表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金の双樹  作者: 宮﨑 夕弦
1/57

第一話 「とってもお似合いです」


 グランベリアの歴史を述べるに、近代社会の礎となったアーネス王朝、中でもファーングラムII世、側室ですらなかった庶子の娘である、シーラ・アーネス女王を抜きにして語るべきではないだろう。父王ベリアッド・ファーングラムI世の英雄譚が霞むほど、とかく逸話の多いこの女王は公式の記録及び市井の風聞録の量はどの王よりも凌いでいる。


 出生の時から伝説がつきまとう女王だが即位された後にも並々ならない苦難が待ち受けていたという。宮廷内では生れの卑しさから蔑まれ謀殺渦巻く王宮内の政争を凌ぎ、奇跡的に命を繋ぐどころか徐々に臣下の心を掌握し、身辺に留まらずその慈愛は他国の民にも及んだ。


 しかし女王の傍に長年付き添っていた双子の執政官についての知見の大部分は常闇に沈められたかのように掴みどころがなく謎多き人物として未だに歴史研究家の頭を痛ませる存在である。なにせ違和感のない言葉を選ぶとしたら彼らは「魔法使い」だったという単語が多くの文献に残されているのだから。


   


 薄暗い謁見室の中ファラスは苛々としながら己の爪を噛み、その視線は定まらずそこら中に飛ばし、落ち着きがない歩みは玉座を中心に幾度も回り続けている。


 その玉座は薄汚く赤茶けた絨毯の上で生気も無く佇み、主を待ち侘びているかのようにも見えた。かってこの謁見の間は威光を指し示さんがごとく天蓋から光が差し込み、東西には美しいステンドグラスが日中、大理石のタイルと玉座に続く絨毯の上に光の華を咲かせていたが、今では埃をかぶった分厚い黒ビロードのカーテンが幾重にも掛けられ、室内を玉座の両脇にある台座の燭台のみが、力なく照らしている。


 抜け殻の様な玉座を睨みながらファラスはワインを掲げ喉へと流し込む。口の端から赤い液体がだらしなく零れ落ち、それを拭おうともしなかった。まだ四十を迎えたばかりだというのに顔には皴が刻み込まれ、顔同様疲れ果てた白髪が年相応以上の苦難を強いられている事を物語っていた。


「忌々しい」


 先日やっと掴みかけた件の魔導師の尻尾が、まったくの偽者だったばかりか、巧妙と言わざるを得ない術式で欺かれた上、優秀な弟子を二人も失う羽目になるとは。未だ把握し切れていない魔の理を使う者が在野に埋もれているのは栓無い事としても、ヴァグナーの使徒と言われる己が、こうももて遊ばれるとは想像さえしていなかった。


「忌々しい」と再び繰り返し気分を晴らすにはまだ足りぬとばかりに呪詛を神々に投げかけた。未だに怒りで我を忘れ己の手で弟子の首を絞めた感触が残っている。不敵な侵入者は精霊の干渉波紋を偽造しあたかも弟子が術を行使したように残していた。


「古代精霊語、しかもユグト語で書いた術式だぞ。それを踏みならして入り込める奴が名も知れぬ術者なぞあり得んわ!」


 そもそも精霊の波紋を故意に偽造することなぞ出来るのだろうかと放ちどころがない怒りを圧し殺そうとするが無駄に終わるのは目に見えていた。


「司政官どの」

 怒気の矛先を誰にぶつけようかと物騒な思案が頭に浮かんだ頃、扉が突然開け一人の男が入ってきた。薄暗い謁見室に光が差し込み、光の帯の中に埃が舞い上がる。

「ヴァイケル、見つかったか?」

 もちろん卑劣な手を使った卑しい覗き屋の事だった。だがこの男では手がかりすら掴めまいと苦々しく思っていた所に思いもよらない報告を聞く事になった。

「いえ。ただ不遜な娘を一人捕らえました」

 ヴァイケルは手にしていた指輪を手渡した。ファラスは指輪を眺め苦笑した。

「先王の指輪だな。なぜその娘が?」

「母の形見だと」

 ファラスは眉をひそめる。

「何処の者だ」

「ただの農民です」

「大方どこぞで拾ったのであろう。不敬罪で鞭でも打てばよい」

「ですが」

 他にまだあるのか、とヴァイケルを睨んだ。

「王家に繋がる証が他にも。先王の御髪と同じ、緋の色で御座います」


 ファラスは聞き違えたかのかと振り返る。

「真か?おお‥‥‥緋の御髪か。して先王の燃えるような瞳と同じ色なのか?この地を威厳で満ちた眼差しで見渡し、類稀なる武を持って他国を制し、紡ぎなされた御言葉は、雷鳴がごとく我らを打ち御威光をもたらした‥‥‥あのお方の」

 ヴァイケルはファラスの目が得も知れぬ高揚と共に、正気を失いつつあるのを見て後ずさった。それを追うようにしてファラスの手がヴァイケルの外套の留め金を握り締め、口角から唾を飛ばしながら呻くように呟いた。


