朝石市引千木3-6 築11年/アパート1K8.67㎡ コンビニ徒歩5分バス停 引千木西徒歩8分 自社
「一生懸命作りました。食べてください」
夏川 湊太は、大学から帰ったところをアパートの部屋の玄関前で呼び止められた。
アパート向かいの一軒家から出てきた女性に大きな皿を差し出され、つい顔をしかめる。
丸顔に大きな目。
見た目はとてもかわいい。
年齢は二十歳と聞いたが、無邪気にいつもニコニコと笑いかけてくる。
アパート向かいの一軒家は、けっこうな豪邸だ。
お嬢さまなんだろうなと思う。
数年前、この子は救急車で運ばれ急死したと聞いた。
つまり幽霊が毎日アパートの部屋のまえで待ちぶせて料理を差しだしてくる。
この部屋のまえの住人も、そのまえの住人も、全員これをやられたとのことだ。
自宅からいちばんドアの位置が近いこの部屋の住人に、ともかく料理を食わせようとする。
ある意味で特殊なタイプの幽霊物件だ。もちろん不動産の事故物件担当者からも契約時に聞いていた。
事故物件とおなじ扱いで家賃が安かったのと、屋内に出没されるわけじゃないというので気にせず賃貸契約したが。
「一生懸命作りました」
女性がニコニコと皿を差しだしてくる。
「ああ……うん。夕飯のときに食べますから」
湊太は顔を引きつらせながら受けとった。
「ありがとうございます」
女性が何かを期待しているように目を丸くする。
何を期待しているのか、さっぱり分からない。
この子の身内に聞いたら分かるのかもしれないが、この子の急死以降、両親の仲がギスギスしてとうとう離婚して二人とも向かいの家を出ていってしまったとのことだ。
残っているのは認知症かと思われるお祖母さんのみ。
料理の食材の出どころはすぐに分かったが、何がしたいのかは聞いて分かるのかどうか。
「あの……きのうの料理も、おいしかったです」
湊太は口元をひきつらせながら告げた。
女性が無言で丸い目をこちらに向ける。
大ウソだ。
この毎日わたされる料理は、異次元レベルでまずい。
なぜか味も匂いもいっさい皆無の肉じゃがだとか、食感が消しゴムそっくりのカボチャの煮つけだとか、どう食っても白玉団子としか思えない煮凝りとだとか、まずいという以前にどうやって作るのかが不思議になる料理ばかりなのだ。
生前からこんなの作ってたんだろうか。
それとも霊体になって味見ができないからおかしなことになっているのがよく分からないとか。
単純に煮たり焼いたりしてもそうそう失敗のなさそうな食材が、ことごとく説明のつかない状態になってるのがまずふしぎだ。
「じゃ」
そう告げて部屋に入る。
これを捨てることもできない。ゴミにまじっているのをもし見られたら呪われそうで怖い。
かみすぎたガムみたいな味ゼロの料理や、消しゴムみたいな食感の料理に、何とか塩やマヨネーズで味つけして完食する。
もしかしたらふつうの事故物件より過酷かもしれない。
午後十時。
玄関の呼び鈴が鳴った。
ここを管理している華沢不動産の事故物件担当の人だ。
事故物件は夜中にとつぜん退去したいと言い出す人がいるので、夜にいちど様子を聞きに回っているとのことだ。
奏太の住む部屋は人が死んだわけではないので世間一般でいう事故物件とは少しちがうのだが、環境的な問題のある瑕疵物件ということでやはり様子を見にくる。
「こんばんは」
玄関のドアを開けると、黒いスーツをきちんと着た二十五、六歳ほどの男性が立っている。
夜でもむし暑い季節なのに暑くないんだろうかこの人と奏太はいつも思う。
契約時にもらった名刺には、たしか「華沢 空」と氏名が表記されていた。
「問題はありませんか?」
「……まだ異次元料理くってる最中です」
奏太は答えた。
ちゃぶ台の上の大皿には、大根の煮物を装った消しゴム食感で無味無臭の何かがまだすこし残っている。
