椀間市布荷見西4-6 築17年/1K6 フローリング/南向き バス停荷見西徒歩5分コンビニ近く/自社
「──え?」
夜九時半。
あす実家に帰るまえにと地元の友人、碓氷に通話をかけた双海 航也は彼が切りだした話に目を丸くした。
「うちの親が?」
「──まだ連絡行ってないか。きのう町内の公園掃除中にいきなり半狂乱になって暴れだしてさ。近所の人が何人かで取り押さえたんだよ。ニュースとか……こんなくらいじゃ報道しないか」
碓氷がため息をつく。
航也は、アパートの天井をなにげに見上げた。
年末年始やお盆休みは、ここ一、二年バイトばかりで地元にほとんど帰らなかった。
ひさしぶりに日にちを取って帰るので、地元の高校時代の友人と遊ぶ約束でも取りつけようかと通話をかけたところなのだ。
なのに、何だこの話。
理解が追いつかない。
「うちの親──そろって? え、何が原因?」
航也は困惑して前髪をかきあげた。
「──病院に搬送されたけど、まったくの原因不明だってさ。近所の年寄りがお狐さまとか悪霊とか言い出してさ、何かマジでそっちかって空気になってるとこ」
「お狐さま……悪霊? いやいや」
航也の実家は高度成長期に開発された住宅地だ。
住んでいる人たちは居住してからそろそろ半世紀になる人も多いとはいえ、もともとはちがう地域や県から移住してきた人が多い。
お狐さまだの悪霊だの、土地の古くからの言い伝え的なものを知る人はたぶんいない。
「どっから出てきたの。そのお狐さまとか悪霊って」
「──さあ。ともかく、ざっくりそういうもののたぐいって意味じゃないかと思うけど」
碓氷が答える。
「ちょっ、いや何それ。半狂乱か。どうしよ、何からどうしていいのか。とりあえず実家に通話かけてみる」
「──俺いちお、おまえん家に行ったけど誰もいなくね?」
碓氷が言う。
「うちの姉ちゃん帰省してなかった?」
「──誰もいなかったよ」
碓氷が答える。
航也は眉をひそめた。
「お盆まえに有給とって早めに帰るって言ってたんだけどな。どこ行ってんだろ、あのバカOL」
航也はつぶやいた。
「──会社の人とのつきあいとか何かあるんじゃないの? 俺も知らんけど」
「ああ……万博行きたいとか言ってたからな。そっち寄ってから来んのかな」
そうならそうと言っとけと航也は内心で詰った。
「──万博だったらしばらく帰れないんじゃないの? 最寄りの地下鉄が運転見合わせしたんだっけ。来場者がみんな帰宅困難者だってさ」
「まじ?」
「──まじだよ。ネットのニュース動画で出てる」
「ああもう」
航也はイライラと声を上げた。
「とりあえず、いまからバスで駅行ってそっち向うわ。最終くらいは間に合うだろ」
航也はテーブルの上に置いたデジタル時計を見た。
「──そういうことになるだろうと思ってさ。いまそっちに車で向かってる」
「は?」
航也は目を丸くした。
「え……車?」
「──買ったの。おむかえ行ってやる」
「あ……ありがと」
話のながれに違和感を覚えたが、いやいやありがたいと思うべきだろと自身の直感をさえぎる。
「ついでにお祓いできるとこに寄ろ。いい寺知ってるから」
「あ、うん」
まるで用意していたかのようにスムーズだなと思う。
頭のかたすみでチラチラと引っかかる感じを覚えたが、具体的にどこがおかしいかというと決定的なものはない。
地元の両親の様子をいちはやく知った友人が、気遣っていろいろ用意してくれた。
そういうことでおかしくないよなと思う。
「──いまおまえのアパート着いたから」
碓氷がそう告げる。
「え、早いな」
航也はアパートの駐車場の方向を見た。
地元から車で二時間ほどかかるはずだ。何時ごろ出たんだ。
「──いまおまえの部屋に行くとこ。二階のはしの部屋だっけ」
「あ、うん」
航也は答えた。
住所まで教えてたっけと訝しんだが、碓氷にはなんどか通話している。たぶんどこかの時点で部屋の位置を伝えていたのだろう。
「──いまおまえの部屋のまえ。出てきてくれる?」
「あ、おう」
航也はスマホを耳にあてたまま玄関口に向かった。
ピンポーンと玄関の呼び鈴の音がする。
「いま開ける」
「こんばんは。華沢不動産の者です」
玄関の鍵を開けようとして、航也は手を止めた。
どういうことだと思う。
碓氷が部屋まえまでたどりついたところで不動産屋と鉢合わせしたということだろうか。
この部屋を契約したときに名刺をくれた事故物件担当の人だなと航也は思った。
事故物件は夜中にとつぜん退去を申し出る人がいるとのことで、いつも夜に様子を見にくる。
いちどに来客二人か。バタバタしてんなと航也は思いつつドアを開けた。
「こんばんは」
「チッ」
ドアのまえにいたのは、華沢不動産の事故物件担当者ひとりだった。
いつも黒いスーツを着た二十代半ばくらいの人で、名刺にあった名前はたしか華沢 空。
ドアを開けた瞬間に舌打ちの音がしてほそい煙のようなものが見えた気がしたが、碓氷はどこだ。
「スマホ確認していただけますか。たぶん知らない番号にかけていると思います」
不動産屋がそう告げる。
「え? いや地元の友人に……」
航也は手にしたままのスマホを見た。画面には、番号は表記されているが相手の氏名はない。
「あれ? 電話帳からかけたのに……」
「ここの部屋で亡くなったかたはとくに何も起こしたことはないんですが、近くのお寺にいるとある男性の霊が、お盆期間にこちらに戻ってくるとかならず道づれを欲しがってここのアパートの住人にウソの通話をするんですよ。なので毎年張ってるんですが」
「はあ……」
航也はスマホの画面をじっと見つづけた。
理解が追いつかない展開とじわじわとくる恐怖とでつぎに何をしていいかが分からない。
「毎年張ってるんですか……たいへんですね」
とりあえずそう返してみる。
世間がお盆やすみなのにこんな時間帯まで業務かとか、そうか両親の話はウソだったかとか脳内がぐるぐると回る。
「これから帰省ですか?」
不動産屋が尋ねる。
「えと……あした帰ろうかと」
「そうですか。お気をつけて」
不動産屋が会釈をして立ち去る。
航也はスマホの画面をじっと見つめつづけた。
終




