椀間市布荷2-10 築31年/アパート1K・6/南向き 自社
アパートの六畳たたみ敷きの部屋。
鮎川 詩織は、白い着物に深紅のはかま姿で入室した。
塩の入ったパッケージ袋をこわきに抱え、キッと窓をにらみ据える。
ここに住むのは、二十代中盤ほどの男性の霊。
夜な夜な「おやすみなさい」と住人の女性に声をかけ、朝は目を覚ましてくれるまで起こし、朝のしたくに気を取られてコンロのガスをつけっぱなしにしていた住人にそのむねをスマホのメールで知らせ、仕事に行っているあいだは留守番として迷惑な訪問者を撃退してくれるなどなど住人を恐怖に落とし入れている存在だ。
高校卒業まぎわに読んだオカルトマンガに感銘をうけて霊能者になると心に決めて一年。
自己流だが、大学に通いながら修行もしていた。
滝に見立てたシャワー修行なんて、なんどカゼをひきそうになったことか。
霊に悩まされている人を救いたい、その一心だ。
SNSで「霊のなやみごと無料で解決します」とポストしたら、さっそくここに住む女性がリプをくれた。
いわく、「借りてる部屋が事故物件で、男の人の幽霊いるらしいw いつも朝起こしてくれんのw」とのことだ。
「w」をつけているのは、とてつもない恐怖のうらがえしだと詩織は解釈した。
人って、あまりの極限状態だとむしろ頬を引きつらせて笑ったりするじゃない。
詩織はさっそく女性に連絡先を教えてくれないかとリプ返した。
そこでやり取りが途切れるかと思いきや、女性は捨てメアドを伝えてきた。
よほど怖い思いをしてるんだ。詩織はそう思い覚悟を決めた。
窓を走った影が見えた気がする。詩織は窓をにらみすえた。
「そこっ! その窓のところに霊がいます!」
詩織はビシッと窓を指さした。うしろでたばねた長い黒髪がゆれる。
「いえこっちだけど」
男性の声が横から聞こえる。
「あの、横でチャラい人がピースしてるんですけど……」
住人女性が部屋の入口でおずおずと口を開く。
詩織はゆっくりと横を向いた。
そんな気もしていた。どちらだろうと思ったのだ。二ヵ所にビンビンとなにかを感じていた。
「動きがはやい霊なんです、きっと。よほどのパワーを持っていると見受けられます」
「いやずっとここいたけど」
男性のクスクスと笑う声が聞こえる。
詩織は気配のするほうを睨みつけた。
「笑っているの……分かりますか? いまあなたに襲いかかろうとじっと狙っているんです」
「いえ横でパラパラ踊ってますけど……」
女性が言う。
パラパラってなんだっけ。
むかしのアニメのOPで主人公が踊ってたりしてるやつだっけ。
たしか独特のふりつけで腕だけ動かしてるやつ。
ハッと詩織は目を見開いた。
「裏拍手です! パラパラなんかじゃない! あなたを呪っているんです! 気をつけて!」
詩織は、住人女性のほうをいきおいよくふりむいた。
「ねえねえ、かわいいよね。本職の巫女さん? それともコスプレ?」
横からチャラい男の声が聞こえる。
詩織はもちろん無視した。
通販で二千七百六十円、送料無料で買った衣装だなんて言ったらナメられる。
祓われるまいとこちらにねらいを向けはじめたんだ。小癪な、と詩織は唇をかみしめた。
「わたしのこともいっしょにあの世に引きずりこもうと手をのばしてきました……地獄へ来いと言ってます」
「俺の地元のシーパラダイスってとこ行かない? お魚きれいだよ」
横から声が聞こえる。
「この人、シーパラダイスってわたしにも言ってきましたけど」
住人女性が宙を見上げて眉をよせる。
「聞いちゃだめ!」
詩織は声を上げた。
「罠です。甘い言葉であなたをだましているんです」
「あーなるほど。チャラ男って死んでもチャラ男なんですねえ」
住人女性が納得したようにうなずく。
「悪霊め。いま祓ってあげる」
詩織は持ってきた塩のパッケージ袋に手をつっこんだ。
袋のなかで大きく手を広げ塩を握れるだけ握る。
「百円ショップの瀬戸内海の塩じゃーん。俺も生前それ使ってたあ」
塩をのぞきこむような位置から男の声がする。
「なんかこのかた、チャラいわりにマメな人だったらしくて、台所の収納場所にぬか床置いてたんですよねえ。わたし思わずネットでぬか床のことググって引きついで使っちゃってるんですけど」
住人女性が部屋の入口にしゃがみこむ。
落ちつきはらって休憩したように見えるが、きっと腰が抜けたんだと詩織は思った。
「よくいままでがんばったわね。もうそのつらい生活も終わりよ」
「うーん、たしかにぬか床あると旅行も行けないんですよねえ、それつらい。でも漬けたやつおいしいし。ユーチューブで配信したらちょっとだけど収益あっちゃったし」
女性がそう語る。
詩織は、パッケージ袋のなかで塩を握った手に力をこめた。幽霊に塩を投げつけようとねらいを定める。
「悪霊退散!」
「あのう、すみません」
玄関口からノックと呼びかけの声がする。テノールのおだやかそうな声だ。
「あ、たぶん不動産屋さんの声だと思う。――はぁい」
住人女性が立ち上がり玄関口に向かう。
「動画撮影ですか?」
玄関口からそんなふうに聞こえる。
「きょうは特別編。ぬか床つくったチャラい霊にかわいい巫女さんが会いに来ましたあ――ってタイトル。ライブ配信にしたほうがおもしろかったかな?」
住人女性がそう話している。
詩織は塩を握ったまま動作を止めた。
ちょっと話が見えない。
「巫女さんに名刺をお渡ししてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
住人女性が詩織を手招きする。
「えと……なんですか?」
詩織は塩のパッケージ袋に手をつっこんだまま玄関口に向かった。
玄関のせまい三和土に、茶封筒を持った黒いスーツの男性がいる。
童顔だが詩織よりもすこし歳上という感じだろうか。
「こんにちは」
男性がにっこりと笑いかける。
「えと……こんにちは」
「幽霊が二体に増えてすみません」
「は?」
詩織はなんのことか分からず聞き返した。
「幽霊とはいえ僕のほうはいちおう仕事やってまして。よろしければ」
男性が内ポケットから名刺入れを出して、名刺を一枚取りだす。詩織に差しだした。
「あ、ども。――鮎川 詩織です」
詩織はなんとなく自己紹介しながら名刺を受けとった。名刺が塩まみれになる。
「華沢不動産 事故物件担当 華沢 空」と名刺には表記されていた。
「……えと?」
「気軽にお問い合わせください」
男性がにっこりと笑いかける。
「不動産屋さーん、自分だけ仕事してるとかなに? 俺もこいつにぬか床まぜまぜ忘れてるぞとか知らせたり動画撮影んときにぬか床のアドバイスしたり、収益化に貢献してるんだけど」
チャラ男の幽霊らしき男の声がする。
事故物件担当。
詩織は名刺をじっと見つめた。
すごい霊能力でも持っているんだろうか。霊能力者の仕事って、霊を祓うだけじゃなくてこんな方面もあるんだ。
詩織は、あらたな人生の指針が見えた気がした。
終




