告白
「ただいま」
家に入ってすぐ違和感に気付く。家族のモノではない女性モノの靴が一足、丁寧に向きを揃えた状態で存在していた。この靴には見覚えがある。まさか。
「あ、帰ってきた。あんたにお客さんよ」
そう言って、母親が出迎える。そして案内されたリビングにいたのは、制服姿の花凛だった。
「花凛、なんでっ?」
今は授業中のはずなのに。さーやさんとは違って、真面目な花凛が授業をサボるなんてありえない。
「お邪魔してます」
花凛はそう呟くと、緊張した面持ちで会釈した。テーブルには緑茶の入った湯飲みが置かれている。
「じゃあ、お母さんちょっと出かけてくるから。花凛ちゃん、遠慮せずゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
冷蔵庫に買ってきた材料を詰め込み終わった母親が、リビングから出て行く。家には私と花凛だけになった。
「あの、理央ちゃんも座ったら?」
「いや、私はここでいい。それよりも、授業はどうしたの?」
「サボってきちゃった。理央ちゃんにどうしても伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
私がそう聞き返すと、花凛は椅子から立ち上がった。そして私と向き合う。
「私ね、今日真綾ちゃんに告白してきたの。ずっと好きだったって、だから付き合ってほしいって」
「ウソ……」
頭が真っ白になった。まさか、あの花凛が告白するなんて。だって、花凛は引っ込み思案で、慎重な人間だから。告白したらどうなるか、そのリスクを知らないわけではないだろうに。
血の気が引いたまま、私は花凛の肩を力強く掴んで叫んだ。
「なんで……なんで告白したの! 花凛にとって真綾とバンド続けることが一番でしょ? なのに、告白しちゃったらそれがダメになるじゃない!」
真綾はどう思っただろう。気まずくなって、今までのようにバンド活動を続けるのが苦しくなって、普段通りに歌えなくなるくらいなら解散しよう、と思わないだろうか。いや、きっとそう思うに違いない。そしたら、花凛の笑顔はもう見られなくなる。それだけは絶対に嫌だ。
私の頭の中で、想定していた最悪の事態がグルグルと回る。しかし、焦る私とは対照的に、花凛はとても落ち着いていた。
「予想してた通り、真綾ちゃんには振られたよ。そんな風には見られないって。でもね、バンドは解散したくないって言われた」
「え?」
「私も解散は覚悟してたんだけど。私が嫌じゃなければ、マチモンを続けてほしいって。私と理央ちゃんは、自分にとって大切な仲間だからって。泣きながら言われちゃった」
「真綾がそんなことを……」
ふと、さーやさんが言っていたことが脳裏をよぎった。真綾にとって、私と花凛は大切な仲間なんだと、その絆は簡単には揺るがないだろうと。
「私、理央ちゃんに謝りたくて」
「謝る? なんで?」
「生放送の時、真綾ちゃんに怒ったのは私のためだよね。私の気持ち知ってたから。それで三人の仲がギクシャクし始めて、理央ちゃん辛くなったから、今回辞めるって言ったんだよね」
「いや、それは……」
「私が勇気なくて、いつまでも自分の気持ちにケジメつけなかったから、結果理央ちゃんを苦しめた。だから、ごめんなさい」
そう言って、花凛は深々と頭を下げる。私はそんな彼女をまじまじと見つめたまま、動くことも忘れてただただ驚いていた。
いつから花凛は、こんなに強くなったんだろう。あの、怯えながら真綾の後ろに隠れていたあの子が、今は堂々と告白できるようになっていたなんて。
いや、違う。花凛は本当は強い子だったんだ。楽器は演奏者の心を映す。あんなに力強くてカッコいいドラム演奏ができる時点で、私はそれに気付くべきだった。私が花凛を好きになったのはそこだったはずなのに。
「……違う。花凛が謝る必要なんてない」
「え?」
花凛が頭を上げる。そして、その目を大きく見開いた。直後、私の視界が滲んでいく。
「私、逃げたの。これ以上大好きな花凛が傷付くところ見たくなくて。だから、バンド辞めるって……言って……あなたから、逃げようとした……っ」
泣くつもりなんてなかったのに。花凛を困らせるつもりなんてなかったのに。でも、一度言葉にしてしまうと、もう自分ではどうにも止められない。
「ごめん、花凛……っ。私のせいで、告白させて、辛い思いさせて、ほんとごめん……っ」
人前で泣くような人間じゃなかったのに。もっと強い人間だと思っていたのに。それでも、花凛の前では、マチモンのことでは、私はこんなにも弱くなってしまう。それはきっと、それが自分にとってかけがえのない大切なモノだから。
「私、辞めたくない……っ。三人でバンド、続けたいよぉ……っ」
「理央ちゃん……」
私がそう叫ぶと、花凛は私を抱きしめてくれた。
「私も、理央ちゃんと真綾ちゃんの三人でバンド続けたい。だって、二人とも大切な仲間だから。だから、また一緒にバンドやろう」
温かくて、優しくて、包み込まれるような安心感。ああ、やっぱり私はこの人のことが好き。どんなに辛くても、苦しくても、ずっと花凛のそばにいたい。この優しさを独り占めしていたい。そう再確認しながら、私は本能のままに花凛の胸の中で泣き続けた。
「……ありがとう」
どれくらい泣いていただろう。やっと落ち着きを取り戻してきたので、私は花凛から離れると残った涙を服でざっと拭いた。花凛はふふふっと笑う。
「なんか、理央ちゃんが泣くなんて珍しいから、すごく得した気分」
「あんたは私の涙をなんだと思ってんの」
「だって、私だけに弱さ見せてくれたんだって思ったら、なんだか嬉しくって」
この子は。何も考えずそういうことをサラリと言う。鈍いのか天然なのか、振り回されるこっちの身にもなれ。いつもいつも、そうやって花凛は私を虜にしていく。
泣き顔を見られた手前、今日はなんだか癪だったので、私は悪戯を思いついた時のように口の端を上げた。
「ねえ、花凛。私が花凛のこと好きだって気付いてた? あ、もちろん恋愛対象としてね」
「……え?」
私が最後の言葉を付け加えると、花凛はまるで置物のように固まった。そして五秒後。
「えぇっ?」
花凛は顔を真っ赤にしながら後ずさった。狙い通り、かなり動揺している。だが、まだまだこんなものじゃないぞ、私の花凛への愛は。
私は花凛が逃げないよう、壁に押し付けて逃げ道を塞いだ。いわゆる壁ドンというやつ。
「私、もう我慢しないから。花凛のこと、絶対落としてみせるから。だから、覚悟しといてね」
そう言って不敵に笑うと、私は花凛のふわふわの前髪を上げ、そしてその額にキスをした。彼女の熱が唇を介して私へと流れてくる。その快感に、私の身体も熱くなった。