於曾方市志津根3-17 築35年/アパート1LDK バス停志津根屋敷西徒歩10分/自社
アパートの二階、はしから二番めの部屋。
冬崎 哲也は、屋内からドアを開けて共同通路をうかがった。
コツコツコツとヒールの音をさせてOLふうの女が通路を歩いていく。
アパート横にある階段にさしかかると、同じ歩調でコツコツコツ、と階段を降りて行った。
バタンとドアを閉めて屋内へともどる。
玄関口からつづくフローリングの水場と六畳のたたみの部屋にまたがるようにして、たったいま殺したばかりの知人の遺体が横たわっている。
動機は借金だ。
借りた金が返せないまま額が膨らみつづけ、いいかげん返せと詰めよられた。
「こっちは氷河期なんだ、金なんかあるか」と怒鳴りつけたら、「こっちも氷河期だ、金ないとこ貸してんだよ」と返された。
相手もカツカツなのは知っていたが、正論にカチンときた。
贅沢がしたいわけじゃない。
金がないのは、度をすぎれば命にかかわる。
必要な栄養もとれずバランスもかたより体を壊しがちになる。
しかし体を壊してもなかなか医者にかかれない。
ほんとうに金がない状態では、健康のための最低限のケアすらままならなくなる。
生命の危険を感じれば追いつめられて逆上するのは、けっきょく人間も動物と同じだ。
コツコツコツ、とヒールの音が遠ざかった。
室内にかけられたアナログ時計を見る。
午前八時三十八分。
どの部屋から出てくるのか確認したことはないが、あのOLが毎日この時間ピッタリにここを歩いていくのはなんどか来て確かめた。
アリバイづくりに利用できるのではと考えた。
知人の遺体はつぎの日に訪ねてきた親戚に発見され、警察が捜査中と報道された。
殺したときには念のためゴムの手袋をつけていた。
そもそも指紋やDNAを検出できるようなものが見つかっても、なんどか訪ねてきているのだ、そのときのものだということでごまかせるだろう。
それでも細かい見落としはないか、つい気になって哲也は警察の鑑識係が捜査する現場をうかがいに来てしまった。
アパート敷地の一角から、知人の部屋の開けられた玄関をながめる。
警察関係者が代わる代わる出入りしていた。
「ご友人ですか?」
横から声をかけられる。
いつの間にこんな近くにいたのか。黒いスーツに黒いネクタイをつけた二十五、六歳ほどの青年が話しかけてきた。
知人の部屋に出入りしていたのを見られていた可能性もある。無関係と答えたら、むしろ怪しまれるかもしれない。
ウソをつくときは真実を少し混ぜるといいとか何とかよくいわれるが、経験からもっともだと思う。
「知人っていうか、むかし同じ会社にいて。えっらいブラックなとこだったんだけど」
哲也は苦笑いしてみせた。
「報道を見ていらしたんですか?」
「うんまあ、そんな感じ」
哲也は答えた。
「お兄ちゃんはあいつの親戚か何か? それ喪服?」
そう尋ねる。
「いえ。これはほかのかたのための喪服でして」
「……へえ」
べつの葬式に行く途中ってことか。縁起でもない兄ちゃんに会っちゃったなとちょっと思う。
「あの部屋のかたとさいごにお会いしたのはいつでした?」
「きのうかな」
哲也は答えた。
「あそこと同じ階でさ、毎朝決まった時間に出かけるOLさんいるじゃない。あの人の足音二人で聞いて、ああきょうも会社なんだね、がんばってるねなんて話しててさ――殺されたのそのあとってことだね。帰らきゃよかったな」
哲也はそう語った。
「あの階のOLさんですか……」
青年が二階のはしのほうの部屋をながめる。
そこがあのOLの部屋なんだろうか。
「まあ、警察さんにも同じように答えたけど」
「警察は何ておっしゃってました?」
青年が問う。
「ふぅん、って。真犯人とはぜんぜん関係ない証言だったかね」
哲也は、ハッと息を吐いて笑った。
「いえ、あんがい警察は見当をつけられるかも」
青年がそう返す。
ただの警察への信頼から出た言葉だろうか。哲也は少々焦りながら青年を横目で見た。
「あの階、被害者のお部屋以外はすべて空き部屋なんですよ」
青年が言う。
「ああ、申し遅れました。僕こういう者で」
青年が内ポケットをさぐり名刺入れをとりだす。
名刺を一枚を抜いてこちらに差しだした。
「華沢不動産 事故物件担当 華沢 空」と表記されている。
不動産屋か。おそらくここを管理している。
いやな気分になって、哲也は眉間にしわをよせた。
「あのOLさんは僕が担当しているお部屋にいるかたでして、十年ほどまえに共同通路で脳出血で亡くなったかたなんです」
言いながら不動産屋が内ポケットに名刺入れをしまう。
「被害者のかたには、毎朝八時三十八分に足音がするのでご迷惑をおかけするかもしれないむねご案内したんですが、しばらくしてうかがうと、まったく聞こえないと答えていらして。――霊感の有無なんでしょうかね」
哲也は不動産屋を横目でにらんだ。
これを警察で証言されたら。
さいわい相手は自分よりも細身だ。ふいをついて思いきり殴打すれば。
哲也は、あたりを見回した。
花だんの一角に、きちんと埋められないまま放置されているコンクリートブロックが二、三個転がっている。
すばやくかがんでそれを拾った。
不動産屋に向けてふりあげる。
不動産屋の姿は消えていた。
終




