朝石市薄布5-2 築21年/バス停西薄布徒歩15アパート1K6 コンビニ徒歩5 /自社
バス停で降り、日方 和真は、独り暮らしのアパートに着いた。
伯父の一周忌法要で実家に戻り、二泊ほどしてきたところだ。
ほかの親戚はもう少しいろと言ってきたが、会社があるからと早々と戻ってきた。
帰り際、せっかくだからと祭壇に飾られていた向日葵の花をごっそり持たされた。
大きな花束が新幹線の中でもバスの中でも邪魔になり、非常に肩身が狭かった。
さっさと活けてスッキリしたい。
階段を昇りアパートの二階にたどり着く。
玄関の鍵を開けた。
玄関口からすぐの水場のスペース。そこと奥の畳の部屋の間あたりに、なぜか若い男がたたずんでいる。
二十代前半ほどだろうか。
和真 とあまり変わらない年齢に見える。
ヨレヨレのTシャツにジーパン。使い古したようなリュックを肩にかけているところは、何となくオタクくさいなと和真は感じた。
独り暮らしの部屋なのだ。
別の人間が突然いたら明らかに不法侵入なのだが、ここが事故物件と分かって契約してるので和真はどちらなのか迷って目を左右に泳がせた。
「あの……」
せまい三和土で靴を脱ぎ、上がり框にあがる。
そこで立ち止まり、和真は男に話しかけた。
「幽霊……ですか」
「はい、幽霊です」と答えるものなのだろうか。何か違うかと思ってしまったが、他にどう聞いていいのか。
「ゆ、幽霊です」
男は気をつけの姿勢でそう答えた。
「あ……そうなんですか」
和真はつい間の抜けた返事をしてしまった。
特に恐怖は感じない。
実際に遭遇してみるとこんなものなのかと思う。
男が思い出したようにガバッと床に膝をついた。そのまま土下座かというような体勢でお辞儀をする。
「おおお騒がせしました。すぐにき、消えますので」
「あ、はい」
和真はついついつられてお辞儀をした。
男がそそくさと玄関口の方に来る。扉のノブに手をかけてガチャッと回した。
「あ、あれ?」
男が何度もノブを回す。
「あの、どうしました?」
「開かない」
そんなわけがないだろうと和真は思った。自身がたったいま開けて入ってきたばかりなのだ。
「押して開けるんですけど……」
アドバイスのつもりで言ったが、それ以前にノブが回らないという感じなのだろうか。
「というか事故物件の幽霊って、地縛霊とかなんじゃないんですか? ここから移動できるんですか?」
和真は尋ねた。
「あ……そか」
男が目を丸くする。あわててノブから手を離した。
「な、成程。地縛霊だから開けられないっていうか、ここから動けないんですね」
はは、と男が苦笑いする。
大丈夫かこの人。和真は呆れた。
幽霊になるにも才能が要るのだろうか。ずいぶんとポンコツな幽霊なんだなと思う。
「あの……これ、活けていいですか」
ずっと片手に持っていた花束が気になり、和真はそう尋ねた。
「あ、どどどうぞ」
男が両手を差し出す。
花瓶などは置いていないので、とりあえず流しのシンクに置いている盥に水をためる。
包んでいた新聞紙と茎の方につけていた濡れた脱脂綿を取り、向日葵を水につけた。
「いつ亡くなったんでしたっけ」
何となく和真はそう尋ねた。
男が「へ?」という顔でこちらを見る。
「いや事故物件の幽霊とかあんまり信じてなかったから、不動産屋さんの説明も話し半分で聞いてて」
「あ……えと、い、一年くらい前?」
男はおずおずと答えた。
「へえ、うちの伯父と同じ頃か。一周忌法要とかないの?」
「えと」
男は戸惑った顔をした。
「えといや、法要とかしてくれる身内がいないというか、その」
「へえ」
和真はそう返答した。少し返す言葉に困るなと思う。
「身内もみんな死んだっていうか、そ、そういう感じ?」
男は苦笑した。
こういうときに何て返せばいいのかな。ご愁傷様か、違うな。和真は水に浸かった向日葵の茎を見つめた。
玄関の呼び鈴が鳴る。
「日方さん、いらっしゃいますか?」
ドア越しに呼びかけられた。
聞き覚えのある声だ。
いつも夜中に様子を見に来る不動産屋の人か。
契約時にもらった名刺には確か「事故物件担当 華沢 空」とあった。
「はい」
和真は返事をした。
「お出になることができない状況なら、合鍵を使わせていただきますが」
不動産屋が言う。
何のことだろうと和真は思った。
男と目が合う。そういえばさっき扉が開かないとか言っていたか。
「あの、よく分かんないんですけど、ノブが壊れてるらしくて」
和真は言った。
「ああ、それは大丈夫です。では開けますので」
不動産屋が答える。
何が大丈夫なんだろうと思った和真の目の前で扉がスッと開き、童顔に黒いスーツの不動産屋が軽く会釈をした。
和真は男の方を振り向いた。リュックの紐を両手でつかみ、なぜかゆっくりと後退りしている。
「ちょっとこちらへ」
不動産屋が和真の腕をつかみ、外に連れ出した。
和真はあわてて三和土にあったスニーカーの踵を踏んで履き、つんのめるようにして付いて行く。
「なに? 何ですか」
「こちらにいる幽霊の方が知らせてくださいまして」
幽霊ってあの若い男じゃと思い和真は室内を振り向いた。不動産屋がその目の前でパタンと扉を閉める。
「こんにちは」
六十代ほどの人のよさそうな男性が玄関前の通路でお辞儀をした。
「大菊と申します。ここの玄関で去年急死いたしまして。おかげで玄関先にも出られたりするんですが」
男性は苦笑した。
「留守になっている間に空き巣が入ったと大菊さんが知らせてくださいまして」
不動産屋が説明する。
カーキ色の袋から書類を取り出し、ボールペンで何かを書いた。
「警察が来るまで逃げないようにノブつかんでやりましたわ」
男性が両手でノブをつかむ仕草をする。
もしかしてさっきのだろうかと和真は思った。
「通報しましたのですぐに警察が到着すると思います」
不動産屋はそう言い、書類を袋にしまった。
「侵入したとき、“あんた何だ” って言ったけど見えてないみたいだったんで困りましたわ」
大菊が笑う。
つまり助けられたということだろうか。
唐突で頭がなかなか付いていかなかったが、和真はそう理解した。
「何ていうか……ありがとうございました」
「いやいや」
大菊が手を振る。
「ここであたしが死んだことで、華沢さんと住人さんにはご迷惑をかけてますし」
「……亡くなったの去年なんですか。一周忌?」
「九月の末ですが」
大菊が人のよさそうな顔で微笑む。
「あの、中に向日葵の花があって。一周忌の伯父に供えられたものなんですが……なんていうか、大菊さんに供えさせていただいても」
何かお礼をと思い言ったが、逆に失礼なことを言っただろうかと気づいてしまった。
大菊は「ありがたいです」と言って笑った。
終




