先に止まった。なにやら呟かれると、ヴェネーゼと呼ばれた精霊シルフは扉の鍵穴に入り込みガチャリと開錠した。シャイネリアが抵抗をやめた扉を開き牢内へと入る。そして改めて、略礼をした。背に隠れていた光球が飛び出し二つの光が螺旋を描きながら二人の周りを飛び跳ねた。
「きれいです! まるで魔法みたい、シャイニーさん」
ヴェネーゼは微笑むシーラの肩に舞い戻りふるふると震えた。
「ヴェネ?失礼のないようになさい」
シーラは指先を出す。止まった光の球をまじまじと見ると、
「ヴェネちゃんは赤色の髪が私と同じね」
シャイネリアはぎくりとしシーラを見つめた。改めて目の前の女性が普通とは違うことを思い出させた。精霊の本体を「観る」とは。この女性は精霊に愛されている。それに精霊の存在を既に受け入れているように見えるがそれが良いことなのか今の時点では判断はできない。だがうまくいけば大きな力になるだろう。あの武神王の娘なのだ。いずれその血がなにかをもたらすのは分かっている。
しかし時期が早かった。早すぎた。シャイネリアは選択の余地のないシーラの救出が災いの始まりに過ぎないような気がしてならない。なんの因果律がこのような事態を生み出したのかは分からないが、兄のグラディアスも突如起きたこの緊急事態に狼狽しながらも持ちうる能力を出し尽くし城への進入路を切り開いた。この大型術式を練り上げるため二人がかりで幾年費やしたかと考えると、シャイネリアは歯噛みする思いだった。本来は来るべき未来のため、この城を真なる主が奪還するための一度きりの切り札だったのだ。あの狡猾な簒奪者をもう二度と欺くことはできないだろう。
「殿下」
「あの、お願いが」
「はい。余り時間もないので手短に願えますか」
そう言いながら当たりの壁を手探りするかのように手を添えて滑らせていく。
「殿下、はやめてください。あ、ごめんなさい。命令、みたくなっちゃいました。どうかお願いします」
「いえ。それは出来ません」
「私は只の小作人の娘で、殿下と呼ばれるような身分ではありません。皆さんなにか、勘違いされてますようで、私はどうすればいいのか……」
シーラは心底困ったような顔をした。シャイネリアはこの状況になるのではと予想していたが、それもそうだ、いきなり見ず知らずの人間に殿下なぞ呼ばれると、自分ですら相手の頭を疑うだろう。シャイネリアは一旦手を止めシーラに向き直り片手を胸に当て頭を少し垂れた。
「殿下。貴方様は先王様のお子で在らされます。故に殿下、なのです」
「はぁ。……え?」
「貴方様はこの国の正当にして正統なる王位継承者。正式に冠を頂になれば、シーラ女王陛下と皆がお呼びしましょう」
「はぁ、なるほど。そのシーラ様とお間違えなのですね?」
シャイネリアは苦笑した。これは時間が必要だ。
蜂の羽音のような音が聞こえた。ヴェネーゼの片割れの光球が青から赤に転じる。
「ヴィー、どうしたの?衛兵?ああ、もう!グラッドったらグズなんだから!もうグズディアスでいいわ!」
シーラはシャイネリアの畏まった態度より今しがた見せた少女らしい顔が可愛らしいと少し胸の鼓動が高鳴るのを感じた。身に覚えのない感情だが姉妹や友人を持ったことがないシーラには未だ理解できない気持ちだった。
シャイネリアが通路に飛び出す。
通路の先にある階段の踊り場からこちらを指差す一人の衛兵が、高官らしき人物に押し退けられるのを見て下唇を噛んだ。あの騎士はまずい。そう結論づけると決断する時間をすっ飛ばし行動を起こした。左右を見、通路の幅を見極める。
「殿下、お下がりを!」
その高官、ヴァイケルはシャイネリアの言葉を聞き逃さなかった。「女!何者だ!」と誰何し腰の剣に手を掛ける。
シャイネリアは両の手を突き出した。人差し指を交差し、親指同士を重ねる。そして片足で床を、ドン、と踏み鳴らした。
「我は問うた。天に問うた。何故に灼光のキンスラーンはわが道をこうも焼き尽くすのか!ああ焼くが良い、天をお前の炎で染めるが良い、だが我は花を運び、鳥を乗せ、風を躍らせ、月を覆い隠す雲を払うだろう!」
ヴァイケルは眉をひそめた。フォルンスの詩文の一節をここで諳んじる女を気が触れているのではないかと一瞬思う。だが言葉を繋ぐたびに何やら嫌な、戦場で感じる死の匂いを感じさせた。気のせいか風がシャイネリアに収束するかのように燭台や篝火の炎が一点に向けて揺れ動く。
「永劫に在りし風よ吹け、そして来たれエーンヴァルーの槍よ!」
シャイネリアの人差し指と親指の輪から閃光と雷が放たれ両手が弾かれた。
