椀間市荷抜字津直17-1 アパート1K 築21年キッチントイレ窓あり コンビニ徒歩5分バス停すぐ前 自社
椿井 柚太は、きのうの真夜中に契約をすませたアパートの部屋に入った。
昼間の陽光が掃きだし窓からやわらかく射しこんでいる。
築年数が二十年と少し経ってるわりには、きれいかなと見回す。
昭和レトロのような部屋を想像していたが、考えてみたら二十年前はすでに平成か。
わりと見慣れた感じの壁材に、実家にもあるふつうの畳。
むかしの畳は厚みがあって、裏まで藺草が編まれていたと聞いたことがあるが、たぶんこれは布で裏打ちされた今どきの畳だと思う。そんなに詳しくはないが。
二、三日まえに事故物件を紹介する不動産のホームページを見つけたとき、このご時世ならすぐにほかの借り手にとられてしまうのではないかと焦った。
真夜中だったのもありすぐに問い合わせの電話をかけたが、かなりすんなりと希望の部屋が借りられたのをみると、ネットで言われているほど借り手はいないのだろうか。
事故物件とはいっても角部屋なら人気だと思っていた。
なんにしろ、ここなら会社にも近いしと満足する。
「はー」
とりあえずは、親所有の車で昼間のうちにとなりの市の実家から布団と食器をいくつか運びこんで、百円ショップで台所用品と風呂で使うやつとか買って。
そう頭の中で計画を立てる。
いまの会社に就職して三年。
母は実家から通えばいいのにとしつこく言っていたが、となりの市とはいっても、直通のバスも電車もない。
いちいち乗り換えをするわずらわしさに、すぐ近くに住んでいる同僚がものすごくうらやましくなった。
家賃も安い。
事故物件だがべつに遺体が放置されていたケースではないとのことだ。
若い男性が、これから布団を敷こうとしていたと思われる状態で脳溢血で死亡してたとかなんとか。
さいわい近くに住んでいた親戚にすぐに発見されたらしい。
カーテンを開ける。
ベランダがあった。
間取りを見て想像していたのより大きめかなと思う。
横をみると、プライバシーを守るための衝立が立ててある。
これが団地ものの映像作品でよく見るあれかとまじまじとながめる。
「あ、こんにちは」
不意に声をかけられて戸惑う。
となりの部屋の住人らしき男性が、衝立から頭部の一部だけを出している。
驚いたが、めいっぱい身体を乗り出してもこちらを見ることはできないらしいのに安心する。
「あ……こんにちは」
「となりに越してきた方ですか?」
「ええ」と柚太は返事をした。
「会社づとめの人?」
「ええ」
「僕もここに越してきたころはそうだったんだけどね」
男性が笑う。
いまは無職とか自営業とかフリーランスとか、そのへんだろうか。
コロナ禍の影響でフリーランスが増えたとか聞いた気がする。
迷惑さえかけられなければ、人の職業なんかどうでもいいと思ってるが。
「押し入れ見た?」
男性が問う。
「いえ。これから」
「御札が貼られてるでしょ」
男性が言う。
柚太は部屋のなかをふり返り、押し入れの襖を見た。
やっぱり事故物件ならではのそういうのはあるのか。かすかに鳥肌が立つ。
「いや……でも出ないでしょ。出るんですか?」
柚太は苦笑いした。
「出ない出ない」
男性の手が衝立のはしから見える。否定の意味で手を振っているようだ。
「剥がしちゃっても大丈夫みたいだよ。まえの住人の人は剥がしてたし」
「いや……」
気にはしないが、わざわざ剥がすほど怖いもの知らずでもない。
御札なんて邪魔になるものではないし、貼りっぱなしでいいかと思う。
「貼るために使ってる糊がさ、何の成分か分からないけど虫がきやすいらしくて。それで剥がしたってまえの住人さん言ってた」
へえ、と思う。
それだと逆に迷惑な代物だなと、もういちど襖を見る。
「つか正直そっちの押し入れに虫がきやすいと、こっちにもちょっと。押し入れどうしが壁一枚でつながってるでしょ?」
「ああ……」
なるほど。柚太は部屋へともどり、押し入れを開けた。
上の段には何もない。
下か。
かがんで下段を見る。なるほどとなりの部屋とをへだてる壁側に御札が一枚貼ってあった。
「それそれ、その下の段。消臭剤の上に貼ってあるやつ」
男性が言う。
柚太は膝をつき押し入れに入った。御札のはしを爪でひっかいてみる。
紙一枚だけかと思ったら、厚みがある。剥がしやすそうだ。
「はしから引っぱれば、すぐペリッと取れるよそれ」
男性がそう説明した。
「あ、ほんと。とれるわこれ」
柚太は、はしのほうを剥がしかけた。
「説明し忘れていたことがありました。申し訳ありません」
とつぜん背後から、となりの男性とはべつの声がする。
柚太が振り向くと、ゆうべこの部屋の契約のさいに手続きをしてくれた不動産屋が正座していた。
たしか名前は華沢 空。そう渡された名刺にあった。
「緊急でしたので、勝手に上がらせていただきました。失礼いたしました」
黒いスーツの不動産屋は膝に拳を置き、折り目正しく礼をした。
「は……いえ。どうせまだ何も運んでない部屋ですし」
いつの間に来たんだこの人と柚太は思った。
玄関のドアの隙間から、わずかに外光が漏れている。玄関から入ったのはたしからしいが。
「御札は外さないでください。まえの住人の方が、やっと外に追い出して貼ったものですから」
「追い出した……何を」
柚太は尋ねた。
「ここに住んでいた男性の霊です」
不動産屋が答える。
「布団を敷こうとして亡くなった方なので、夜中に何度も押し入れを開けて布団を引っ張りだそうとするのが住人には地味に迷惑らしくて」
ハッと柚太は違和感に気づいた。
ここは角部屋だ。
先ほど男性が話しかけてきた側に、部屋はない。
驚いてベランダを見る。
「不動産屋さんさあ……」
衝立の向こうから若い男性の顔が覗き、こちらを見て眉をひそめた。
考えてみれば、衝立のそちら側にいたのに押し入れの中の様子が見えているかのような説明をしていた。
「ぅわ……まじ」
柚太は座った姿勢で後ずさった。
「今のところ、押し入れに執着しているせいか御札さえそのままなら入ってこないようなので、剥がさないでください」
「えと……虫が来やすい糊とか」
「ふつうの糊です」
不動産屋が答えた。
終




