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事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


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朝石市桐之上11-14 築24年アパート1K6 南向き風呂窓ありコインランドリー・コンビニ近く/自社

 アパート一階、賃貸している部屋の風呂場。

 湯川 健太(ゆかわ けんた)は、浴槽用の洗剤を厚手のスポンジにニュルルと出した。

 二、三度にぎって泡立てる。

 ジャージの(すそ)をまくった格好で浴槽に入り、浴槽をゴシゴシゴシと磨きはじめた。


「風呂で頭洗ってるとさ、ほら後ろにだれかいる感じするときあるじゃないですか」


 手伝ってタイルを磨いてくれている不動産屋にそう切り出す。

「みなさんそう言いますね」

 不動産屋が返した。

 さきほど風呂の水漏れの点検とか言って訪ねてきた。

 玄関チャイムを鳴らしたが出てこないのでと言って合鍵で入ってきたが、風呂場の掃除中だったと伝えたら上着を脱ぎシャツの(そで)をまくって手伝いはじめた。


 ここのアパートを管理している華沢(はなざわ)不動産の事故物件担当の人で、名前はたしか華沢 (そら)

 

 事故物件は夜中にとつぜん退去したがる人もいるとのことで、毎夜十時くらいに様子を見に訪ねてくるのだが、昼間から来られたのはたぶん初めてだ。

 まして風呂掃除の手伝いまでしてくれるとか。

 事故物件に関しての営業は真夜中のみとのことなので、昼間はあんがい(ひま)なのか。

 年齢は聞いていないが、二十五、六歳くらい。童顔だが自身と同じくらいに見える。

 勤め人同士だし、風呂掃除まで手伝ってくれると親しみが湧く。

 

「事故物件ってのは分かって借りたから、まあ気にしないですけど。ここの幽霊、頭洗ってるとき後ろから “だれもいませんよぉ” とか言ってくるんですよ」

 

 健太(けんた)は、スポンジをもういちど泡立てて浴槽を磨いた。

「いや、いるだろっての。ねえ?」

 苦笑いする。

「ご迷惑ですか?」

 不動産屋がタイルを磨きながら尋ねる。

「迷惑っていうか、ツッコミ待ちなの? っていうか」

 健太は答えた。


「まあ、風呂入ってるときに浴槽のフタの上に置いた洗面器を二、三回弾き落とされるのは、何か、ああ……うん、ご愛嬌って感じですけど」


 不動産屋がわずかに顔を上げてこちらを見る。

「ああ俺、浴槽入るときにフタ完全に開けないで洗面器とか置く場所にする派だから」

 「ああ……」という感じに不動産屋がうなずく。


 もともとあまり幽霊は信じていなかった。

 完全否定でもないが、見たこともないし一生会わんだろというつもりでいた。

 この部屋の内見のときにも特におかしなことはなかったので、事故物件といってもまあ大概は何もないんだろと思ったのだが。

「幽霊って、呪ったり幻覚見せたりみたいな話もあるじゃないですか。じっさいどうなんですか?」

 健太は尋ねた。

 不動産屋はとくに答えずに横を向いてタイルの端のほうを磨いている。

 聞こえなかったのか。

 事故物件担当というとけっこう霊体験の話は聞いてるんじゃないかと思ったが、そうでもないのだろうか。


「子供でしたっけ? ここで亡くなったの」

「このアパートが建つまえですね。古い旅館がありまして」


 不動産屋が答える。

「ああ……そこの子か何か」

「そうですね」

 言いながら、不動産屋が汲んでいた水でタワシをすすぐ。

「それでも事故物件あつかいになるもん?」

「規則としては告知義務はないと思うんですが」

 不動産屋が答える。

 我ながら冷静に聞いちゃってるよなと思う。

 じっさいに幽霊に遭うとわりと冷静になるもんだと他人の体験談で見た気はするが、今のところ身の危険を感じるほどの現象はないせいか。


「洗面器も磨きますか?」


 不動産屋が棚の上に伏せて置いた洗面器を見る。

「え……いえ。洗面器までは」

 健太は目を丸くした。

「……洗面器まで磨くほうですか? 不動産屋さん」

「いえ、磨いたことありませんが」

 不動産屋が答える。

 微妙に変わった人だなと思う。

「むかしは木の(おけ)だったじゃないですか。いまのやつはツルツルして、触ろうと思うといつもカコーンって落としてしまうんですよね」

 不動産屋が言う。

「……はあ」

 ツルツルってほどだろうか。

「いつもって、風呂入るときいつも落とすんですか?」

 健太は浴槽を磨きながら尋ねた。

「いえ。僕はとくに必要ありませんので」

 不動産屋が答える。

 どういう意味だろうと健太は思った。ツルツルして持ちにくいから、ふだんは使わないのか。


 不動産屋のつけた黒いネクタイが、泡で濡れているのに気づいた。


「あの……ネクタイ、取るか胸ポケットに入れるかしたほうがいいんじゃ」

 言いながら健太は自身の胸元のあたりにネクタイを入れるしぐさをした。

「ああ……なるほど」

 不動産屋がネクタイをつまむ。

「こういうのつけたことないから。なるほど、そっか」

 そう言い胸ポケットに入れる。

 健太は眉をよせた。

 

 いつも黒スーツに黒ネクタイで来てなかったっけ。


 目の前でタイルを磨く不動産屋をじっと見る。

 玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

 健太は大声で返事をして立ち上がった。

「だれか来たみたい。すいません、ちょっと出てきます」

 不動産屋にそう告げながらジャージの裾をなおす。

 浴槽のふちをまたいで出た。

「はーい」

 返事をしながら、せまい玄関へと向かう。


 玄関ドアを開けた。


「こんにちは」

 華沢不動産の事故物件担当、華沢 空が玄関前で茶封筒から書類をとりだしている。

「事故物件関連の営業時間ではないんですが、お風呂とトイレの水漏れの点検を。――とくに異状ないようでしたら口頭でけっこうですので」

「え、あれ?」

 健太は風呂場を振り向いた。



 終





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