於曾方市手塀1-15 築46年/戸建て2LDK バス停手塀掘田屋敷前徒歩10分/仲介
郊外の戸建ての賃貸の家。
ブロック塀に囲まれた狭い敷地内には、手入れの手間を省くためか植物は何も植えられていない。
置いてあるものすらなく、周辺の家の綺麗に木々の紅葉した庭と比べるとかなり寂しい。
過ぎるくらいシンプルな象牙色の外壁と、同色の玄関扉。
扉の横に嵌めてある縦長の磨りガラスは、古くなって汚れが付いたように霞んでいた。
ぼんやりと透けて見える淡いピンク色のものは、孫用にでも置いている傘だろうか。
秋庭 桂一は、呼び鈴を押した。
中から「はい」と男性の嗄れた声が聞こえる。
高齢男性の独り暮らしの家ということは、もう調べてある。
会社から課せられたノルマまでもう少し。
騙してでも商品を売って来いと言わんばかりの企業に勤めて七年。
もう騙して悪いという意識はあまり無い。
この企業に勤める前に新卒で入社した企業は、お客様ファーストが売りだったが入社後三年で倒産した。
商売なんてものは多少の差はあれ、どう騙すかだろうと今では思っている。
ネクタイを軽く直し、桂一は背筋を正した。
「はい」
磨りガラスに地味な色彩の服が映る。ここに住む高齢男性だろう。
扉を開けて対応して欲しかったなと思ったが、そのくらいの警戒心はあるのか。
まあいいと思った。
「お父さん、お独り暮らしですか?」
桂一は少し身体を屈ませ、出来る限り穏やかな声で言った。
「うんにゃ」と男性が否定する。
「今はここ、誰も住んでないよ」
桂一は眉を顰めた。
留守番の人間を装って、込み入った話を避けているのだろうか、それとも認知症か何かか。
「やだな、お父さん。じゃ、お父さんは何なの」
はははと桂一は笑ってみせた。
「わたし、もう死んどりまして。時々こうして来とるだけなんですわ」
桂一は扉に手を付き、しばらく無言になってしまった。
たまに手強い高齢者はいるが、これは初めてのパターンだ。
オカルト好きなんだろうか。
「じゃお父さん幽霊? 僕、幽霊見るの初めてだから見てみたいな。扉開けて姿見せてくれませんか?」
笑いながら桂一は話を合わせた。
「開けてやりたいんですが、ドアノブが触れんのですわ」
男性が言う。ほれ、ほれという言葉を繰り返した。中でドアノブを回してみせているのだろうか。
見えないって、と桂一は内心で突っ込んだ。
先程からガラスに映る淡いピンクのものの一部が不意に左右に動く。
傘じゃないのか。何だろうと思い、桂一は目線をそちらに移した。
「こらルリちゃん、お客様なんだから邪魔しちゃ駄目です」
男性が叱りつけた。
小型犬か猫だろうか。服でも着せてるのか。
「ペットですか? 僕、動物好きなんですよ。ルリちゃん撫でさせてくれませんか?」
ペットを口実に扉を開けさせようと桂一は思った。
「うんにゃ。あたしら早くに子供亡くしましてなあ。妻との海外旅行で買ったフランス人形に子供の名前つけて可愛がっとりましたら、あたしの死後この子動くようになりましてなあ」
磨りガラスの向こうで淡いピンクのものがぎこちなく動いている。
いや、自分で動かしてんだろと桂一は思った。
ここまで合わせてたら、自分の頭がおかしくなりそうだ。
「ね、ドアノブ駄目でも鍵ならいけるんじゃないですか? お父さん。チェーンロックとか外してみて」
話を戻して鍵を開けるよう誘導する。
「チェーンロックは、無いんですわ」
男性が申し訳なさそうに言う。
へえ。古い賃貸住宅だからかなと桂一は思った。
「あたしが中で倒れた後、臭いがするってんで近所の人が通報しましてね。消防の人が切ったんで、まあ無いというか壊れたまんまなんですわ」
「へえ。……それは」
桂一は適当な言葉を返した。
「壊してる脇で、“ええっ壊すんですか?” って言ったんですけどね、誰も聞こえなかったらしくて」
「……はあ」
「同じ頃にこの近くで通り魔事件がありまして、両方にワイドショーの取材が来たんでちょっと騒がしかったりして」
知らんがなと桂一は内心で返した。
やっぱり認知症だろうかと思う。
それならそれで騙すのは簡単そうだと思うが、発覚すれば罪に問われるだろうか。
ノルマとリスクを頭の中で計算する。
「まあその……大変でしたね」
とりあえず好意的な人のふりをする。
「いやあ。あんたも大変そうだなとあたしは思いますわ」
男性がそう言う。定年退職前は同じようにノルマのきつい企業にでもいたのだろうか。
「死んでからも営業回りとか、お仕事熱心ですなあ」
「は?」と呟いて、桂一は男性の顔の位置と思われる辺りを凝視した。
「失礼ですが」
真横から話しかけられる。
いつの間にこんな間近にいたのか。人一人分ほど空けた距離に黒いスーツの青年がいた。童顔だが二十五、六歳といったところだろうか。
「ここを管理しております、華沢不動産、事故物件担当の華沢と申します」
「はあ」
何の用なんだか。桂一は曖昧な口調で返事をした。
「元住人の方も仰っている通り、ここは現在は空き家でして。賃貸のご相談も生存している方に限定しておりますので」
不動産屋はそう言い、人当たりの良い感じでにっこりと笑った。
「いや別に借りる気は……」
「あなたにこのご説明をするのは、千九十五回目です」
「……は?」
桂一は目を見開いた。
不意に恐怖感と混乱を伴った記憶が頭の中に流れ込んで来る。
三年前、この近所で発生した通り魔事件。
犠牲者は三十代の男性一名。
帽子を被った若い男に刺されて倒れた自分を、大勢の人が見下ろしていた。
冬の手前だった。倒れたアスファルトが冷たかったのを覚えている。
頬に秋の雨がぽつぽつと落ちて来るのを感じながら、「もう少しでノルマ達成」と考えた。
「何回死んだと自覚しても、また同じことを繰り返してしまう人がいるとは聞いとりますがなあ。そういう人はやはり、早めに成仏した方が楽なんじゃないですかね」
ガラスの向こうで高齢男性が言う。抱っこした淡いピンクのものを、あやすように軽くぽんぽんと叩いていた。
「何ならあたし、これからあっち帰りますから。ご一緒しますか?」
どうします、という表情で不動産屋がこちらを見る。
手を振るように、淡いピンクのものの一部が左右に動く。
桂一はその様子を無言で見詰めていた。
終




