朝石市片吉3-8 築26年/アパート1K バス停片吉徒歩5分 コンビニ近く/自社
黒いスーツを着た担当者が、身体を屈ませアパートの玄関扉の鍵を開ける。
アパートを管理する華沢不動産の事故物件担当者ということだった。
二十五、六歳ほどだろうか。
やや童顔だが落ち着いた表情で微笑した。
静かに扉を開け、中へと促す。
白石 柊吾は、中を見回した。
就職を機に安い所に引っ越そうと、ネットで格安物件を探していた。
事故物件の噂はいろいろ聞くが、気分的に嫌な人が多いというだけで、幽霊などが出るというのは眉唾だろうと思っている。
学生時代は親に家賃を出して貰っていたが、就職して自分で払うとなったら少しでも安い方がいい。
和室一部屋とキッチン、トイレ、風呂場がコンパクトに据えられた水廻り。ごく普通の間取りだ。
想像していたような陰気な雰囲気は無かった。
オフホワイトの壁紙が日焼けしているものの、見た感じは不自然に修復された所も見当たらない。
「綺麗……ですよね」
「中どうぞ」
不動産屋は三和土で革靴を脱ぎ、奥へと促した。
敷居を跨ぎ、和室へと入る。
やや古い畳を靴下を履いた足で踏むと、しんなりとした音がした。
「あの……具体的にここ、何があったんですか?」
「殺人ですね」
思わず柊吾は目を見開いた。
いろいろ想像はしていたが「来た」という感覚だ。
「強盗とか、そういう感じですか」
「いえ、ここの住人が殺人犯で」
不動産屋は言った。
「三人ほど騙して連れ込み殺害したそうです。最後の被害者に逃げられる際に、追いかけようとして転倒し後頭部を打ったらしいんですが」
「うそ」
柊吾は怯んで僅かに身体を引いた。
「何か……天罰ですかね、その死に方」
「さあ。あんまり宗教信じてないんで」
不動産屋は素っ気なく返す。
柊吾は室内を見回した。
「ゆっくりお決めになっていいですよ。通常の物件もありますし」
「いや……やっぱ安いに越したことないと思ってるんで」
柊吾はもう一度見回した。
南側の腰窓からは、大きな梅の木が見えた。
白い花をいくつか付けている。
就職先の研修も近いし、さっさと決めてしまいたい気持ちがあった。
「あの……何て言うか、梅という字が付く土地は、何かを埋めた所だなんて話聞いたことが」
はは、と笑いながら柊吾は言った。
不動産屋が真顔でこちらを見る。
「この部屋にいた殺人犯、あの梅の下に殺した人を埋めたとか」
馬鹿な話したかと柊吾は苦笑した。
いろいろ過激な想像をしていたとはいえ、実際の殺人現場となると、やはり衝撃的だ。
「遺体は、ここの近くの山中に放置していたそうです」
不動産屋はそう淡々と話した。
「スーツケースに入れて運んだようですね」
不動産屋は、不意にすっと髪に指先を当てた。
髪を掻き上げた仕草に見えて違和感を覚えたが、単に項の辺りに手を当てただけか。
「はあ……埋めたんじゃないんですか」
「腕力的に穴を掘るのは無理だったんじゃないですかね」
「腕力的に」
「女性でしたから」
「そうなんだ」
そう柊吾は言った。
何となく男を想像していた。
梅の木の向こう側は広めの道路だった。道路の向かい側にバス停が見える。
すぐ近くにはコンビニがあったのを、玄関から入る時に確認していた。
便利そうな場所だ。
時期的に他の借り手がすぐに付きそうだと思った。少々焦る。
「実際、その殺人犯の幽霊が出る訳じゃないんでしょ?」
「お茶飲みますか?」
不動産屋はそう言うと、スーツの袖を捲り水廻りの方を見た。
「ああ……はい」
柊吾はそう返事をした。
流し台の前に立った不動産屋を眺める。
蛇口を捻り、薬缶に水を汲み始めた。
「空き部屋なのに、水道とかガスとか使えるんですね」
