第十八話「やばいです」
「ズール、お前は女を確認したか?」
「いいや、霧が濃くて何も見えなかった。女どころじゃないわ! 精鋭の半数を失ったんだぞ。しかも獣ごときにだ!」
ズール・ランベルト・アズライア公爵は神と悪魔両方に呪詛を投げかけたあとテーブルに足を投げ出した。昨年の秋の不愉快な戦い、否、戦いですらなかった戦後処理に数週間費やすうちに冬が訪れ、北部を拝領する公爵は足止めを余儀なくされた。ウベル=アフル山脈から雪解け水がジルタル川に流れ込む時期になってようやく王都ソーディアンに赴くことができた。長旅のせいか多少の苛立ちを覚えながらファラスをねめつける。
ズールのそんな視線も気にならないらしくファラスは淡々と聞く。
精霊じゃなく生物だと?
ファラスはまだ飲むには若いワインを喉に流し込むと、侵入者を甘く見ていた己の判断を悔いた。こいつへの指示も精細に欠き、まさか手掛かりになり得る家まで燃やしてしまうとは。
相手は魔法使いだと言えればどれだけ楽なことか。
まあ言ったところで目の前の老人はせせら笑って「神でも構わぬわ」と言って阿呆の如く槍を振り回すだけだ。才ある将だが如何せん只の軍人だ。
生物召喚は精霊を呼ぶより高度な術式だ。奇襲の手筈は万全だったはずだが、相手が即座に対応したのであれば複数の術者か、未知のエレメンタラーか。
考えたくもないが、エヴァンスの血の匂いがする。
ファラスは椅子にもたれかかり、天井を見上げる。
目を見開き、牙を持つ獣のように歯を剥き出しにして唸り声を上げた。
「エヴァンスエヴァンスエヴァンス!あいつなのか!それとも弟子か?隠し子か!」
「お、おい。ファラス大丈夫か?」
血走った眼でズールを睨み、長く息を吐き出す。
「エヴァンス?誰なんだ?」
「お前も知っている」
記憶を手繰るズールは政争にも戦争にも関わっていなかった突如失踪した人物を思い出す。
「あいつか。フィールス・エヴァンス。書に棲む御方、と女官に呼ばれていた生簀かない野郎だった」
司書官をまとめる官吏だったフィールスは、古代の戦士像に並び立っても遜色もない見目と腰まで伸びた緩やかなウェーブのかかった長い髪。碧眼の眼は神秘的で力強い。貴族かと思えば聞くと平民の出自と、いわくありげな謎めいた経歴がさらに女性達をときめかせていた。颯爽と歩くだけでも取り敢えずの用もない女官達は後ろに続き、さながら鴨が子を連れた行列だった。
忌々し気に語るズールの言葉をよそにファラスはエヴァンスの違う顔を思い出していた。
エヴァンスの精霊は抑えてある。テレシスから報告はない以上、問題ないだろう。では何処の精霊使いなんだ。並の使い手ではない。下手をすれば私以上も有り得る。神格クラスなら尚の事慎重にならねば。
「ズール、頼まれてくれるか」
「楽しめるか?」
「分からんが恐らくグランベリアでは指折りの強さだ。しかも珍しいデザート付きだ」
「ほう」
「敵国じゃなくても構わないのだな」
ズールは顎髭を撫でながら肩を竦める。
「悪食だからな。一人はキオエムだな。もう一人は誰だ」
「アークト」
「また地味な名前が出たな。病人がデザートだと?笑わせるな、腐りかけだ。貴様も大概だな。あれは堅牢な家に引き篭もる青白い小僧だろう」
「いつの話をしている、奴はもういい年だ。やればわかる。寧ろメインディッシュはやつかも知れん」
「それほどか」
