椀間市西井字佐千敷4-1 アパート1K 築12年キッチン窓あり南向き 自社
午前十二時半。
アパート二階の六畳間。
菊田 真穂は、部屋の壁ぎわに布団を敷くと部屋を見回した。
カーテンはきちんと閉まっている。隙間があいていないか何度もチェックした。
玄関の鍵。
たしかに閉めてチェーンロックも確認した。
玄関のドアと窓には、近所の神社で買ったお札。
玄関を入ってすぐの水場には、盛り塩。
室内にある姿見には、いつものように厚手の布を掛けてある。
「お願い、今日は出ないでぇ……」
真穂は布団に入り、掛け布団に顔を埋めた。
実家を出て、通勤に便利なアパートに引っ越したのは三ヵ月ほどまえ。
両となりが空き部屋ということで、実家の親には心配だと言われたが、少々物音を立てても平気なのでのびのびと過ごしていた。
コンビニやスーパーも比較的近い。
快適で気に入っていたが、一ヵ月ほどまえから霊現象が起こるようになった。
友達には事故物件ではと言われたが、そんな話は聞いていない。
はじめは友達の何人かに泊めてもらったりしていたが、一通り泊めてもらったところで二周めは気が引けてやめた。
引っ越しも考えているが、すぐには無理。
実家に戻るのがいちばん無難かと思っているが、通勤に非常に不便なのだ。
部屋を照らす洋風の電灯を見上げる。
これは、一晩中つけて寝る。
時計を見た。十二時四十分。
早く寝ないと仕事にも支障が出る。
頭の中で適当に「南無阿弥陀仏」と唱えながら、真穂は布団に入った。
十二時四十九分。
とつぜん部屋の電灯が消えた。
「や……」
あわてて上体を起こし、電灯のプルスイッチを狂ったように引く。
電灯は一向につかない。
「やだ! やだやだやだやだやだやだやだやだ!」
泣きそうになりながら何回も引く。電灯のプラスチックの傘が、暗い天井で大きくゆれる。
コンコン、とベランダ側の窓ガラスを叩く音がした。
「いや━━━━━━!」
真穂は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「開けろ……」
ベランダの位置から、しわがれた声がする。
「開けろ……開けろ」
「いや━━! 開けない、開けない!」
真穂は叫んだ。カーテンを開けろという意味だろうか、それとも窓。
どちらにしろ、怖くてそんなことできるわけがない。
「開けろ……」
こんどはとなりの空き部屋から、壁をドンドンと叩く音。
「出てけ……出て行け……」
「出て行きます! 出て行くってばあああ!」
窓の外に、人魂のような丸い灯りが飛び交う。
カーテン越しに長い髪の女性のシルエットが現れた。両手をダランと下げている。
少しずつ窓ガラスに近づいているようだ。
「出て行かないと呪うぞ……」
「出て行きます! 引っ越し準備ができたら出て行くから、成仏してぇぇぇ!」
真穂は半狂乱でわめいた。
「出て行け……」
「もうやめてえええ!」
これがもう一ヵ月続いている。もはや限界だ。
「消えてぇぇぇ!」
頭を抱えて真穂は絶叫した。
「いい加減にしてくれませんか? 本物の幽霊はこうですよ」
とつぜん冷静なテノールの声が挟まれる。
壁から黒いスーツの袖の腕が現れた。
「きゃああああああ!」
真穂は座った姿勢で布団の上を後ずさった。
「ぅわ! うわああああ!」
となりの空き部屋から、男性の叫び声が聞こえる。
「どこから来たあんた!」
テノールとは別の男性が喚く。ドタドタと動揺したような足音、尻餅をつくような音、ガラス窓にぶつかりガシャーンと割るような音。
「弁償してくださいね、それ……」
テノールの声がそう言う。
となりからコンコンと壁を叩く音がした。
「菊田さんですか? 華沢不動産の者ですが、いまから警察に通報しますので。あとでそちらに事情を説明に伺ってもよろしいでしょうか?」
「え……」
なに。
となりの部屋で一体なにが起こっているのか。真穂はわけが分からず呆けた。
「明日にしますか?」
テノールがそう問いかける。
「あの……意味が分からないんですが」
「なのでご説明します」
テノールの声が答えた。
五分後。パトカーが到着し、長髪のカツラに白い着物の大柄な男が警官に連行されて行く。
真穂は、とりあえずパジャマから部屋着とカーディガンに着替えて玄関口から外を覗き見た。
「はじめまして。華沢不動産の華沢と申します」
警官を会釈して見送った黒いスーツの男性が、内ポケットをさぐり名刺入れを取りだす。
二十五、六歳というところだろうか。
自身とあまり変わらない年齢だが、妙に落ちついている感じがする。
渡された名刺には、「事故物件担当 華沢 空」と表記されていた。
「事故物件担当?! やっぱり事故物件なんですか?! うち」
真穂は声を上げた。
「ではないです。ここの霊現象は、先ほど連行された男がやっていたので」
不動産屋は内ポケットに名刺入れをしまった。
「二人組で窃盗を繰り返してた人なんだそうですが、半年ほどまえに片方が逮捕されまして」
不動産屋がそう話す。
「片方の取り分ももらってしまおうと思ったみたいですね。片方は以前となりの部屋に住んでいて、自分の取り分を屋根裏にかくしていたらしくて」
不動産屋が先ほど男の叫び声が聞こえた部屋のほうを指す。
「相方が正確にどこの部屋に住んでいたかは分からなかったので、住人を脅かして追い出して各部屋をさがすつもりだったみたいです」
不動産屋はそう説明した。
「片方が逮捕された時点で住んでいた部屋は解約という扱いでお掃除しましたので、そのさいに屋根裏のものはとっくに見つけて警察にお渡ししてあるんですけどね」
不動産屋が苦笑する。
「警察の方が、仲間が取りに来るかもしれないと言うんで時々様子を見に来ていたら案の定という感じで」
パトカーの赤色灯が遠ざかる。
真穂は、力が抜けてその場に座りこみそうになった。
「……事故物件じゃないんだ」
「ええ。こちらのお部屋は安心して過ごしてください」
不動産屋が答える。
「あの……さっきの壁から出た腕、不動産屋さんのですよね。あれ、手品ですか? どうやったんですか?」
安心したらどうでもいいことを思い出した。
つい泣き笑いのような顔になり真穂は尋ねた。
「ああ……」
書類袋のようなものを脇に持ち、不動産屋がニッコリと笑う。
「タネはちょっと」
終




