椀間市八橋保字拝天2-3 高内ビル3F ㈲拝天クリア・サービス ( 朝石市栄世町5-1 旧百貨店 多慶や6F )
お正月早々、急ぎで掃除の仕事をして欲しいと会社からメールが入っていた。福袋を買いに繁華街の近くに来ていたところだったのだか。
簾 香南子は、しょうがないなと思いつつ会社に寄った。作業着に着替え、掃除道具を身繕って収納バッグに詰める。
いつも社用車を運転してくれる社長すら来てないのかあと社屋内を見回したが、バスで行けないこともない。周囲の目も気にせず乗った。
ちゃんと洗濯した作業服、手にしているのは清潔な清掃用品収納バッグ。
別に迷惑じゃないよねと思う。
指示された場所は、長いこと廃屋だった旧百貨店。
先日も閉鎖した病院を自治体が買い取って整備するとかで掃除の仕事をしたが、ここもそんな感じだろうかと考える。
入口の自動扉は開いていなかったが、横にある社員通用口から入った。
よくあることなので、特に戸惑いもなく狭い階段をすたすたと昇る。
指示されたのは六階。元喫茶店の店舗とのこと。
新しいテナントでも入るのかなと考えながら、途中の踊り場から周囲を見回した。
ウェイター姿の男性が通りかかったので「お世話様です」と声をかける。
「喫茶店、こちらですよ」
男性は廊下の先を指し示した。
「え? そうなんですか?」
香南子は指された方を眺めた。まだ五階辺りでは。
教えられた方に歩を進める。
途端に足元の床がバキバキと抜けた。
「うわっ」
慌てて足を引っ込める。
掃除に来た先で建物を壊してしまったなんて、会社に苦情言われちゃう。
「すすすすすみませんっ。あのあの修理費用は分割でお支払いしますので……」
慌てて香南子はそう告げたが、ウェイターの姿は無い。
「あれ?」
早速、責任者に報告にでも行かれちゃったかな。社長に電話入れておいた方がいいだろうか。
胸ポケットからスマホを取り出す。
意外と中に人がいるんだなと思う。さっきはなぜか非常口から落ちそうになってたコートの男性がいたけど。
社長の携帯にかけるが、ノイズが入ってすぐに切れた。
「何でノイズ?」
眉を寄せる。
画面を見詰めていると、ややしてから呼び出し音とともに「華沢さん」との表示が出た。
「は、華沢さんっ」
お正月早々なんだろう。香南子は頬を火照らせながら通話に応じた。
「は、華沢さんっ。あああ明けましておめでとうございますっ」
『香南子さん』
今年も変わらず落ち着いたテノールだなあと心臓が高鳴る。
『今、どこにいます?』
どこになんて、やだちょっと恋人同士みたい。なんの用事だろうとドギマギした。
「元百貨店の多慶やです。あの、掃除で」
『今から六階の喫茶店に来ませんか?』
華沢がそう言う。
「六階の喫茶店って……今、掃除に行く所」
別の喫茶店かなと首を傾げる。
廃屋だった建物にテナントを入れ始めて、いきなり同じ階に喫茶店が二軒あるのか。揉めないのかなとか余計な心配をする。
『実は香南子さん』
華沢が声を潜める。
『掃除を口実に呼び出したの僕なんです』
「え」と香南子は目を丸くした。次の瞬間、一気に顔が熱を持つ。
だから会社に行っても社長もいなかったのか。なんの用だろとあたふたする。
『大事な話をしたいので、来てくれますか?』
期待しちゃうような言い方だけど、仕事の話だよねと自分に言い聞かせる。
うちに仕事を頼むのを今年からやめたいとか。わたし何かご迷惑かけたっけと記憶を探る。
『珈琲、奢りますよ』
そう言うと華沢は通話を切った。
階段を六階まで昇り、香南子は周囲を見回した。
廊下の突き当たりに喫茶店の入口らしきガラス扉が見える。
ガラス越しに複数の人々が行き来しているのが見えた。
喫茶店は二店舗あると思われるが、こちらの店でいいのだろうか。
「すみませぇん」
おずおずと扉を開ける。
中央のテーブルから、いつもの黒いスーツを着た華沢が手を振った。
「華沢さん」
香南子は笑顔で歩み寄った。
清掃用品収納バッグを床に下ろし、勧められるまま懐古趣味っぽい木製の椅子に座る。
店の中も昭和レトロな感じの内装だ。こんなところデートで来たかったなと心の隅で思ったりする。
「お、お話って」
「香南子さん」
華沢がすっと手を取る。
「ええええっ、なななんですかっ」
つい動揺し香南子は手を振り払ってしまった。振り払ってから、嫌われたかなと慌てる。
照れてどうしていいか分からず目線を泳がせる。
クラシックな感じのシャンデリアが頭上に飾られていた。大きく傾いているように見えるけど気のせいよねと思う。
「僕、結婚するなら香南子さんみたいな人がいいなと。ぜひ冥界……」
「帰りましょう、香南子さん」
唐突に真横から華沢の声がした。
今の今まで向かい側の席にいた華沢がいない。
「あれ? 華沢さん、いつの間に立って……」
「それ僕じゃありません」
訳も分からず香南子は店内を見回した。
先程、綺麗な昭和レトロ風の内装に見えていた店内は、埃だらけのガランとした光景に変わっている。
「あ……あれ? 掃除する店舗ってやっぱりこっち?」
香南子は眉を寄せた。
右腕をグッと引っ張られる。
華沢は強引に香南子を席から立たせると、速足で出入口に連れ出した。
「知人の婚活パーティーに付き添って来てたんですが」
「こ、婚活パーティー」
落ち着け、と香南子は自身の胸元を押さえた。
華沢さんじゃない。知人って言ってるじゃない。
「うちの弟がすぐそこの神社に来てるから、帰りは乗せて貰ったらいいです」
「弟さん来てるんですか。初詣?」
手を引かれながら、香南子は訳も分からず閉まった店の扉と華沢の顔を交互に見た。
「そこまで送って行きますから」
えっとつまり、呼び出したのが華沢さんということは掃除の仕事は無しということだろうか。香南子は首を傾げた。
もう一度社長に電話して確認しなきゃ。ノイズの入らない所で。
後にした店舗を何気なく振り向く。
店の手前の床に、先程は気づかなかった大きな穴が開いている。穴のそばに黒く煤けた五十円玉がいくつか落ちていた。
終




