私、バンド辞める
「真綾ちゃん、大丈夫っ?」
「真綾、真綾!」
テレビ番組の生放送の時、真綾が歌を歌わないというアクシデントが起きた。あの、三度の飯より歌うことが大好きな真綾が。こんなこと今まで一度もなかったのに。
「真綾、なんで歌わなかったの?」
「……昨日、お姉ちゃんとケンカした」
「まさか、そんなことで?」
「そんなことじゃないよ! 私には一番重要なことなの。いつもお姉ちゃんのために歌ってきたのに、お姉ちゃんが聴いてくれないんなら歌う意味がない。私、もう歌えないよ」
「真綾ちゃん……」
花凛が辛そうな顔をする。それを見るのは、私には耐えられなかった。
なんで真綾はこうなんだよ。あんたの世界にはお姉ちゃんしかいないのか。私や、あんたのことが大好きな花凛のことはどうでもいいのか。花凛はこんなにもあんたのことを想ってんのに。私じゃその代わりにすらなれないのに。なんであんたはそれに気付かないんだよ!
そう思ったら、私の中で何かがプツンと音を立てて切れた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんって……あんたいい加減にしろよ!」
怒りに任せて、私は真綾の胸倉を掴んだ。花凛の辛そうな顔が私の怒りに拍車をかける。
「お姉ちゃんがそんなに大事かよ。うちらよりも、バンド活動よりも、歌うことよりも大事なのかよ!」
「それは……」
真綾は答えない。すぐに否定しない時点で、彼女の気持ちは決まっているようなものだ。
「ああ、そうかよ。だったらもういい。あんたとはもうバンド続けられない」
「理央ちゃんっ」
「私らは……Marching Little Monsterは今日限りで解散――」
「おいこら、そこのMarching Little Monster!」
私の続く言葉を、突然女性の声が遮った。思わず声のした方へ視線を向ける。すると、フードを被った人間が、こちらに指をさして立っていた。思わず真綾の胸倉から手を離す。
真綾のファンだとか、他力本願と書かれたふざけたパーカー着てたりとか、急にきらきら星を歌ったりだとか。なんだこいつとずっと訝しんでいたら、それはまさかのさーやさんだった。
「お姉ちゃん……っ」
真綾はお姉さんに抱きついた。その姿を、花凛が複雑そうな表情で見ている。何も言葉は交わさなかったのに、彼女の感情が私の中に流れ込んできて、私の胸まで苦しくなった。
その後で真綾は何事もなかったかのようにこちらに戻ってきて、私達二人に謝って、そしてステージで歌を歌った。さっきまでの落ち込みがウソのように、いつも通り、いいや、いつも以上に楽しそうに。
「ごめん、私お姉ちゃんとこ行ってくる!」
私達の出番が終わった後、真綾はさっさとお姉さんの所へ行ってしまった。その後ろ姿を、私と花凛が見送る。
「やっぱり、さーやさんには敵わないなぁ」
「花凛……」
「真綾ちゃんが歌えないって言った時、私何も言えなかった。何もできなかった。励ますことすらできなかった。でも、さーやさんはたったあれだけのことで真綾ちゃんを復活させちゃった。もう勝ち目ないよ」
そう言って、花凛は無理矢理微笑んだ。
笑わなくていいのに。私に遠慮なんかしなくて、辛いなら素直に泣けばいいのに。
「花凛、泣いていいよ。今私しかいないから」
「理央ちゃん……ごめん」
そう断って、花凛はやっと私の胸で泣いた。私はそんな彼女をそっと抱きしめる。自分も泣いているのを、彼女に悟られないように。
花凛の好きな相手が男性なら、潔く身を引くことができた。同性の私では叶えられないことがたくさんあるし、社会的に見てもその方が自然で花凛のためにもなると思ったから。
でも、なんで、どうして相手が同性の、しかも同じバンドメンバーの真綾なんだよ。そんなの諦められるわけがない。それなら私にだってチャンスはあるんじゃないかと、傷付いて涙する花凛を慰めながらつい淡い希望を抱いてしまう。そんなひどいことばかり考えてしまうなんて、そんなのもう友達じゃない。
もういい、もうたくさんだ。花凛のこんな姿を見るのは。好きな人の苦しむ姿を、悲しむ姿を、私はこれ以上見ていられない。こんな激しい自己嫌悪を繰り返す毎日は、叶わない花凛への想いを抱えたままそばにいるのは、もう耐えられない。私はそんなに強い人間じゃないから。簡単に割り切れるほど器用な人間じゃないから。だからお願い、もういい加減あなたを諦めさせて。
「私、バンド辞める」
生放送が終わってから数日後。私は花凛にそう告げた。真綾は教師に呼び出しを受けて不在。教室には私達二人以外誰も残っていない。このタイミングは、私にとって好都合だった。
花凛は何が起きたのかわからないとでもいうように、目を丸くして「え?」とだけ呟く。
「もう決めたから。真綾にも伝えといて。じゃ」
「り、理央ちゃん、待って!」
花凛が立ち去ろうとする私の腕を掴む。しかし、私はそれを冷たく振り払った。
「……ごめん」
なんとか振り絞った言葉を呟く。花凛の顔を見るのが怖くて、私は振り返ることもなく、足早にその場を後にした。
二人には悪いけれど、もうこうするしかない。このまま花凛のそばにいても、今の現状は変わらない。この三人の歪んだトライアングルを、一度フラットに戻さなければ。そのためには、私が抜けるしかない。いや、正直それはただの言い訳で、これ以上花凛のそばにいたくなかったというのが本音かもしれない。
その日は真綾と花凛から鬼のような電話とメッセージが来たけれど、電話に出る気もメッセージを返す気もさらさらなかったので、私は途中でスマホの電源を切った。静かになった部屋を見渡せば、本棚の上にマチモンの初ライブの時の写真が飾られている。まるで責められているような気がして、私は急いでその写真立てを伏せた。
「大丈夫」
前の時もそうだった。結局解散したけれど、その後ですぐ真綾と花凛とバンドを組めた。きっと今回だって、またすぐ別の誰かとバンドを組めるに違いない。そう思うのに。
「え……?」
泣きたくないのに、涙が勝手に溢れてくる。いくら手で拭っても、涙が全然止まらない。
「なんで……っ」
前の時は泣かなかったのに。解散しても、全然へっちゃらだったのに。なんで今こんなに苦しいの。なんでこんなに悲しいの。
私のこの問いに答える人は誰もいない。それでも、私は心のどこかでその理由を知っている気がした。