「事故物件の方は、日割りで契約する方も急遽退出する方もいますから、すぐに使えるようにしてあるんです」
不動産屋は言った。
「へえ……基本料金とか、元取れます?」
「何とか営業努力してる感じですかね」
水を汲んだ薬缶を、不動産屋は火に掛けた。
ややして沸騰したことを示す甲高い音がし、火を止める。
「緑茶でいいですか?」
「あ、はい」
不動産屋は吊り棚から緑茶の缶らしき物を出すと、茶葉を急須に入れた。
お茶の強い香りがしないなと思った。殆ど無臭だ。
ここに置きっ放しなのだろう。古い茶葉なのかもしれないと柊吾は思った。
「畳の上に置くことになりますが」
暫くしてから、不動産屋は湯気の立つ湯呑みを持って来た。
「ああ……別に」
「寛いで、ゆっくり決めてくれて構いませんので」
畳に正座し、不動産屋は湯呑みを置いた。
何か取り忘れたのか、すぐに立つと水廻りの方に向かう。
柊吾はゆっくりと正座した。湯呑みを手に持ち、中の緑茶を見る。
やっぱり緑茶の香りがしない。草のような香りが微かにする感じだ。
契約するかどうかも分からない客に出すものだ。滅茶苦茶安いものなのかもしれないと思った。
まあ、毒という訳ではないだろう。
湯呑みを口に運ぶ。
途端。
不動産屋はつかつかと早足でこちらに戻ると、引ったくるようにして湯呑みを奪った。
険しい表情で柊吾と目を合わせたが、すぐにホッとしたような表情になる。
「……間に合って良かったです」
「は?」
何のことか分からず、柊吾はぽかんとした。
「誰にここに案内されました?」
不動産屋は湯呑みを水廻りの方に持って行き、緑茶を流し台に捨てた。
「誰にって……あなたに」
「聞き方が悪かったです」
不動産屋は言った。
「どの時点でこの部屋に案内されました?」
「どの時点っていうか……」
訳も分からず柊吾は、つい先程の記憶を辿った。
「場所がよく分からなくてこの部屋の前でキョロキョロしてたら、あなたが話しかけて来てここだって言ったんじゃ」
「それ、僕じゃないです」
不動産屋は言った。
「この部屋にいた殺人犯です」
柊吾は湯呑みを奪われたままの姿勢で固まっていた。
頭の中が鈍く動く。
「幽れ……?」
「お電話で言った待ち合わせ場所に来ないんで、こっちを見に来てみて良かったです」
不動産屋は、もう一度ホッとしたように息を吐いた。
「部屋に男性を連れ込んでは、緑茶と言って毒草を煎じて飲ませてたんですよね」
「な……何ですかそれ。動機は?」
「さあ。発覚する前にご本人が亡くなってるんで。週刊誌なんかでは、実父の虐待で男性全体に恨みを持つようになったとか書いてましたけど」
不動産屋は言った。
「え……それで、被害者が山中に捨てられてたって、何で分かったんですか」
「日記を付けていたんです。紙の方の。殺人に関しての部分は、ピンクのマーカーで可愛いらしく下線が引いてあって。あと、緑のペンでお茶のマークとか」
「はあ……?」
呆然と柊吾はそう返した。
「それ、快楽殺人とかそういうのじゃ……」
「どうなんですかね」
さらりと不動産屋は言った。
「待ち合わせ場所でお渡ししようと思っていたんですが」
内ポケットに手を入れると、不動産屋は名刺入れを取り出した。
名刺を差し出す。
華沢不動産、事故物件担当と書いてあった。
「お名前……華沢 空さんでいいんですか?」
「はい」
内ポケットに名刺入れをごそごそと仕舞い、不動産屋はそう返事をした。
「それで」
大きな梅の木の見える窓の方を、不動産屋は眺めた。
「ご案内しようとしていた物件は、道路挟んで向かい側の正面の部屋なんですが。どうします?」
そう不動産屋は言った。
終




