石有珠市西居6-1 築14年/戸建て2Dk西向き 奥下急行千怒目駅15分/自社
独り暮らしにも関わらず戸建ての家を選んだのは、事故物件ということで家賃が安かったのと、アパートほど隣近所に気を使わなくて良さそうだと思ったからだ。
住んでみると、家の周囲をぐるりと掃除しなければならないのと戸締まりに少々手間がかかるのが難かと思った。
玄関に注連縄を飾り、少し眺めて曲がっていないか確認すると、大石 柊吾は「よしっ」と小さな声で言った。
就職を機に独り暮らしを始めて八年、ここに越してから三年。
正月をここで迎えるのは今年が初めてだ。
例年は地元に帰るのだが、コロナ禍でお盆に続き断念した。
お盆の際は地元に無いこの地域なりの風習があるのだなと興味深く近所を眺めたが、正月は案外どこも同じ感じだなと思う。
実家からの御節料理も先ほど届いたし、あとはビールでも買って来ようかと近くのコンビニの方向を眺める。
財布とコート取って来るか。そう考えながら、少し冷えた手をセーターに擦り付けた。
掃き出し窓から室内を覗く。ここから直接室内に入れば早い。
ガラス窓を開けようとして、柊吾は手を止めた。
部屋の中央に設えた炬燵の傍に、カーディガンを着た小柄な人物が正座している。
向こうを向いているが、高齢の女性のようだ。
何かがガラスに映っているのかと思い角度を変えて見たが、女性は間違いなく炬燵の傍の紺色の絨毯の上に座っている。
柊吾は無言で掃き出し窓のガラスに顔を近付けた。
息でガラスが白く曇り、慌てて少し離れる。
事故物件とは聞いている。
幽霊などあまり信じてはいないので説明は殆ど聞き流す感じで聞いていたが、女性が亡くなったという話だったと記憶していた。
今まで霊現象らしきものは無かったので全く気にしていなかったが、とうとう出たのだろうか。
意を決して、掃き出し窓をほんの少し開けてみる。
先ほど実家に勧められた甘酒を試しに作ったが、甘すぎて飲めずガスコンロの上に放置していた。その匂いが部屋中に漂っている。
女性は、向こうを向いたままだった。
もう少し開けても大丈夫かと判断し、自身の顔の幅ほどに窓を開けてみる。
カラカラと軽い音がした。まずいと思ったが、それでも女性はこちらを向かない。
振り向いたら顔が無いとかじゃないだろうなと勝手に考えてゾッとする。
「あの……」
こわごわ話しかけてみた。
実際に幽霊に会ってみると、意外と平然と話しかけられるもんだなと思った。
「ここで亡くなった方ですか」
ストレート過ぎるかなと思ったが、他に言い方が思いつかない。
女性は、ゆっくりとこちらを振り向いた。
後ろ姿だと漠然と高齢という感じにしか捉えられなかったが、顔を見ると八十歳くらいだろうかと思う。
顔がきちんとあったことに柊吾はホッとした。
「ここで死んだんですよ……」
女性は嗄れ気味の声でゆっくりとそう話す。
マジか、と柊吾は呟き半歩ほど後退った。
「ある日突然、ぽっくり」
うわ……という声を柊吾は呑み込んだ。大声を出して刺激してはいけないと根拠もなく思う。
「それはあの……ご愁傷様です」
これは本人に言ってもいい挨拶なのだろうかと思ったが、取りあえず柊吾はそう言った。
「何で死んじゃったんだろうねえ」
高齢の女性は俯いてそう力なく呟いた。
「そういうパターンは、大抵ほら、脳溢血とか脳梗塞とか。分かんないけど、年齢のせいもあるというか」
「年齢……」
「いやあの、おば……いえお姉さん、お若いですよ」
女性が軽く首を傾ける。
「若かったんですよ……」
「いや、昔は誰でも若いというか」
自分でも何を言っているんだと思ったが、ともかく刺激して凶暴化されるのを防がなければと思う。
「すみません」
後ろから若い女性の声がした。
振り向くと、髪の長いOL風の女性と黒いスーツの二十代半ばほどの男性が立っていた。
男性の方は知っている。ここを管理する華沢不動産の事故物件担当の人だ。
契約のときに夜の社屋で説明を受けた。
名刺に書いてあった名前は、確か華沢 空。
「やだ、お婆ちゃん」
OL風の女性は掃き出し窓に手をかけ身を乗り出すと、「入っていいですか」と言いこちらを振り向いた。
どうぞ、という風に柊吾は手を差し出す。
「ごめんなさい。すぐに家に連れ帰ります」
女性はパンプスを脱ぐと、ばたばたと室内に入った。
見られて困るようなもの置いてなかったよな、と不意に気になる。
高齢女性の脇の下に手を差し込むと、OL風女性は無理やり立たせて掃き出し窓の方まで連れて来た。
「うちのお婆ちゃん惚けちゃってて。すみません」
OL風女性は苦笑してぺこぺことお辞儀をした。
「……って、生きてる人?」
「はい」
緩く腕を組み、横から不動産屋が答える。
「靴……」
そう呟いてOL風女性は周囲を見回した。
「これですかね」
勝手口の方に回った不動産屋がサイズの小さいサンダルを拾って持って来た。
「多分それです。すみません」
女性が声を上げる。
勝手口でサンダルを脱いで、開いていた掃き出し窓から入ったのか。行動原理があんまりよく分からんと柊吾は思った。
「不動産屋さんも、すみません」
OL風女性は、今度は不動産屋にぺこぺこと頭を下げる。
「いえ」
不動産屋は微笑してそう答えた。
女性が何度もぺこぺこと頭を下げながら高齢女性を連れて行く。
敷地を出てすぐの曲がり角に二人の姿が消えるまで、何となく柊吾は見送った。
「認知症の人だったんだ……」
「隣町に住む方なんですが、数年前にお孫さんが亡くなられて、その少し後にあんな感じに」
不動産屋は言った。
「あの状態で、どうやって隣町から来るんですか」
「電車で。正確にここに辿り着けはするみたいですね。危ないですが」
「はあ……」
そういうものか、と柊吾は思った。
それだけ以前は頻繁にここに来ていたのだろうか。
「ここに出る幽霊かと思っちゃいましたよ」
はは、と苦笑して柊吾は言った。
「それは連れ帰ったお孫さんの方ですね。お友達とシェアして住んでいらしたんですが」
二人の帰った先を眺めつつ不動産屋はそう言った。
「あちらが、ここで急死された方です」
「は……」
顔を硬直させてしまった柊吾に構わず、不動産屋は折り目正しく礼をした。
「では。良いお年を」
終




