理央ちゃんの事故
理香ちゃんからの連絡をうけて、私達は教えてもらった病院へと急いだ。高校の最寄駅から病院までは汽車で三十分。移動中、誰も一言も話さなかった。ただ、理央ちゃんの無事だけを祈っていた。
診察終了時刻が迫っているからか、病院内は閑散としていた。そんな中を、三人の女子高生が走っていく。そして教えてもらった病室の前まで来た。四人部屋らしいけれど、ネームプレートには理央ちゃんの名前しか書いていない。私達はその扉を開け、そして一番奥のベッドへと駆け寄る。そして仕切られていたカーテンを開けた。
「理央ちゃん!」
「うわ、ビックリした」
理央ちゃんは、ベッドで上半身を起こした状態で驚いていた。右腕と額には包帯が巻かれている。
「花凛に真綾にさーやさんまで。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ。理香ちゃんから泣きながら電話があったの。理央ちゃんが車にはねられたって」
「車にはねられたぁ?」
「そうそう。それ聞いて、真綾と花凛ちゃんと一緒に大慌てで病院に駆けつけたってわけ」
「はあ、それはどうも」
「理央ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫もなにも、見てわからない?」
理央ちゃんはそう言うと、肩をすくめて苦笑する。どう見ても深刻そうな状態ではない。そう確認するように、私とさーやさんは顔を見合わせた。
「大丈夫そうだね」
「良かったぁ」
さーやさんがホッと安堵のため息をつき、全身の力が抜けてしまった私は、近くにあった丸椅子に座り込む。真綾ちゃんは立ったままだった。
「理央ちゃんが無事で本当に良かった。理央ちゃんにもしものことがあったら、私……」
「花凛……なんか心配させてごめん」
「本当人騒がせだよね。もっと瀕死の状態かと思ってたのに、全然元気じゃん。本当に車にはねられたの?」
「悪かったですね、生きてて。っていうか、そもそも私車にはねられてませんから」
「そうなの?」
「テスト週間中で寝不足だったってのもありますけど。自転車漕いでる途中でふと曲が思い浮かんでしまって。それに没頭してたら、路肩に止まってた軽トラにぶつかったんです。そんでバランス崩して転倒しただけです」
「でも、救急車で運ばれたんだよね?」
「それは、近くにいたおじいさんとおばあさんが、擦りむいて血を流してる私を見てパニックになっちゃって。大丈夫っていう私の制止を振り切って救急車呼んじゃったってだけです」
「そうだったんだ。でも、本当に軽い怪我だけですんで良かった」
「妹さんに連絡がいってるってことは、親御さんにも伝わってるんだよね?」
「もちろんです。さっきまで母が来てましたけど、今は着替えを取りに一旦家に帰ってます」
「入院するの?」
「今日だけね。特に異常は見られないから、明日には帰っていいって」
「だってさ。良かったね、花凛ちゃん」
さーやさんが私の肩をポンと叩いて微笑む。それを見てやっと安心できたのか、思わずうるっときてしまった。理央ちゃんが無事で本当に良かったと。
「んで、真綾はさっきから何突っ立ってんの?」
理央ちゃんが何も言葉を発しない真綾ちゃんへ声をかける。すると、やっとその口が少し動いた。
「…………った」
「は?」
「良かった……っ」
そう声を絞り出すと、真綾ちゃんは勢いよく理央ちゃんに抱きついた。
「ちょ、真綾っ」
「良かった、本当に生きてて良かった!」
「真綾、ちょっと大げさすぎ」
「理央ちゃん、死ななくて……本当に、良かった……っ」
「真綾?」
「真綾ちゃん?」
私も安心して泣きそうになったけれど、真綾ちゃんのは違う。本当に泣いている。それはもう、相手が瀕死の状態から生き返った時のような、そんな激しい泣き方。背中に触れると、その身体は小刻みに震えていた。明らかに様子がおかしい。