上手く隠してはいたが、あれは化け物だ。エヴァンスいない今、奴が一番の障害になる。エヴァンスの残り香も気になるが一連の件はアークトではない。だが繫がりはあるはずだ。魔法を戦に持ち込むとは思えんがそれでも恐らくこいつでは勝てん。だがアークトの精霊を暴ける可能性があるなら地方貴族の老人の命なぞ安いものだ。寧ろこいつのガキどもが喜ぶだろう。
「準備に、うむ。梅雨の頃合いか夏頃だな。リーチェは出してくれるか?」
「不安か?」
「いや、あの子は実戦まだだろう」
「ああそうだな、連れて行け。だが戦場を見せるだけだ。銃は取り上げとけ」
「お前でも子は可愛いか」
ファラスは鼻を鳴らし視線で退室を促す。ズールは近頃嵩が増えすぎてきている重い腰を上げ、ドアの前で横目で古い友人を見た。口を開きかけたが発する言葉を選ぶことが出来ずにドアを開けた。
「いつぞやの戦と同じくらいの昂ぶりを期待するぞ」
ファラスの言葉に、ただ頷く。
オーク扉の大きな軋む音と共に閉じられた。
「友すら謀るか」
老将は俯き加減に部屋を後にした。
アズラックが驚異的な回復を見せ、壁内に小さな奇跡が囁かれ始めた頃、緋色の髪の少女と金色の双子、と人目が集まるようになった。
エスタニアと呼ばれる土地はウベル=アフルよりも更に北に位置しており希少な獣と高価な薬になる植物や動物の内臓を卸に来る僅かな商人しか会う機会がない、存在すら訝しげにされる民族だった。更には城内に滞在し先王と同じ鮮やかな緋色の冠の持ち主とあらば、もしかすると、いや、きっと先王の御子だとの噂が立つのも無理らしからぬ事だった。
双子は治癒呪文を今更ながらに後悔を始めていた。
「やばいな」
「やばいわ」
「やばいです」
そう言いつつもシャイネリアはシーラの膝枕を堪能しながら割とどうでも良さそうな表情をしている。
「ごめんシーラ、もっと自重するべきだった」
「アズの苦しい顔見てたら、私も、出来るなら、そうしたと思う」
眼下に百年城を見下ろす切り立った崖の上で三人は溜息をつく。
「私が苦しいのは、いいの」
グラディアスはシーラに顔を近づけ「それはだめだ」というと慌てて前を向く。シーラが俯いて表情を隠そうとする。膝の上から見上げる魔女顔のシャイネリアはシーラの両手で顔を塞がれ「ぅぉっぷ」と手足をばたつかせた。
「きれいですね、カナンさんのお城」
パラスを中心とした部分はゆとりを持った広さがあり多くの商店が立ち並び活気にあふれている。それを囲うように建てられた居住エリアは一見無計画に建てられているように見える建造物群が壁となり、迷路さながら道を知らぬと袋小路に迷い込む。広い道路と思い進むと曲がった先は一人通るのが精一杯な程の狭い生活通路等、とかく攻める側にはやっかいな作りになっている。
「まぁ見た目は優雅だけどえげつないのは城壁よ」
「ああ、あれは僕でもどう攻めるか考えあぐねるな。魔法を使ったとしても」
「なにか、仕掛け?」
シャイネリアが城壁を指さす。
「ヴィネサンスラート・エゥア・ロキシア、意味はね、我は触れることを禁ず。しかも壁の中にも何か仕込んでいるわ。仕掛けとかそんな生易しいものじゃない」
「籠城戦でカナンさんには勝てないよ。それこそ千年かかってもね。古代の木の精霊ヴィネサンスラートの木材が組み込まれている。神木だよ?よく了解してもらえたなあ」
グラディアスはそこでも圧倒的な力の差を感じさせられる。
「あの時勝てたのは、いや勝てたんじゃない、勝たせてもらったんだ」
「そう、ね。くやしいけど」
「少し本気を出そう」
その言葉を思い出し、全力だとあれを超えるのか、とグラディアスは歯噛みする。
「なあシャイニー」
「そうねグラッド」
「ぼくたちも魂結びだ」