「これ以外は問題ないからまあいきなり逃げだしたいってのはないですけど。いったい何がしたいんですか、あの幽霊」
「僕も話したことはないのでよく分からないんですが……」
不動産屋が、茶封筒を持った手をゆるく組みながら向かいの一軒家の方向を見る。
話したことはって、事故物件の幽霊と話すんだろうかこの人。
さすが事故物件の担当者となるといっぱしの霊能力持ちだったりするのか。
「何かを期待してるような顔いつもするんですけど」
「期待ですか」
不動産屋が復唱する。
「料理の感想をお聞きしたいのでは?」
「いつもおいしかったって言ってますけど」
「それでもくりかえすんですか……」
不動産屋がつぶやく。
「では、いっそまずいと言ってみるとか?」
奏太は目を丸くして不動産屋の顔を見た。
「……呪われませんか、それ」
「呪いはあまり詳しくないので、すみません」
不動産屋が少々ズレたことを返す。
「いやでもそれ試して……もし解決したら家賃上がります?」
「いままでご迷惑をおかけしているので、夏川さんに関してはそのつもりはないですが」
不動産屋が答える。
「もし試してみて夏川さんの身に万が一何かあった場合、こちらのお部屋はこんどこそほんとうに事故物件ということになるので、僕としては現状そんなに変わらないなと」
奏太は眉をよせた。
何かものすごく合理的なことを淡々と言うなこの人と思う。
「一生懸命作りました。食べてください」
夕方。
大学から帰ってアパートの玄関ドアを開けようとした奏太に、また女性の霊が
話しかける。
きょうは大きな芋煮用のナベを差しだした。
中にはすまし汁のような料理がたっぷりと入っている。
「すまし汁ですか?」
奏太は問うた。
「シチューです。一生懸命作りました」
女性が答える。
ほんのすこし油が浮いているがナベ底まで見える澄んだ汁物。油あげやネギのかけらや干しシイタケのようなものが、ごく少量沈んでいる。
どうみてもすまし汁のカテゴリーだと思う。
ただよう匂いからすると、化学調味料がドバドバ入っていそうだ。
「あの……霊体になると味見とか難しいのかもしれないけど」
奏太は切りだした。
「いちど味覚とか嗅覚とかうたがったほうがっていうか。あの、いまさらだろうけど変な意味じゃなくて」
女性がナベの取っ手を両手で持ったまま目を丸くしている。
「そういうのいろいろ体調不良にもつながるっていうし。――霊は分かんないけど。つか俺もきょういきなり大学の図書館で調べてきたニワカ知識だけど」
女性はすまし汁の入ったナベを持ったままだ。
重くないのかなと思ったが、そういえば幽霊だった。
「何ていうか、亜鉛? とか鉄分とか、あとビタミンとか不足すると味覚がおかしくなるとかって。――いやあの、あなたの料理がどうこうってんじゃなくて」
「わたしの料理、変な味ですか?」
女性がナベを持ったまま尋ねる。
幽霊と知ってても重くないのかなと奏太はハラハラしてしまった。
「やっぱそうですよね……生前みんな変な顔して食べてましたもん」
女性がすまし汁的なものを見つめて涙をこぼす。
「わたし死んじゃってから、味とかの感じかたが変だったのが病気のサインってことだったんじゃないかなってすごく思っちゃって」
女性がはらはらと涙をこぼす。
「だれかが、まずいって言ってくれたら気づけたかもしれないのにって思っちゃって」
ぽろぽろと涙がこぼれたが、すまし汁的なものには入らず素通りしていく。やはり幽霊なんだと奏太はあらためて確認してしまった。
「でもみんな、おいしいよおいしいよって言って食べてるから」
ガランッと大きな音がした。
ナベが地面に落ち、すまし汁的なものが地面にぶちまけられる。
俺が掃除するんだろうかこれと奏太は見下ろした。
女性は消えていた。
成仏したということなんだろうかと思った。
終