そのいつもとは違う真綾ちゃんの様子に、私と理央ちゃんは思わずさーやさんを見る。彼女はどうしたもんかと頭をポリポリ掻いていた。
「真綾、少し落ち着きな。理央ちゃん無事だったんだから」
「でも、でも……っ」
「理央ちゃんをよく見てみなよ。怪我は擦り傷程度だし、意識トリップさせてる間に止まってる車にぶつかっただけなんだから。まあ、普通の人なら絶対やらない事故だから、妹さんも車にはねられたって勘違いしても仕方ないし」
「すっごい悪意のある言い方ですね」
「そりゃあ少しくらい嫌味言ってもいいじゃない。生死を彷徨ってるくらい重症なのかと思ってわざわざここまで来てみたら、拍子抜けするくらい元気なんだもん。なんだそれって感じにもなるよ」
「べつにあなたに来てほしいと頼んだ覚えはありませんが。というか、なんでいるんですか?」
「んーとね、直前まで花凛ちゃんとデートしてたから」
「はあっ?」
「さ、さーやさんっ?」
確かに一緒にいたし、流れで悩み相談もしていたけれど。あれはけしてデートなどではない。そんな気持ちでさーやさんを見ると、彼女にニヤリと笑われた。
「花凛ちゃん、見かけによらず大胆だよねー。お姉さん、ちょっとドキドキしちゃった」
「お姉ちゃん、花凛ちゃんに誘惑されたのっ?」
「まあね。なかなか情熱的だったよ」
「花凛、どういうことか説明して! なんでよりにもよってあんな根暗でダメ人間真っしぐらなやつなんかとっ」
「うわー、理央ちゃん入院しててもえげつなーい。お姉さん泣きそう……」
「泣くくらいなら、いっそ死んでください。邪魔です」
「ひどいよ! 遠慮がなさすぎて立ち直れなくなりそうだよ!」
「もう人として終わってるからいいんです。それより花凛、本当は何してたの?」
「いや、それは……」
まさか悩みの種の張本人に、あなた絡みの相談をしてましたなんて口が裂けても言えない。たぶん、さーやさんはそこまでわかってて、理央ちゃんや真綾ちゃんの反応を見て楽しんでるんだろうけど。
このまま話がややこしくなるくらいなら、本当のことを話した方がいいだろうか。しかし、そんな私の考えなど、さーやさんにはお見通しらしかった。
「花凛ちゃんと約束したもんねー。今日のことは絶対誰にも言わないって。ね?」
そう言うと、さーやさんは人差し指で左頬をトントンと軽く叩いた。そこは私がキスをした場所。そう気付いた瞬間、カッと身体が熱くなった。確かに、これは誰にも言えない。
私のこの反応を見て、何かを察知した理央ちゃんと真綾ちゃんの動きがピタリと止まる。そして、殺気をまとった四つの目が一斉にさーやさんへ向けられた。さーやさんは「ひっ」と短い悲鳴をあげる。
「花凛に何しくさったんですか、このゲス野郎」
「えーと……理央ちゃん、敬語と単語のアンバランスがひどいよ?」
「お姉ちゃん、花凛ちゃんより私の方が何倍も何十倍もお姉ちゃんのこと愛してるのに、どうして花凛ちゃんに手を出すの? もしかして私の愛、お姉ちゃんに伝わってない?」
「いや、もう十分伝わってるから、痛いくらい伝わってるから。だから、そんな狩人みたいな目で私を見ないで!」
真綾ちゃんは怯えるさーやさんをジリジリと窓際に追い詰めていく。そして、さーやさんの背中が窓に付いた時、両手を伸ばして壁ドンし、完全に逃げ道を塞いだ。
「私、お姉ちゃんのためなら何だってできるよ。お姉ちゃんを傷付けるものは全部私がやっつけてあげる。誰かが欲しいっていうのなら、私のこの心も身体も全部お姉ちゃんにあげる。だからお願い、私から離れていかないで」
そう言うと、真綾ちゃんはさーやさんに抱きついた。
正直、真綾ちゃんのさーやさんに対するその過激な愛情に、思わず息を呑んだ。真綾ちゃんに出会って間もない頃と一緒だ。まるでお姉さんのためだけに生きているような、そんな危うさを今の真綾ちゃんにも感じる。ふと理央ちゃんを見ると、彼女も私と同じような顔をして二人を見つめていた。
