花凛の悩み
私は今、非常に困惑している。
「よし、ちょっと休憩しよ」
「はーい」
学校の音楽室。理央ちゃんの号令で、三人とも楽器から離れ、飲み物やタオルを置いた机の周りへと歩いていく。一番最後は私だった。
「はい、花凛タオル」
「ありがとう」
理央ちゃんからタオルを受け取る。すると、真綾ちゃんがぷうと頬を膨らませた。
「理央ちゃんズルい。花凛ちゃんにだけ優しい」
「そりゃそうでしょ。好きな人に優しくして何が悪いの?」
「悪くないけど。私にも優しくしてよ」
「十分優しくしてるじゃん」
「足りないよ! 花凛ちゃんとすごい差があるんだけど」
「私の優しさはすべて花凛のためにあるの。少しでも分けてもらえるだけありがたいと思え」
「何それヒドイ! 花凛ちゃんからも何か言ってよ」
「え?」
突然振られて、私は理央ちゃんを見た。彼女は私と目が合うと、とても柔らかく微笑む。その笑顔の眩しさに、私は思わず下を向いてしまった。
「あ、花凛ちゃんが照れてる」
「それはけっこう。もっと意識してもらわないと」
「攻めるねー」
「今までずっと胸の内に押し殺してきたからかな、好きな人に好きって言える解放感と快感がすごくて。好きって気持ちを我慢できないの」
「……なんか変態っぽい」
「お前が言うな」
確かに、超が百個付いても足りないくらいのシスコンである真綾ちゃんは、はたから見たらなかなかの変わり者かもしれない。
「それはそうと、真綾また新しいリストバンド買った?」
そう言って、理央ちゃんが真綾ちゃんの左手首に付いているリストバンドを指さす。ピンク地の真ん中に真っ赤なハートが刺繍してあるそれは、確かに初めて目にする柄だった。
理央ちゃんから聞いた話だと、真綾ちゃんは中学三年の時に転校してきてから、ずっとほぼ毎日左手首にリストバンドを付けているらしい。
真綾ちゃん曰く、
「お姉ちゃんがね、リストバンドで汗を拭う仕草がカッコイイって言うから付けてるの」
だそうだ。それだけの動機で毎日付けていられるのは、ある意味すごいと思う。
理央ちゃんの指摘に、真綾ちゃんは待ってましたと言わんばかりに、リストバンドを私達の前にかざす。そして、それに嬉しそうに頬ずりし始めた。
「この前のテレビ中継を頑張ったご褒美に、お姉ちゃんが買ってくれたの。しかもハート付きだよ? これはもうお姉ちゃんの私に対する愛そのものだよね」
「キモい」
「なんでよ! 理央ちゃんだって、花凛ちゃんからプレゼントもらったら嬉しいでしょ?」
「嬉しすぎて、なくさないように金庫に厳重に保管する」
「なにその国宝級の扱い。キモい通り越して怖いよ」
「どこが怖いのよ! あんたの度が過ぎたシスコンの方が怖いわ。シスコン公害罪で訴えるぞ」
「え、そんな罪あるのっ?」
「あるか、ボケ!」
そう叫ぶと、理央ちゃんは勢いよく真綾ちゃんの頭を叩いた。真綾ちゃんはというと、「いったーい」と涙声になりながら頭を押さえている。私は何もできず、ただオロオロしていた。
「うわ、真綾のせいでさっきの気持ち忘れそう。メモしとかないと」
理央ちゃんは、痛がる真綾ちゃんを無視してノートを開いて何やら書き始めた。たぶん、年末に出演するライブの曲作りメモだろう。私も真綾ちゃんも曲を作ることはあるけれど、マチモンの曲は圧倒的に理央ちゃんの作ったモノが多い。それだけ彼女には才能があるということだ。
「ふあ……」
メモし終えた理央ちゃんが欠伸をする。そういえば、朝からずっと眠たそうだった。私は心配になって声をかける。
「理央ちゃん、大丈夫?」
「ありがとう。なかなか曲作りが進まなくてね、さすがにちょっと疲れたかも」
「この時期、学園祭も多かったからね。県内だけじゃなく、土日は近県の大学の学園祭なんかも回ってたから、休みなんてほとんどなかったし。疲れてても仕方ないよ。実際、私は疲れてるし」
「花凛は大丈夫? 疲れてない?」
「うん、私は大丈夫」
「そう、なら良かった」
「だーかーらー、私も労ってよ」
「あんたは元気が有り余ってるから疲れてるくらいがちょうどいいの。どうせ寝れば百パーセント回復するんだし」
「なんか、バカにされてる気がする」
「褒めてんの。わー、真綾すごーい」
「棒読みっ? 全然思ってない!」
理央ちゃんと真綾ちゃんは、再びわいのわいのと言い合いをする。それがあまりにもいつも通りで、なんだか微笑ましくなった。
二週間前、真綾ちゃんが歌わないというトラブルがあって、それで理央ちゃんと真綾ちゃんがケンカして、その後理央ちゃんがバンドを辞めると言い出したりして。一時はどうなることかと思ったけれど、結局丸く収まって、前みたいにみんなで演奏できるのが嬉しい。
