石有珠市知後月7-3 築51年戸建て 奥下急行知後月駅徒歩20 分 月見公園すぐそば
古い賃貸の一戸建てが並ぶ敷地。主婦の小川 弥生は、砂利の音を立て足を踏み入れた。
三軒目の家の前で、おもむろに立ち止まる。軽く身体を屈め、家の中を伺った。
小学生の息子を公園に迎えに来たところだった。幽霊が出る家だと言って聞かないので、ちょっと見に来てみたが。
この辺りに並ぶのは、築五十年以上の古い賃貸住宅だ。
一応、耐震補強はしてあるらしかったが、戦後から四半世紀しか経っていない時代の質素な感じが、今の時代に見ると怪談話の世界に紛れ込んだような異質さを感じさせる。
周囲に怪しまれないよう気を使いながら、家の前をゆっくりと彷徨き室内を伺ってみる。
古い少し歪みのある窓ガラスに、ショートカットにカットソー、ジーンズの自身の姿が映った。
三十後半過ぎてから少し太ったかな、と唐突に気になる。身体を捩り、横向きになったりして細く見える角度を探したりする。
向かい側の大きな家の出窓から、初老の男性がこちらを見ているのに気付いた。この辺りではちょっと目立つ豪邸だ。飲食店を経営している人の家とか聞いたような。
あんまり続けてると、変な人だと思われちゃう。
さっさと退散しようと思った。男性の方を向いて会釈し、そそくさと踵を返す。
「うちに御用ですか?」
不意に後ろから声をかけられた。
振り向くと、長い髪をハーフアップにしたOLか女子大生という感じの女性が立っている。
「えっ……いえ」
弾かれるように後退りし、弥生は愛想笑いをした。
「あ、あの、うちの子がここに幽霊が出るとか言って」
あはは、と弥生は笑い声を上げた。
ああ、と女性が曖昧な返事をする。
「変なこと言っちゃって。子供だから」
わざわざ確認しに来たのかと言われれば、自分も面倒臭い暇な主婦と見做されそう。そこまで突っ込まれないうちにこの場を離れようと思った。
視線を感じてもう一度古い家を見ると、掃き出し窓から別の女性がこちらを見ている。
この女性の同居人だろうか。今流行りのシェアとかそういうの。
話しかけて来た女性は優しそうな人だが、あちらの女性は怪訝そうに顔を顰めている。
ずっと中を伺っていた様子を室内から見ていたのだろうか。
お騒がせしましたという風に、弥生はペコペコと会釈をした。
賃貸住宅の並ぶ敷地を後にする。
息子の春樹が、すぐ近くの公園から大きく手を振った。
見覚えのない黒いスーツの男性と一緒にいる。二十五、六歳ほどの柔和そうなイケメンさんだが、まだ小学生の子供が知らない男性と親しげに話していたとなると、警戒する。
「どちら様?」
弥生は眉を顰め男性に話しかけた。さりげなく息子に歩み寄り手を引く。
「椀間市の不動産の者で」
男性はスーツの内ポケットを探ると、名刺入れを取り出した。
一枚を引き抜きこちらに手渡す。
華沢不動産 事故物件担当、華沢 空とあった。
「事故物件担当……」
そんなのあるんだ、と弥生は思った。事故物件が流行りといえば流行りだから、隠すよりも目玉商品にしてるってことか。商売してる人の考えることって凄いなと思う。
「幽霊いた?」
春樹が繋いだ手を揺すりながらこちらを見上げる。
「いなかったよ。お母さん、恥かいちゃった」
弥生は口を尖らせてみせた。
「ええー。幽霊いるよね、あの家」
息子の問いに、不動産屋が「そうですね」と返す。
子供相手に適当なこと吹き込んで、面白がってるんだろうかこの人と弥生は思った。
「いなかったよ。ちょっと気味悪い古い家だからって、そういうこと言わないの」
弥生はそう叱咤した。
「古い方じゃないよう。大きい家の方」
え、と呟き、弥生は元来た方角を振り返った。
「だって三軒目って……」
「三軒目の家の、向かいって言ったの。お母さん、ちゃんと聞いてなかったでしょ」
春樹が喚く。
「持ち主の飲食店経営者が、孤独死されていたそうです。コロナかどうかは検査中だそうですが」
不動産屋が言う。
「親戚の方から、あの家を売るか貸すかするとしたらどうなるか問い合わせがあったので」
「でも出窓から見てた男の人が」
弥生は言った。
「鍵は掛けてあるはずですが」
不動産屋が淡々とそう答える。
振り向いた格好のまま、弥生は動作を固まらせた。軽く血の気が引くのが自分で分かる。
「では」
不動産屋がそう挨拶して公園を後にする。
傾きかけていた太陽が雲に隠れ、辺りは薄暗くなってきた。五時を告げる公民館の音楽が聞こえる。
夕飯……買い物に行かなきゃ。弥生はなぜか混乱しつつそう思った。
終