この場に変な空気が流れ始める。それを断ち切ったのは、さーやさんの間延びした声だった。
「バーカ」
「え?」
「バカ真綾のバーカ。心配しなくても、私はあんたから離れないよ。だから安心しな」
そう言って、真綾ちゃんの頭を優しく撫でる。ついさっきまでふざけていたさーやさんが一変、それはお姉さんの顔つきだった。
なんなんだろう、この姉妹。知り合ってもう一年以上経つけれど、超がつくシスコンということ以外よくわからない。
「ふっ、ふっ、ふっ」
「ん?」
「引っかかったー!」
真綾ちゃんは突然そう叫ぶと、さーやさんを羽交い締めにした。
「ちょ、真綾っ?」
「さあ、理央ちゃん! 復讐するなら今のうちにだよー?」
「よっしゃ!」
何が起きたのかと混乱するさーやさんをよそに、理央ちゃんはベットから下りて、包帯の巻かれている右腕をグルグル回す。目はギラギラだ。
「真綾、さっきお姉ちゃんを傷付けるものは全部やっつけてあげるって言ったじゃん!」
「うん、言ったよ。でも、これはお姉ちゃんが花凛ちゃんに手を出した罰だから。悪い子にはお仕置きしないとね」
「そんな天使のような無垢な笑顔で言わないで!」
さーやさんはなんとか抜け出そうともがくが、バンドのために体力をつけている真綾ちゃんにはかなわない。その間にも、不敵に笑う理央ちゃんが間合いを詰めていく。
「安心してください、さーやさん。傷は見えないところにしておきますから」
「問題はそこじゃないよ! 花凛ちゃん、二人を止めて!」
「理央ちゃん、ダメだよ! 傷が悪化しちゃう」
「いやぁ、サラっと見捨てないでぇ!」
ぎゃあぎゃあと四人の女子高生が病室内で騒ぐ。もちろん、さすがに誰も気付かないというわけにはいかなかった。
「静かに!」
耳をつんざくような女性の怒声に、四人の動きがピタリと止まる。一斉に視線を向けると、年配の看護師さんがこちらをキツく睨んでいた。
「他の患者さんもいるんです。病院内ではお静かに!」
『はい、すみません……』
四人ともがシュンとなって謝ると、看護師さんは鼻息荒く帰っていった。すると、急に病室内が静かになる。ため息をついたのは、理央ちゃんだった。
「さーやさんのせいですよ。あなたが花凛に手を出すから」
「無茶苦茶な繋げ方だね。まあ、いいよ。私が悪かったです。理央ちゃんも人殴れるくらい元気があるなら大丈夫でしょ。ね、真綾」
「……そうだね」
「当たり前です。あなたと一緒にしないでください」
「お詫びに、何か飲み物奢ってあげるよ。真綾も一緒に行く?」
「行く!」
さーやさんはそう言って、腕に巻き付いてきた真綾ちゃんと一緒に病室を後にする。すれ違う瞬間、目が合うとウインクされた。それを見て、もしかしてという考えが浮かぶ。
「ったく、あの人何考えてんだか」
「もしかして、空気を変えるためかな? 真綾ちゃん励ますために」
「はあ? あの人にそんな上等な思考回路備わってないでしょ」
「でも、実際真綾ちゃんはいつも通りに戻ったよ」
「それは……」
あんなに不安定に泣いていたのに。きっと、私達だけでは上手くなだめてあげられなかったんじゃないだろうか。身体を震わせてまで悲しむ彼女を。そう考えると、さーやさんはただの変態ではなく、気の遣える優しいお姉さんなんだと思う。たぶん、それは理央ちゃんも分かっているはずだ。
「まあ、あの人意外に周り見てるからね。完全否定できないのが悔しいわ」
そう言って肩をすくめると、理央ちゃんはゆっくりとベッドに戻った。すると、病室には私と理央ちゃんの二人だけになる。
しばらく無言が続いた。ここに来る前に理央ちゃんの話をしていたからだろうか、変に意識してしまって、何を話したらいいかわからない。そんな戸惑う私を知ってか知らずか、最初に口を開いたのは理央ちゃんだった。