「あ、花凛ちゃんが笑ってる。理央ちゃん、笑われてるよ」
「笑われてんのは真綾でしょ。あー、あんたとしゃべってると益々疲れる」
理央ちゃんは目頭を押さえてマッサージする。どうやら、本当に疲れているらしい。
「理央ちゃん、私に手伝えることがあったら何でも言って。歌詞や曲作りでも、肩叩きとかでも何でもするよ」
私にできることは限られているけれど、それでも何かしてあげたい。私が真剣にそう言うと、理央ちゃんは「何でもねぇ」と呟いた後、ニヤリと笑った。
「じゃあ、私のこと好きになって。そしたら疲れなんて吹き飛んじゃうから」
「え……えぇっ?」
あまりにもストレートに言うものだから、私の身体はカッと熱くなった。
「おぉ、理央ちゃん天然たらし」
「たらしじゃないし。攻めてんの。言ったでしょ、本気で落とすって」
「そ、そそそそれは……っ」
「あ、ごめん電話だ」
あわあわする私を置いて、理央ちゃんはスマホを手に席を立つ。それを確認して、私はホッと大きく息を吐いた。
解散危機から約二週間、私はほぼ毎日理央ちゃんからのラブコールを受けている。理央ちゃんが辞めると言い出した原因は、真綾ちゃんのことを好きな私がこれ以上傷付くところを見たくないから、ということだったらしくて。真綾ちゃんに告白して振られたと私が伝えると、今度は理央ちゃんから告白を受けてしまった。それ以来、ずっとこんな感じが続いている。
「花凛ちゃん、大変だね」
「真綾ちゃん、人ごとみたいに……」
「でも、あの県内一の美少女と言われている理央ちゃんの攻撃を、この二週間かわし続けてる花凛ちゃんもすごい」
「べつにかわしてるわけじゃないんだけど」
ただ、どう返していいのかわからずうろたえているだけだ。そんな私の様子を見て、真綾ちゃんがひょいと顔を覗き込む。
「でもさ、嬉しくない? 人から好きって言われるの。私は嬉しかったよ」
そう言って、屈託のない顔で笑う。それを見て、私は思わず苦笑した。
少し前まで、この人のことが好きだったのに。この笑顔を見るだけで、嬉しくなったり、胸が苦しくなったり、色々悩むことが多かったのに。振られて吹っ切れたのかどうかは、正直まだよくわならない。それでも、今またこうして笑い合えていることが嬉しかった。
「ちょっと近すぎ。真綾離れて」
「心が狭いなぁ、理央ちゃんは」
いつの間にか電話の終わった理央ちゃんが、真綾ちゃんを押しのけながら戻ってくる。
「電話誰から?」
「花さんから。ライブのお誘い」
『おぉ!』
花さんというのは、私達が月に一度ライブをさせていただくライブハウスの女性オーナーだ。何でも、私達の学校の卒業生らしく、去年の六月の文化祭の時に私達の演奏を見て一目で気に入り、それ以来自分のライブハウスに私達をよく呼んでくれるようになった。年末ライブのイベントも、花さんからオファーがあったので出演を快諾したのだ。ちなみに、花さんは県内外問わずこの業界では顔が広いらしく、私達も花さん経由で別のライブイベントにちょくちょく参加させてもらったりしている。学園祭ライブもその一つだ。
「いいね、ライブやろうよ」
「それがさ、その日ちょうどテスト週間なんだよね。だから、学業優先で断った。ごめん」
理央ちゃんがそう言ってごめんのポーズを取る。真綾ちゃんはしおしおと椅子に座った。
「そっか、それなら仕方ないね」
「あの、なんかごめんね。私のせいで」
「花凛ちゃんのせいじゃないよ」
「そうそう。これは真綾のためでもあるから。次赤点取ったらボーカルから外す」
「そんな殺生なっ」
真綾ちゃんが理央ちゃんに泣きながらすがりつく。そんな二人の様子を見ながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私が両親にバンド活動をしたいと打ち明けた時、学業を優先させるという条件でオッケーをもらった。二人ともそのことを知っているから、テスト期間中はライブを避けてくれている。でも、本当はライブしたいんだろうなということは二人から伝わってきていた。もちろん私ももっとしたいけれど、大好きな両親を裏切るようなことはしたくない。マチモンの認知度が上がる度、私はそんな悩みを持つようになっていた。
「そろそろ暗くなってきたね。もう一回通しやったら帰ろっか」
「そだね」
「……うん」
二人は、将来のこととか考えているんだろうか。理央ちゃんは、出会った頃からメジャーデビューすると宣言していたし、真綾ちゃんはライブに対してすごく真剣に向き合っている。
では、私は? 勉強も大事、バンド活動も大事。そんなどっちつかずの私は、二人の邪魔をしていないだろうか。