椀間市布荷多3-7 築16年1K6フローリング キッチン窓あり/バス停布荷坂前徒歩5分 南向き 自社
「おつかれさまです」
アパート二階。水周りと六畳一間のフローリングの部屋。
狭い部屋にきっちり二列に並んで正座し、馬鹿丁寧に三つ指を付いて出迎える人々に、匂坂 葉子は引いた。
自粛要請で、会社の出勤が当番制になった。
珍しく昼間に買い物を済ませ、帰って来たところだ。
男性四人に女性が六人、子供が三人ほど。
着物を着ている人もいれば洋服の人もいる。
殆どの人が、顔の半分ほどを覆う藍色っぽいマスクを付けていた。
男性は、雑に切った短髪か前髪をきっちり整えた髪型、女性は黒髪を簡素に結っていたり、緩くパーマをかけていたり。
ドラマで見た、大正時代か昭和初期の人たちという感じだった。
「あの……何ですか」
ついつい落ち着き払って葉子は言った。
買い物袋を流し台の上に置く。
普通なら異様な様子の不法侵入だが、あまりに非現実的で、何か経緯があるんだろうと冷静に思ってしまった。
ましてこの部屋は、事故物件であることを承知で借りている。
今まで何も無かったので気にしなかったが、とうとう遭遇したということか。
葉子は、外出時に付けている布マスクを外した。
焦茶色に染めた癖毛を軽く直す。
正座をした人々は、揃って顔を上げた。
「俺ら、この前のスペイン風邪で死んだ者で」
一番年長らしい男性が言った。
「この前って、いつ」
葉子は眉を寄せた。
「この前はこの前で」
男性は雑にカットした短髪を掻いた。
「あ、殆どの者は布荷多村の者なんだけど」
「今は椀間市布荷多だし」
葉子は言った。
「いやあ、俺ら、お坊さんの読経もそこそこに纏めて共同墓地に埋葬されちまってえ」
男性は再度頭を掻く。
「そういうのは後でいいから、要点」
「お姉さん、知ってる? チフスの時は、砂丘にずらっと並べて埋めたんだって」
男性の後ろから若い女性が口を挟んだ。
どこの砂丘を言っているのか。日本には、鳥取砂丘以外にも砂丘はあるんだけどと脳内で正し、葉子は眉を寄せた。
「お姉さん、お名前は?」
若い女性が言った。
「葉子」
「いい家のおひいさまみたいな名前だねえ」
全員が驚いたように目を丸くした。
まあ、昔は「子」の付く名前はそうだったと聞いたことはある。
全員が葉子より背が低いようだった。
昔の人は小柄だったんだなと思う。
「説明もういいわ。ちょっと待って」
葉子はバッグからスマホを取り出し、スペイン風邪を検索した。
「へえ。ちょうど百年前のパンデミック」
画面を見ながら葉子は言った。
「百年だって、あんた」
中年女性が横にいた男性の肩を叩く。
「老け込む訳だなあ」
男性はげらげらと笑った。
察するところ、あそこは夫婦なのかと葉子は思った。
「これも何かの縁かと思いまして」
年長の男性は言った。
「……何の縁」
葉子は顔を顰めた。
ともかくここが事故物件だということは、納得して借りている。
基本的に幽霊は信じていなかったので、どんな類いの死亡例があったのか、あまりきちんと説明を聞いていなかったが、この人達の共同墓地の跡地に建ててしまったアパートということだろうか。
「わたし、お茶飲むけど飲みます?」
がさがさとビニール袋の音を立て葉子は尋ねた。
買い物の後、歩きながらお茶を飲みつつ帰って来た。
人混みを避けて行ったこともないお寺の近くを通ったら、飲みかけのお茶をどこかに置き忘れてしまった。
戻るのも面倒だったので、帰宅してから改めて飲もうと道沿いのスーパーで二リットル入りのお茶を買った。
「ペットボトルのお茶だけど」
「ありがとうございます」
スペイン風邪の幽霊達は笑顔でそう言った。
幽霊など見たことは無かった。
信じてもいなかったが、本当に現れたらどんな感じなのかと想像してみたことはあった。
現れてみると案外こんなものかと思う。
全員が人の良さそうな純朴な人達という感じだ。
別に暗い顔をして枕元に立つ訳じゃないんだなと思う。
「今は急須で淹れるんじゃないんですね」
女性の一人が首を伸ばし、不思議そうにペットボトルを見る。
「そういう人もいると思うけど、大抵はこれだね」
葉子は言った。
「今の子供って急須でお茶淹れるの見たこと無くて、急須に水入れて直火に掛けたりするんだって」
葉子がそう言うと、全員が「へえ」と感心したような声を上げた。
「いや……笑うところだと思うんだけど」
葉子はそう返した。
「何人分?」
人差し指を動かし、人数を数える。
「あ、全員で一つで結構です。お供え物としていただければ」
年長の男性が言った。
「そうなんだ」
珈琲カップに緑茶を注ぎ、葉子は小さな卓袱台に置いた。
自身もやっと卓袱台の横に座る。
今までの早朝と夜しかいない生活では、この人達とは遭遇しなかった。
夜までには消えるということなのだろうか。
寝るときもこの様子では辛い。
「葉子さん、葉子さん」
正座した女性達が、膝でフローリングの床を移動した。
「コロリ流行ってるんですって?」
声を潜め女性の一人が言う。
「コロナね」
「コロリって、あたしの婆ちゃんの若い頃にさ」
「コロナね」
葉子は言った。
「お前、莫迦だな。コロリは本当はコレラって言うんだぞ」
男性の一人が横から割って入る。
「コレラかい」
中年の女性が言った。
「コレラ流行ってんの?」
七、八歳ほどの男の子が言う。
「コロナ」
葉子はもう一度言った。
「葉子ちゃん、コロナで死んだら一緒にいてあげるね」
三歳ほどの女の子が、葉子の手を取った。
有り難いけど縁起でもないなあと葉子は苦笑する。
「おつかれさまです、葉子ちゃん」
女の子は、小さな手を合わせた。
仕事が殆ど休みなのに、お疲れ様なのか。昔の人は今より頻繁に言っていたんだろうかと葉子は思った。




