朝石市万明町8-2 春日井ビル1F ㈱祝井コーポレーション
「万沢 沙梨衣さんですね」
品の良いスーツの女性が、沙梨衣の提出した履歴書を黙読する。
「直筆なんて今どき珍しいこと」
くすっと笑われ、沙梨衣は萎縮した。
クリーム色を基調とした壁。無機質な内装の企業の一室。もう入室前からガチガチに緊張している。
株式会社 祝井コーポレーション。
短大卒の沙梨衣には、本来なら面接の問い合わせをすることすら気後れするような大企業だ。
だが先日、役員を務めるこの女性の息子を誘拐したのがきっかけで面接を受けるはめになった。
当たって砕けろというか、当たれば儲けというか。
上手くすれば失業後のお金に困った生活が終わるかもしれない。
受けて損する訳でもない。
スーツのクリーニング代はかなり痛かったけど。
「志望の動機は」
役員の女性が、すっと目を合わせる。両横で年配男性がほぼ同時に顔を上げた。
「あああの、き貴社の」
「きしゃのスーパーコンピューターに興味がありまぁす」
横から甲高い少年の声がする。
「ス、スーパーコンピューターに」
つい復唱してしまい、沙梨衣は即座に「落ちたああ」と脳内で叫んだ。
六歳ほどの少年が、沙梨衣の頭の上に頭を乗せる。
叶野 聖。この役員女性の息子だが、すでに亡くなっている。
幽霊と知らずに誘拐して、以降憑かれてしまった。
こんな大企業の面接を受ける運びになったのはこの子のおかげなので、受かったらちょっとは感謝しようと思ったが。
スーパーコンピューターってなに。
そんなSFロボットアニメみたいなネーミングの商品なんてある訳ないじゃない。
もう帰りたい。
面接官三人が、へえという顔をする。
「うちの社のスーパーコンピューター開発に興味がおありなの?」
役員女性がもう一度履歴書を見る。
スーパーコンピューターってあるのか。
知らなかった。令和ってもうSFの世界なんだ。
「え、えと。興味はあの」
「履歴書を見ると、理系という感じではなさそうだけど」
「スーパーコンピューター垓から注目してましたあ!」
聖が横で言う。
「ほら、沙梨衣ちゃん言って言って」
「ススススーパーコンピューター、が、垓をあの」
面接官三人が、ほおと声を漏らす。
心証は良さげな気もするけど、こんなさっきまで知らなかった分野で合格しても困る。
「垓のことをどちらで」
「あああああの、ニュースでというか、あの」
「フレー! フレー! 沙、梨、衣!」
聖が背後で声を上げる。沙梨衣は顔を歪ませた。
「頑張れ、頑張れ沙梨衣ちゃん!」
聖の父親まで加わり出した。
「どうかした? 具合でも悪い?」
役員女性が少し身を乗り出し、沙梨衣の顔を伺った。
「い、いえ」
あなたの息子と旦那が霊障をかましてくるんですと言う訳にもいかない。
「沙梨衣ちゃん、何なら量子コンピューターまで言っちゃお」
聖の父親が耳打ちする。
どんどん理系の人間に仕立てて行くのやめてえええ。沙梨衣は脳内で叫んだ。
「大丈夫。一年くらい先輩の言うことに頷いて過ごして、その間に勉強しちゃえばいいんだから」
凡人に理系超人の真似させようとするのやめて。
「言っちゃえ、言っちゃえ、沙梨衣ちゃん」
聖が横ではしゃぐ。
役員女性がふっと微笑した。
「ちなみに、あなたの希望の部署は」
「え、えと」
沙梨衣は慌てて姿勢を直した。
「じ、事務とかで」
役員女性が拍子抜けした表情をした。
そりゃそうだよねと沙梨衣は思う。
カサカサと音を立て、役員女性は履歴書をファイルに仕舞った。
「面接は以上です。後日に合否の連絡をしますので」
「は、はい」
落ちた。もう無茶苦茶。沙梨衣はげんなりと下を向いた。
数日後。自宅アパートで開いたメールは、いわゆるお祈りメールだった。
がっくりとしたが、駄目元だったのだ。仕方がないかと思う。
「これが噂に聞くお祈りメールですか」
黒いスーツの青年が横から覗き込む。
華沢不動産の事故物件担当者。
前にもらった名刺には「華沢 空」と氏名が記されていた。
以前住んでいたアパートは、家賃が払えず出ることになった。
今は家賃日割り計算で、この不動産の物件に住んでいる。
トイレ共同の物件なので、こうして廊下で鉢合わせなんてざらだ。
日割りで入居できるのは事故物件のみということだったが、親子の霊とその知り合いの男子大学生の霊に付きまとわれているのだ。今さらだ。
その日割りの家賃も、何とか期間限定のアルバイトで得たお金で支払っていた。次の仕事探さなきゃと思う。
スマホが鳴る。
表示を見て、沙梨衣は「え」と呟いた。
以前、聖を誘拐したさいにかけた、あの役員女性の番号だ。
削除してなかったのに気づいた。
不合格だったのに、何だろと思いつつ通話に出る。
「はい……」
「万沢 沙梨衣さんね。面接は残念な結果になってしまってごめんなさい」
「あ……いえ」
沙梨衣は泣き笑いのような表情になった。何だろ。一人ずつこんな電話してるんだろうか。
「あなた家政婦さんやってらしたことあるのね」
「あ……前に。失業して少しの間でしたけど家政婦紹介所に登録してて」
沙梨衣は答えた。
「うちに来ていただくことはできる?」
「え……」
聖とその父親が、沙梨衣の顔を覗き込む。
「私、実は夫と息子を事故で亡くしていて。あなたと話していると、なぜだか二人が近くにいるような気がして」
嬉しいのか寒気がするのか。
「良かったね、沙梨衣ちゃん!」
「さぁっすがママ!」
聖と父親が横ではしゃいだ。
終