ヴァイケルは衛兵の体を突き飛ばすと己も横っ飛びに踊り場から飛び降りた。甲高い音が耳を劈く。ヴァイケルは着地のショックを受け止めようと空中で身構えたが、更なる横からの衝撃波混じりの突風に木の葉さながらに飛ばされ壁に体を打ちつけた。
軋む鎧の金属音を耳に聞いた。口の中に血が溜まる。これは魔法か? 視点定まらぬヴァイケルは無残に破壊された踊り場を見た。身を起こそうそうとしたが口から血を吹き出し、再び体を横たえる。
シャイネリアは粉塵が収まるのを待つと辺りを見渡し壁を叩き始めた。
「違うわね。ここかしら。グラッドの馬鹿っ」
シーラは恐る恐る牢から顔を出すと、シャイネリアの名を呼ぶ。
「あー、殿下、少々お待ちください。愚兄が出口を見失ったようなのです」
シーラは、はぁと呟き、視界に血にまみれたヴァイケルを見つけた。アンダーシャツの裾を破りながら近寄ると、ヴァイケルを仰向けに寝かせた。
「騎士様、お気をしっかり」
口元を拭くシーラの手をヴァイケルは力強く握り締める。
「騎士様?」
「殿下、忠誠を無くし、剣を預ける場所を忘れた男なぞ騎士とお呼びになりませぬよう」
ヴァイケルはシャイネリアを睨んだ。
「……まえは何者だ」
金髪の少女はヴァイケルに一瞥を与え、そして顔を背けた。
「そうか。貴様が、例の賊か。妖しげな……」そして視線を変える。
「シーラとか言ったな」
「はい」
恐れることもなくシーラはヴァイケルを見た。
「何を聞いたのか知らんがそこの魔女の話を忘れろ。お前の命までは取らぬ。このことを生涯忘れることが出来るのなら」
息を継ぎ、言葉を続ける。
「お前を他所の国に送ろう。もうお前はここにはいられない」
「何故、ですか?」
シャイネリアが溜息をつく。
「先王の名高き近衛騎士団『クォーターランドの狼』団長、ヴァイケル・ドーントレスト・キオエム伯爵。殿下のおわすべき玉座、その主が誰であるかをその言葉が証明してます。なにしろ先王の若き懐刀であった方ですから。殿下にお会いになり、確信を持ったのでしょう」
「だまれ」
「殿下が真の王であらさ」
「黙れッ!」
シーラは自分の手首を握り締めた指を優しく解いた。そして血だらけの口元を先程切り取った布の切れ端で血を拭き取る。ヴァイケルが何をか口を開こうとするその口に人差し指を当て黙らせる。それに抵抗できずにヴァイケルは押し黙った。シャイネリアは「沈黙」のスペルより効果がてきめんだわと内心苦笑した。
「お前は何者だ。いや、何者であらねばならぬのだ……」
ヴァイケルはそこで意識を失った。最後の言葉はシャイネリアに向けた言葉ではないことに気付き、シーラは項垂れた。
「私は、シーラ」
視線を上げシーラは立ち上がった。
「シャイニーさん?」
「シャイニーと。もしくはシャイネリアと」
「シャイニーさん。貴方のお父様に会います」
下のものを「さん」づけするのを止めさせられるだろうかと少し不安になりながら頷く。
滑らせた指先が止まり、トン、と叩くと壁に魔法陣が浮かび上がった。シャイネリアは、やっとね、と呟くと手のひらを陣の中央に当てる。
「遍く道は一つとなりて誘わん。されど刻の支配者クロンの眼に怯え息を顰めよ。鍵は右方より、円は左方より、交われ、爻われ、回れ、廻れ」
魔法陣が光ると円に沿って炎が走る。魔法陣が壁ごとゴリゴリと音を立て回転を始め、真逆になった場所でガチャリと鳴り響いた。円の中心を割るように縦に光が走り、扉を開くがごとく壁が割れた。
「さぁ、どうぞ」
薄暗い地下牢にいたシーラの眼には雪の反射光は眩すぎた。手をかざし、ぽっかりと空いた壁の向こうの景色を眺める。雪景色の中に一軒の家が見えた。
「魔法、ってあるのね……」
シャイネリアは頷き、
「空気の酸素と窒素の奇跡的な割合に比べれば微々たる奇跡です」
そんなシャイネリアの親からの受け売りの言葉を他所にシーラはうんうんと唸りながら、気を失っているヴァイケルを引きずっていた。
「で、殿下?その男をどうするおつもりで?」
「シャイニーさん、怪我をしている人を放っておくつもりなのですか?」
「その男は恐らく殿下のお命を」
シャイネリアの声も意に介さずに唸り声を上げながら引きずるシーラに呆れながら、シャイネリアは手を貸した。
先のことを考えるのはよそう。頭が痛くなりそうだ。
ヴェネーゼとヴィーは本来の姿を現し、人差し指大の妖精は二対の羽を嬉そうに羽ばたかせヴァイケルの綻びたマントを引っ張った。シーラはうふふと笑うと妖精たちもころころと笑う。
ま、いっか。
シャイネリアは溜息を一つつき微笑んだ。