朝石市河岸北2-16 築41年/アパート1K 令和元年リフォーム済トイレキッチン窓あり 自社
「納得いきません」
アパート一階、西から二つめの部屋。
居舟 海晴と名乗った霊は、畳の上に正座しキッパリと言った。
きちんとアイロンがけされたシャツにズボン、黒縁眼鏡のお堅そうな外見。
外は台風が近づいていて、曇り空だ。雨が降りそうだが、ここのところの猛暑が一段落して幸いという感じか。
この部屋の借り主、深水 蓮は窓の外を眺めた。
先ほどからのピリピリした空気に居心地が悪い。
「いくら何でも、この部屋の家賃もう少しどうにかなりませんか」
居舟がそう主張する。眼鏡の黒い縁を指先で直した。
「そう申されましても」
居舟の真正面で正座した黒いスーツの青年が眉をよせる。
このアパートを管理する華沢不動産の事故物件担当。
問い合わせ時にもらった名刺には「華沢 空」と表記されていた。
「何でボクの死んだ部屋の家賃が、こんなに安いんですか」
居舟が眼鏡の黒い縁を人差し指でクッと上げる。
「事故物件となりましたので」
不動産屋は真顔で答えた。
「そこらの死人とボクを一緒にしないでください」
「大変失礼ですが一緒です」
不動産屋が答える。
「ボクが死んだ部屋なら、なんていうかもっとこう……記念部屋みたいな扱いで、お家賃はむしろ高くても良いのでは」
「妥当なお値段です」
不動産屋は答えた。
「ボクは東京帝国大学の法学部を出ているエリートですよ?」
「お言葉ですがお家賃とは関係ありません」
不動産屋は即答した。
「一家は官僚一族。先祖をたどれば公家の家にも連なる名家の出身なんです」
「家賃設定と関係ありませんので」
不動産屋が答える。
「祖母には幼少時から “お外でみっともないことはしてこないよう” と厳しくしつけられました」
「話の論点を戻してください」
不動産屋が表情も変えず答える。
「ボクは小中高そして大学と、優秀な成績で卒業しているんです!」
「お家賃の話とはまったく別です」
「卒業後に官僚になって、さぞや有能な働きをしてこの国の発展の礎になるであろうと期待されていました!」
「お疲れさまです」
「なのにこれからってときに!」
「心中お察し致しますが、お家賃の金額設定とはまったく関係ありませんので」
不動産屋が答える。
「……あの、何か飲みますか?」
蓮は横からおずおずと話を遮った。
何とか場をなごませようと試みてみる。
先ほどお盆休みの帰省をしようと準備していたら、とつぜんこのお堅い幽霊が現れた。
部屋を見回し懐かしんだあとに、ここの家賃の値段を聞いてきた。
答えたところ、顔を真っ赤にして怒りだし困っていたところに不動産屋がきて対応してくれた次第だ。
「きみは? 名前は?」
居舟が見下すような目でこちらを見る。
「深水……といいますが」
先ほど出没されたさいにも名乗ったんだけどなと思いながら蓮は答えた。
「深水くん、優秀で将来有望だったボクにおべっかを使いたいのは分かるが、生憎と飲食物の要らない身体に……」
「あ、僕も飲みものは要りません」
不動産屋が居舟の言葉にかぶせるようにして答える。
「不動産屋さん」
居舟がクッと黒縁の眼鏡を指で上げる。
「話を遮るとかマナー違反では?」
「令和では長々と話す方がマナー違反です」
不動産屋が答える。
「成程」
居舟が口を引き締めた。
「では、れ……令和とやらのマナーに沿って言います」
居舟は眼鏡の縁を直した。昭和に亡くなったせいか「令和」というのがどうにも言いにくそうだ。
「せっかくのお盆期間に久しぶりに懐かしい部屋の様子を見に来たら、自分が死んだ部屋だけ家賃が格段に安いなんて傷つきませんか」
「いえ特に」
不動産屋は即答した。
「絶対におかしいです。深水くん、きみもおかしいと思うでしょう?!」
「いえ……あの」
「借り主の方は、家賃設定に対して何の権限もありません。巻きこまないでいただけますか」
不動産屋が代わりに答える。
「彼にも主張する権利はあるでしょう?!」
居舟が声を上げた。
「それをおっしゃるなら、深水さんにはあなたに出ていけと言う権利があります」
不動産屋が答える。
「ボクはここに住んでいたんですよ?!」
「それに関してですが、その頃にはここはうちの物件ではありませんでしたので、まず住んでいたことを証明していただかないと」
居舟が不動産屋をキッとにらむ。
不動産屋は涼しい顔でかわした。
「分かりました」
居舟がスッと立ち上がる。
「ここまできたら、ボクも引くわけにはいきません。ボクの知り合いの政治家、官僚、弁護士、役所の職員あらゆるツテをこれから当たって、家賃設定を変えてもらいます!」
居舟はきびすを返し玄関口の方へと向かった。
「お気をつけて」
不動産屋が会釈する。
居舟は大股で玄関口に向かうと、部屋から消えた。
ふぅ、と不動産屋が息をつく。
「あらゆるツテって……その相手の人、現役なのかな」
蓮は玄関口を見つめた。
「ご存命ではない方もいらっしゃるでしょうね」
不動産屋が答える。
「仮に現役だったとしても、幽霊騒ぎになるだけだと思うんですが」
不動産屋はそう言い溜め息をついた。
「お盆を過ぎればあちらに帰られるようですから、あとは問題ないと思いますが、気になるようでしたら今のうちに消臭スプレーを用意してください」
「消臭スプレー……ですか」
蓮は困惑して聞き返した。
「前に試したのですが、かなり除霊の効果がありましたので」
そう不動産屋は言ってゆっくりと立ち上がった。
終