「落とし子が存在しておるだと?!おぞましい! ああ汚わらしい!息をするだけで先王を侮辱しておる!頭と顔の皮を剥いで首を城門に晒せ! 体は関節ごとに切り落とし野犬に喰わせろ!」

「お待ちを! 祭祀長が後でなんと申されるか、そうでもなくとも空位のままでは他国にも示しがつきませぬ」

「ええい五月蝿い!ならば言うが農民を女王として迎えろとお前は言うのか?グランベリアの威厳は地に落ち、ハイエナのようなゴーシュランドやバシュタットの貧国がここぞとばかりに『私の』国に汚らしい足を踏み入れてくるぞ。案山子の女王の代わりに、領土を耕しにな!いいか、お前は黙って女を殺せ!!」


 ファラスは言い終えると顎をしゃくって下がるように命じた。それに小さく頷きヴァイケルは踵を返し地下牢へと向かった。


 実のところファラスと言う得体の知れない男から一歩でも遠ざかりたかった。噂では、魔法、を使うという。馬鹿げた事だとは思う。童話や劇場で演じられる空想物じゃあるまいに。だがあの男の目を見ていると、日常の世界から切り離され、非現実感にこの身を晒される。あながち噂も笑えないのではないか、とさえ思えてくる。


 地下へと続く螺旋の階段に差し掛かると、足元から冷やりとした空気が体を這い登ってきた。黴臭いこの場所は、余程の事でもない限り近寄りたくもなかったが、事が事だけに部下に任せることも出来ない。ヴァイケルは首を振ると底が見えぬ階段を降り始めた。



「あの、どなたか、いますか?」

 少女の声は頑丈な扉に備えられた小窓から辛うじて見えていた衛兵に向けられたが、返事は一向に返ってくる様子が無かった。時折、鎧の金属音が聞こえるので近くにいるはずだが今は小窓に顔を押し付けても姿は見えなかった。 


 小さな窓にはめられた鉄の格子を土に汚れた手が握りしめていたが、次第に緩やかに手を引き、溜息をつきながら部屋の隅へと行き座り込んだ。その部屋は巨大な岩を不恰好に削り、そのまま牢獄として使っているようで、地中の冷ややかな温度を容赦なく伝えてきた。なのにベッドどころか寒さを凌ぐ毛布さえ用意されず、用を足す穴が隅に穿たれているだけだった。少女にはここが牢獄だとは分かっていたが生かす必要も無い人間を幽閉する部屋だとは思いもしなかった。壁に寄りかかって天井を見上げる。その額にはらりと赤い前髪が垂れた。


 美しい緋色の髪をシーラは髪を指で梳いていく。

 昨日、畑で作業をしていたところに衛兵がやってきて身柄を拘束され二晩ほど寒い夜をここで過ごした。もちろん食事など期待はしていなかったが、衛兵が様子をうかがいに来るたびに心ならずとも喉が鳴った。


 この不遇の原因を記憶に探ると思い当たる事といえば地主の下働きの人間がシーラを気の毒そうに見て、官吏から小さな袋を受け取ると頭を下げて逃げ出すように去っていったのが、まずひとつ。


 二つ目は母の形見の指輪を取り上げられそれを怪訝そうに見られたこと。


 三つめの原因をひねり出そうとしたがどれも些細なことしか思いつかない。もしかしたら自分は些細なことと片付けてしまっていた重要な罪を犯していたのだろうか。


「きっと何かの勘違いだよね。一生懸命お仕事してきていたんだもの。きっとお許しが出て、出て……きっと」


 私、なにしちゃったんだろうと呟くと足元を見た。くたびれた革靴。膝の部分が擦り切れうっすらと肌が見えているズボン。土の匂いと汚れが染みついた羊の皮のチュニック。でも嫌いじゃなかった。ちゃんと生きてきた証なのだと誇りにすら思えた。そして唐突に寒気を覚え両腕で我が身の温もりを逃がさないように体を抱きしめる。


 もしかして死刑、なのかなと声が漏れると扉の向こうの見えぬ場所からくすくすと笑い声が聞こえた。

「どなたかいるの?」

 聞こえてきた若い女性の微かな笑い声に僅かばかりの希望を抱き、狭い小窓から左右を見渡す。


すると突然、目の前に天使が現われた。

 少なくともシーラはそう見えた。なんて可愛らしい人かしらと思わず声に出しそうになる。その同じくらいの年頃の天使は、亜麻色のドレスに映える金髪の長い髪を揺らし微笑んだ。

「シーラ様でいらっしゃいますか?」

「シーラですけど、様はいらないです。えと、あなたは?」

「シャイネリアと言います。皆はシャイニーと呼んでいます」

 それ以外の名が思い浮かばないほどに目の前の美しい少女に「とってもお似合いです」といってシーラは微笑んだ。


 シャイネリアはこの未来の女王の屈託の無い笑顔と声が気に入った。もちろん今までも何度も見てきたが直接ではなかった。だがこれから傍で聞ける。そう思うと思わず顔がほころんだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