朝石市見付西3-8 1階/約41坪駅近 現状渡し
会社帰り。
水上 航輝は、駅に行く途中にあるコンビニに立ち寄った。
店内のアナログ時計を見ると、時間は夜の八時。
いまの会社に勤めはじめて八年。
途中に立ちよれる店がなかった道すじなので、ずっと空き店舗だったここが一年まえにコンビニになったときは便利になるなと嬉しかった。
片すみの目立たない場所に休憩できるテーブルがあるのもありがたい。
のどがかわいたときや、一人暮らしなので夕飯の用意が面倒くさいときにちょくちょく寄っていた。
二十年ほどまえに殺人事件があった場所に建った建物なので、「出るのでは?」という同僚もいた。
だが店内には煌々とあかりがついているし、店員も明るくハキハキした人ばかりなので怖い要素はない。
軽食の売り場を見回す。
飲みものもほしい。
前日まではいい天気が続き暑かったが、きょうは肌寒い。
店に入ったあたりから、さらに気温が下がった気がした。
あたたかい飲みものの棚を見る。
店の外から、唐突にものすごい雨音が聞こえてきた。
ゲリラ豪雨か。
入店があと数分遅れてたら大変だったなと思う。
ゲリラ豪雨なら止むのもすぐだろうと思い、それまで店内で時間をつぶすことにした。
ふだんほとんど行くことはない安全カミソリや絆創膏などの置いてある棚をながめる。
ついつい不必要なものまで買ってしまいそうだ。
店内の入口付近から足音がする。
外を見やると、雨はまだはげしく降っていた。
ゲリラ豪雨にしては長いな、梅雨入りかなと眉をひそめた。
気象情報を見ようと、スーツのポケットからスマホを取りだす。
地域のニュースがステータスバーに入っていたので、なにげに開いた。
「朝石市見西のOL殺人事件から、きょうで二十年」
そんな見出しが表示されている。
朝石市見西ってここだ。
この場所で起こった殺人事件って、二十年まえのきょうだったのか。
被害者のOLが勤めていた会社は、いまは倒産して貸しビルのおなじ場所にはべつの会社が入っている。
当時はここのすぐまえにバス停があったらしい。
横に置いたOLの傘を持って行こうとした男がいたのでOLが声をかけたところ、男にとつぜん滅多刺しにされたらしい。
男はのちに逮捕されたが、薬物中毒だった。
記事にはそんな経緯がかんたんに書かれていた。
雨はあいかわらず激しく降り続けている。
いつまでもここにいるわけにもいかないし、濡れるのを覚悟で駅まで走ったほうがいいだろうか。
そうと考えて店舗の入口ドアを開ける。
はげしく打ちつける雨で、外に出ただけで足元が濡れる。
入口の横をなにげに見ると、傘立てにビニール傘が一本あった。
店内をチラリと見る。
店員の姿はどこにも見えない。非常にしずかだ。
持っていこうか。
コンビニで傘を持っていかれるなんてよくあることだから大事にもならないだろうし、あした来たときに返しておけば。
航輝は、さりげなくビニール傘を手にした。
「すみません……それわたしの傘です」
女性のかぼそい声がする。
「あっ。す、すみません」
航輝はあわてて傘をもどした。
やはり悪いことはできないなと思う。
「あの、ビニール傘ってどれも同じなので間違えて……」
言い訳しながらふり向く。
だれもいない。
「……あれ」
とまどった航輝の足首を、何者かがガシッとつかんだ。
「ひっ」と声にならない声を上げながら足元を見ると、OLふうの女性が床を這っている。
淡い色のスーツにべったりと赤いものがつき、髪もスーツもびっしょりと濡れていた。
「ひっ?!」
航輝はもういちど息を呑んだ。
「すみません、それわたしの傘なんです……」
「もももも申し訳ありません!」
航輝は硬直した。
幽霊。お化け。とっさにそう判断する。
例の殺されたOLの幽霊か。そういえば傘をとられたのが被害の状況とさっきの記事に。
店員に助けを求めようとするが、だれも見あたらない。
いつもだれかはいるのに、こんなときに限って。
「すみません、すごく痛いんです……」
OLふうの女性が、航輝の足首をつかんでうめく。
「痛い……」
「さささ刺したのは俺じゃないし、犯人捕まりましたよね?!」
「痛い……たすけて」
「おお俺じゃないけど、いやごめんなさい!」
航輝は上体を九十度に曲げて礼をした。
「なんで……こんなことになるの……」
女性が航輝の足首をがっしりとつかむ。顔をゆがませた。
「何でって……運が悪かったというか。俺には何とも」
航輝は無下にできず、ついついその場にしゃがんだ。
考えてみれば何の落ち度もないOLさんだったのだ。どうとも声のかけようもない。
「たすけてください……」
「俺には何も……」
「救急車呼びますか?」
唐突に横から声がはさまれる。
黒いスーツの青年と、やはりスーツ姿の若い女性が航輝と同じようにしゃがんで女性の様子を見ていた。
「救急車……」
床を這う女性がつぶやく。
「打ちどころが悪かったら大変ですから」
黒いスーツの青年が顔を上げ、航輝に指示する。
「すみませんが、救急車呼んであげてください」
「あっ、はい」
航輝はわけも分からないまま、手にしていたスマホで救急車を呼んだ。
店員が奥から出てくる。
床の一角がびしょ濡れなのに気づき、あわててモップを持ってきた。
ややしてから、何となく状況を呑みこむ。
「……え。生きてる人?」
「死んでないですけど」
OLふうの女性が倒れたままで答える。
「……服の赤いのは」
「……歩きながらトマトジュース飲んでたら、急にゲリラ豪雨に降られて傘さしたけどぜんぜん役に立たなくて、この店で雨宿りしようと思って入ったら床が濡れててころんでドバッて」
OLふう女性が床に手をついて何とか身体を起こそうとした。上半身を少し上げて膝をさする。
「救急車まだですね――ああ、いちおう」
黒いスーツの青年が、内ポケットから名刺入れを取りだす。
「椀間市で不動産をやっている者です。もし必要なことがありましたら」
そう言い、航輝とOLふう女性に名刺を手渡す。商売熱心だなと航輝は鼻白んだ。
「華沢不動産 事故物件担当、華沢 空」と表記されている。
こんないわくつきの店舗で、すわ幽霊と遭遇かという目に遭ったあとに事故物件担当者か。きょうはなんだかなと思う。
「わたしも生前は名刺持ってたんだけどな。ま、いま持っててももう会社ないんだけど」
スーツ姿の女性が苦笑いする。
「生ぜ……?」
航輝は眉をよせた。何かの聞き間違いだろうか。
救急車が到着した。
「なんか恥ずかしい。ころんだだけなのに」
OLふう女性は、ストレッチャーに乗せられながら居心地悪そうに苦笑いした。
「ケガを甘くみないほうがいいですよ。僕の死因もケガでしたから」
事故物件担当の華沢と名乗った青年がストレッチャーの横でそう声をかける。
「……死因?」
航輝はつぶやいた。
そういえばこの二人、ゲリラ豪雨のなか入ってきたのに足元すら濡れてない。
雨はあいかわらずはげしく降っている。
レインカバーでおおわれたストレッチャーが救急車にのせられ、出発した。
「たいしたことなさそうで、よかったですね」
こちらを見てにっこりと笑いかけた青年と女性を見て、航輝は鳥肌を立てた。
終




