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事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


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49/96

椀間市布濡住12-3 築27年/アパート1K・6/バス停上濡住近く南向き 自社

 窓から見える神社の銀杏の葉は、色づくまではもう少しかかりそうだ。

 小さな神社なので賑やかなお祭りがある訳ではないが、古くから住む近所の人が掃除をしているのを栗生 千秋(くりゅう ちあき)は窓からよく見ていた。

 特に宗教心がある訳ではないが、ここのところは窓から神社の様子を眺めていることが多い。

 あの銀杏が色づくのを、もう一度くらい見てからでも良かったかもしれないが。

 千秋は、何気なく自身の爪を見た。

 そういえば、以前はピンク系やベージュ系のマニキュアを綺麗に塗っていたなと思う。

 長いこと爪の手入れはしていない。

 髪の手入れや服の糊付けも最後にしたのはいつだったか。

 テーブルには、ラーメンを食べ終えたばかりの(どんぶり)が置かれたままだ。

 丼の内側には、先程まで盛られていた(もやし)いっぱいの味噌ラーメンの汁がこびりついている。

 丼の上に雑に置かれた箸が、カランと音を立ててテーブルに落ちた。

 脱ぎっ放しの靴下が畳の上に放置されているのを、千秋はぼんやりと眺める。せめて洗濯籠に入れて置けばいいと思うのだが。

 ここに越して来たのは、大学に進学したときだった。

 友達を泊めて恋愛の話をしたり、お酒とお菓子で盛り上がったりして楽しく過ごしていた。

 その後就職し友達を泊めることは少なくなったが、ここは他の住人も女性ばかりで居心地のいいアパートだった。

 だがもう、だらだらとここに住み続ける訳にもいかないかと思う。

 実家の父が、先立って亡くなった。

 小さな雑貨屋を一人で切り盛りしていた父だった。

 いい区切りだと思う。

 充実して働いていた新卒入社の会社も、とうに退職扱いになっているはずだ。

 ほんの少し開いた窓から秋口の爽やかな風が入り、レースのカーテンを揺らす。

「では、退去ということで」

 玄関の三和土(たたき)に立った黒いスーツの男性が言った。

 このアパートを管理する華沢不動産の事故物件担当の人だ。

 以前見せられた名刺には、華沢 (そら)と氏名があった。

 スーツよりも学生服の方が似合いそうな童顔だと千秋は思っていた。

 実際の年齢は二十五、六歳ほどらしいが、はっきりと聞いたことはない。

「この場合、特に手続きは要りませんので」

 茶封筒から出した書類をペラペラと捲りながら、不動産屋が言う。

「お世話になりました、不動産屋さん」

 千秋はもう一度テーブルを見た。

 不動産屋が来る前に淹れたインスタント珈琲の湯気が、まだ立っている。

 部屋の隅には、体育座りの若い女性がいた。

 肩で切り揃えた栗色の髪、Tシャツにカーディガン、ジャージという出で立ちだ。

 山里 実穂子(やまさと みほこ)

 今のこの部屋の住人だ。

 ここに住んで七年目、千秋は自転車との接触事故が元で死亡した。

 もう十年近く前になる。

 夜道で自転車とぶつかって転び、軽症だと思い込んで帰宅したところ布団の中で意識が失くなった。

 霊になっても居心地が良いので何となく居続けてしまったが、実家の父が先日亡くなったことを知った。

 良い機会だと思った。父に付いていってあげて一緒に成仏しようと思う。

「元気でね、千秋ちゃん」

 実穂子が(ひざ)の横で手を振る。

「……死んでるんだけど」

 千秋は眉を寄せた。

 ここが事故物件であるのを承知で住んだ人とはいえ、始めは姿を見せる気は無かった。

 しかし実穂子のあまりのだらしなさに、ある日とうとう我慢が出来なくなった。

 一回だけと思いつつ、姿を現して説教してしまった。

「実穂子ちゃん、何回も言ってるけど」

 眉をきつく寄せて千秋は言った。

「何で脱いだ靴下を置きっ放しにするの? 食事のあとは食器はさっさと片付けたら? 出来ればすぐ洗って。実穂子ちゃん、いったん洗い物ためると何日も置くんだもん」

「ああやだ、うるさい……」

 実穂子は顔を俯かせた。

「うるさくない。それから、畳にビール(こぼ)したら放置して寝ない。生ゴミを何日も溜め込まない。浴槽のお掃除しないで、ぬるぬるのままお湯を溜めない」

 千秋は顔を歪ませた。

「もう。さっきから、あの(どんぶり)と靴下が気になって」

「千秋ちゃん、お墓参り行くね。お父さんによろしく」

 実穂子はヒラヒラと手を振った。

「何か、実穂子ちゃんのだらしなさが凄い心残りなんだけど……」

「こちらは構いませんので、ご自分のタイミングでどうぞ」

 封筒に書類を戻しながら不動産屋が言う。

「えっ。不動産屋さんて、住み着いてる幽霊の成仏奨励してんじゃないんですか?」

 実穂子が脚を崩して声を上げる。

「特に奨励はしてませんが……」

 緩く腕を組み不動産屋は言った。

「ホームページのコメント欄で見ましたよ。事故物件の霊を格好良く調伏したって」

「ガセです。後で削除しておきます」

 不動産屋は淡々と言った。

「もう少しだけ居ようかな……」

 窓の外の銀杏の葉を眺め千秋は呟いた。

 美穂子が(ひざ)で畳を擦るようにして移動し、靴下を拾う。 

「大丈夫! 安心して成仏して、千秋ちゃん」

 心なし顔がひきつっている。

「では」

 全く空気を読んではいない感じで、不動産屋は真顔で会釈すると立ち去った。



 終





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