表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/88

朝石市片吉3-7 築23年/アパート1K 告知事項あり 自社

湊子(みなこ)ちゃん、味醂はいつ入れるんだっけ?」

 入夏 葉月(いりなつ はづき)は、味醂のペットボトルを持ち和室の方を見た。

 アパートからほど近い短大に通う学生だった。

 この部屋に住んで二年目になる。

 煮物を作っている鍋は、グツグツと煮たっていた。

 奥の和室で洗濯物を畳んでいた湊子がこちらを向いた。

 立ち上がり、部屋入り口に掛けた暖簾(のれん)を上げて鍋を眺める。

 黒いストレートの髪を後ろでひとつに結わえていた。

 顔立ちは綺麗な感じだが、全体的には飾り気のない物静かな雰囲気だった。

 濃茶色のセミロングの髪に快活な印象の葉月とは、外見的に正反対といえた。

 湊子はゆっくりと鍋に近づいた。

「まだでしょ。煮汁が半分くらいになったら」

「ううっ。待つの面倒臭い……」

 葉月は顔を(しか)めた。

「葉月ちゃん、自炊して二年になるのに料理するの面倒臭がるよね」

 湊子は言った。

 ここはいいから、という風に手を振る。 

「カップで三分の煮物とか発売されないかなあ……」

 葉月はシンクに手を付き項垂(うなだ)れた。

「前に葉月ちゃんが買ってきた煮物の缶詰め、美味しくなさそうだった」

 湊子は品の良い感じに眉を寄せた。

「あれは外れだね。具が小さいし量が少ないし。あれで二百九十八円とか」

 葉月は口を尖らせた。

 ついでなので、(たらい)の水に漬けっ放しにしていた食器を洗い始める。

「もう、料理は全部、湊子ちゃんがやって。あたし洗い物だけする。担当分けない?」

「葉月ちゃん……」

 湊子は呆れたように顔を(しか)めた。

 玄関の呼び鈴が鳴った。

 二人で返事をする。

 手を伸ばし、葉月が扉を開けた。

 黒いスーツの若い男性がいた。

 このアパートを管理している華沢不動産の事故物件担当、華沢 (そら)だ。

「不動産屋さん」

 葉月は明るく声を上げた。こんばんはぁ、と続ける。

 湊子もコンロの傍で会釈をした。

「こんばんは。様子はどうですか」

 人当たり良く微笑し、不動産屋は言った。

「変わりないですよお。事故物件って聞いて、引っ越し前にビビってたのが何だったのみたいな」

 葉月は言った。

「変わりないですよ」

 湊子もにっこりと微笑みながら言った。

「もう湊子ちゃんと、ラブラブ百合百合みたいな?」

「結局、家事は殆どやらされるんですけど」

 湊子はそう言い苦笑した。

「そうですか」

 不動産屋は言った。

「変わりなしということで」

 取り出した書類のようなものにそう書き込むと、不動産屋は礼をして去って行った。

 カンカンと音のうるさいアパートの階段を降り、遠ざかる姿を葉月は暫く見送った。

「結構、格好いいよね。彼女とかいるのかな」

「清掃会社の女の子と仲良く話してるの見たことあるけど」

 鍋を覗きこみ湊子は言った。

「いるんだあ」

 葉月は目を輝かせた。

「キュンキュンしない?」

 湊子は無言で苦笑いした。




 かなり遅い夕飯を終え、葉月は息を吐いた。畳の上で後ろ手に手を付き、足を伸ばす。

「湊子ちゃんの和食、やっぱ美味しいわぁ」

「葉月ちゃん、行儀悪いよ」

 食器を片付けながら、湊子は言った。

「湊子ちゃんって、何か時々お母さんみたいだよね」

「歳上だもん」

 軽く眉を寄せ湊子は言った。

「この辺りの洪水被害にあったことあるんだっけ」

「そ。この辺、前に酷い洪水があったんだよね」

「あたし地元じゃないから、そんなことがあったって全然知らなかった」

 葉月は天井を眺めた。

 流線形の模様が、人の顔のように見える。

 不意に雨音がした。

 始めサワサワと微かな音を立てていた雨は、すぐに強めの降りになった。

「雨だ」

 葉月は四つん這いで窓際へ行くと、閉めたカーテンの隙間から外を見た。

 部屋の漏れた明かりに照らされ、白い直線に見える雨を目で追う。

 ふと視線を階下に向けると、傘を差した男性がアパートの前にいるのが見えた。

 年齢は、ざっくり三十歳というところか。

 何をするでもなく、アパートに斜めに向かい合う感じで、前方の十字路を見ている。

「やだあの人、またいる」

 葉月は顔を(しか)めた。

 なに、という感じで湊子も屈んで窓の外を見た。

「雨のときに限って、ああやって立ってるんだよね。ストーカーとかかな」

 窓の(さん)から指先だけをこっそりと出し、葉月は男性を指差した。

「いつも?」

 湊子は言った。

「いつもだよ。雨が降ってるときだけ。気味わる」

 葉月は背後の湊子を振り返った。

「湊子ちゃん、気を付けてよ。昼間は湊子ちゃん一人だけなんだから」

「うん」

 男性をじっと見ながら湊子は返事をした。

「空き巣とかかな。女の人だけの部屋とか物色してたりするのかな」

 葉月は再び四つん這いで卓袱台(ちゃぶだい)に戻った。

 閉めたカーテンを少し捲り、湊子はまだ窓の外を見ていた。

「何で雨のときだけなんだろ」

 湊子はそう言った。

「人目に付きにくそうだからじゃない?」

 自分で言ってますます気味悪くなり、葉月は顔を歪めた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