椀間市布荷坂2-16 築31年/アパート1K/西向き/コンビニ徒歩13分/自社
不動産屋がアパートの鍵を開ける。
郊外の住宅街にあるやや古いアパート。一階、いちばん端の部屋。
文月 蒼平は、ドアを開けて中へと促した不動産屋のあとについて行った。
奥のほうからカチカチカチと音がする。
アナログ時計があるのか。
玄関のせまい三和土で靴をぬぎ、周辺とすぐ目の前の水回りを見回す。
暗い。
ガス台の横の小窓と、シンクのまえにある越高窓から昼すぎの外光が射しこんでいるはずなのに、なぜか暗い。
見上げると、水回りの天井の四角に何の影か分からないおかしな影がかかっている。
「ここは今のところ、お客さまにはおすすめしていない物件なんですが……」
不動産屋が言う。
ここの近くにある華沢不動産の事故物件担当とのことだ。
事故物件の相談と手続きは深夜の時間帯のみとのことで、昨夜遅くに訪ねた。
もらった名刺には、「華沢 空」と氏名が記されていた。
童顔だが二十五、六歳といったところ。
この猛暑の時期に、黒いスーツをきちんと着こんで汗ひとつかいていない。
どんな体質だと思いながら軽く汗をぬぐった蒼平に気づいて、不動産屋がエアコンをつけてくれた。
エアコンが設置されてんのか。そういやそういうのもチェックに入れんとと思う。
物価高騰が思ったより長く続くので、いまのうち家賃の安いところに移ったほうがいいだろうかと考え、とりあえず物件を見に来た。
新卒で就職して以来四年いたアパートだが、これを機会にもっと通勤に便利なところを探してもいい。
なるべく安いところ安いところと話しこむうちに、この物件を見つけた。
不動産屋はいまは紹介していないと言ったのだが、格安だ。
好奇心も手伝って案内をお願いした。
内覧も深夜なんだろうかと思ったが、「それではお部屋のすみずみまで見られませんから」とごもっともなことを言われて、こちらの都合に合わせてくれた。
今日からお盆休みに入るので、今日を指定したのだが。
さきほどから、奥の部屋からずっとカチカチカチと音がしている。
「あの、アナログ時計の音ですか?」
蒼平は問うた。
人によっては、もっとひかえめな音でも寝られないと聞いたことがあるから、これが気になって契約できない人がいるということだろうか。
なら外せばいいのになと思う。
「アナログ時計もあるんですが、あれは交通量調査のカウンターの音です」
「は?」
蒼平は聞き返した。
不動産屋が、水回りと奥の部屋とを仕切るすりガラスの引き戸を開ける。
六畳ほどの部屋。畳はきれいだ。
奥のカーテンのない掃き出し窓に、黒い影が固まっているのに気づく。
なにげに見ていると、三角座りで座った人型に見えてきた。
「えっ」
蒼平はあとずさった。
事故物件と分かって来ておいて今さらだが、いきなりはっきりと見た幽霊と思われるものに思わず引く。
「ああ、見えるんですか」
不動産屋が平然と言う。
「霊感、お強いんですか?」
こちらを向いて尋ねる。
酒の強さでも聞いているかのような、ものすごく日常的な口調だ。
「いやあの、幽れ……って。いや見たことは」
「では、波長が合うんですかね。今まで内覧に来た方は、たいてい交通量調査のカウンターの音と、彼の声しか聞こえないみたいでしたから」
平然と言うなこの人と思う。
事故物件の担当なんかしていると、こんな体験は日常なのか。
カチカチカチカチカチカチと音が続く。
「うわ━━━━! 単調すぎて頭おかしくなるぅぅ!」
やや高めの男性の声が耳に直接ひびく。
「うわっ」
蒼平はつられて声を上げた。
よく見ると、窓ぎわの黒い影のようなものが微妙に動いている。
「暑い日も寒い日も屋外でキツいしぃぃ!」
「あ、エアコンつけましたよ」
不動産屋がそう言ったが、どうやら聞こえていないようだ。
蒼平は、口の横に手を当てて声をひそめた。
「……この人、何で亡くなったんです?」
「コロナです」
不動産屋が答える。
ということは、ごく最近か。交通量調査の仕事をしていた人なのか。
「しかもお盆は人通り多くて終われない━━━━!」
またも黒い影がわめく。
蒼平は、軽く身を乗りだして窓の外を見た。
人通りはぜんぜんないが。
「……人が通ってるつもりになっちゃってるんですか?」
「付近を通る霊をカウントしているらしいです」
不動産屋が答える。
それでお盆は多いって。
たしかに夜も昼もそんなものカウントされてたらイヤかも。
「ああ━━━━! 途切れたら途切れたで、キリのいい数字じゃないの気になる━━━━!」
「何か強迫症ぎみというか。キリのいい数字とかゾロ目とかに異常にこだわるんですよね」
不動産屋が言う。
平然と小脇にかかえた書類袋から書類をとりだした。
「あと一つでゾロ目……」
黒い影がつぶやく。
クイッとこちらを向いた。
「あと一人、霊が増えればいいんだ……」
黒い影がニタァと笑う。
蒼平は思いきりあとずさった。
「まあ、こんなわけなので、すくなくともお盆の時期はおすすめしていません」
不動産屋が書類を見ながら言う。
「いやお盆すぎても、ムリやりな数字合わせはしようとするんでしょ?!」
「お盆をすぎればカウンターの音は減りますので、こちらを向いた姿が見えない方は割と平気になるらしいです」
蒼平は頬を引きつらせた。
地味だが怖すぎる。
夜中にとつぜん数字合わせで何されるか分からん。
「まあ、ゆっくりお考えになってけっこうですが」
不動産屋がそう言い、書類をしまう。
カチカチカチという音は続いていた。
終




