朝石市河岸西3-2 1Kロフト 築40年リフォーム済みキッチン窓ありスーパー近く バス停河岸西徒歩8分/自社
アパートの二階。半額で買った三本の恵方巻を、小豆澤 春奈はシンクの作業台で等間隔に切った。
大きめの皿に乗せ、引き戸で仕切られた六畳の和室に移動する。
「こんな感じでいいかな?」
部屋にいた三人の友人に声をかける。
炬燵テーブルの上を拭いていた咲子が顔を上げた。
焦茶色のセミロングの髪を耳にかける。
先程まで遊びで降霊の真似事をしていた。
使っていた筆記用具やコップや硬貨をテーブルの端に既に避けていた。
「あ、これに入れて」
百円ショップのプラスチックの籠を渡すと、咲子は筆記用具をがしゃがしゃと入れた。
就職が決まったのを機に越してきたアパートだった。
この部屋が実は事故物件だという話から、ネットで見た降霊で出るかなという話になった。
ふざけて暫くの間やっていた。
結局何も起きず、当初の予定だった恵方巻パーティーをやろうという流れになった。
「年末に飲み損ねたボジョレー持って来た」
窓際のカーテンの横で長い髪を結わえていた彩が、持参したビニール袋を探る。
「毎年買ってんの?」
部屋の角で体育座りしていた希が身を乗り出す。緩く編んだ三つ編みが項で揺れた。
「うちの近くのドラッグストアが、毎年ボジョレーにポイント付けてくれるんだよねえ」
それでつい、と彩は笑った。
全員、高校時代からの友人だった。高校卒業後の進路はバラバラだったが、年に何回かお互いのアパートに集まったりしている。
時計は十時を指していた。
夕飯には遅い時間帯だが、恵方巻が半額になる頃を待って買い物に行ったら、ずるずるとこんな時間になってしまった。
「太りそ」
時計を見ながら咲子が苦笑いする。
「明日の朝、食べなきゃいいんでないの?」
彩がげらげらと笑う。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「不動産屋さんかな」
玄関の方を向き春奈は言った。
不思議そうに見た友人たちと目が合う。
「なんかね、事故物件は夜中に突然解約したがる人がいたりするからって、今頃の時間帯に様子見に来るんだよね」
春奈はそう説明した。
「こんな時間に? 女の人の独り暮らしの部屋に?」
眉を寄せ彩がそう言う。
「いちおう、嫌な場合はドア越しでもいいって言ってたけど」
「おじさん?」
咲子が言った。
「若い人」
春奈はそう答えた。
玄関口に移動すると、友人たちは後ろから付いて来た。
不動産屋さん、変に思わないかなと思いながら玄関扉を開ける。
黒いスーツの男性がいた。
名前は華沢 空。このアパートを管理している華沢不動産の事故物件担当者だ。
「様子は。変わりありませんか」
いつも通り不動産屋は穏やかな口調でそう尋ねた。
春奈の後ろから「イケメン、イケメン」と小声で話し合う声が聞こえる。
恥ずかしいなと思い春奈は苦笑した。
「変わり無いです。何も出ませんし」
春奈は言った。
「そうですか」
そう言うと、不動産屋は脇に挟んでいた大きめの封筒を手にした。
中から書類を出そうとしたが、不意に顔を上げる。
僅かに目を見開き、玄関の一点を見ていた。
何かと思い、春奈は振り向いた。
背後には、潜めた声ではしゃいでいる咲子と彩、部屋には座ったままの希。
消してあるテレビと、閉めたカーテン。
築年数の割には綺麗な畳と、和室には不似合いな可愛い洋室用の天井の照明。
特におかしなものは見当たらない。
「どうしました?」
春奈は言った。
「何も無いならいいです」
不動産屋はそう答えた。書類にボールペンで何かを書くと仕舞う。
「前に僕がお渡しした名刺はありますか?」
内ポケットに手を入れながら不動産屋は言った。
「無ければ今お渡ししますが」
「え、いえ。あります」
春奈はそう答えた。ちゃんとテレビ台の下の小物用の引き出しに入れてある。
「問い合わせのお電話は真夜中でも結構です。十二時くらいまでは社長が出るかもしれませんが、それ以降は僕が出ますので」
「あ、はい」
「では」
不動産屋は会釈をすると立ち去った。
安っぽい階段を降りる音が遠ざかると、彩が横に並んで玄関から外を覗き見た。
アパートの敷地を道路に向かって歩いて行く不動産屋を目で追う。
「いつもこんな感じなんだ」
「ううん……いつもとちょっと違うような」
春奈は首を傾げた。
「不動産屋さん、帰ったの?」
部屋の方から希がそう声をかけて来た。
春奈はそちらに向けて頷く。
「恵方巻ってさあ、ちょっとやらしいお座敷遊びから来てるって知ってたあ?」
彩がそう言い、部屋に戻った。
「なにそれ、知らない」
咲子が並んで部屋に戻る。
春奈は何気なく玄関の狭い三和土を見た。女物の靴が乱雑に脱ぎ散らかされている。
不動産屋さん、これ見たかな。恥ずかしいなと思いながら屈んで並べ始める。
奇妙なことに気付いた。
自分のものではない靴は、二足だった。
部屋の方を振り向く。
友人は、三人。
「え……」
春奈は三人を順番に見た。
そういえば、恵方巻は三本。揃って買い物に行き、一本ずつ好きな種類を選んだはずだ。
「ボジョレー飲むよお」
彩がペットボトルを手に手招きした。
手招きという仕草にゾッと来る。
手が逆ではないかとか、中途半端なオカルト知識で確認してしまった。
「コップある?」
咲子が水場に戻りそう尋ねる。
食器が置いてある小さな戸棚を指し示すと、コップを三個取り出した。
「え……三個」
春奈は言った。
「え? 三個でいいよね」
咲子は部屋を振り向いた。
咲子には、ここにいるうちの一人が見えていないんだと思った。
少なくとも咲子は居てもおかしくない人ということでいいのだろうか。
いや違う。
もしかしてここに住む前の住人の幽霊が、自分を排除しようとしているのかも。
そんなオカルト話があったような。
寒気がした。
幽霊なんて見たことないし、そう滅多に出るものじゃないと思ってた。
友人を見回す。
咲子、彩、希。全員、顔も名前も分かる。
誰が幽霊なのか分からないのが何より怖すぎた。
「不動さ……そだ、不動産屋さん」
春奈はそう思い立ち、部屋に駆け込んだ。
テレビ下の引き出しを探る。
バッグから携帯を取り出し、名刺にある不動産の番号に掛けた。
「どしたの?」
彩と咲子が不思議そうに見ていた。
何度かの呼び出し音ののち、留守電のメッセージが流れた。
伝言を録音するつもりでいたが、その前に不動産屋の「はい」と言う声に切り替わった。
この時間帯なら社長が出るかもしれないと言っていたが、出たのは担当者の華沢 空のようだった。
「ちょうど良かったです。社長がお風呂に入ってる時間帯で」
「不動産屋さん、あ……あのあの」
春奈は震える声で言った。
「希さんに代わっていただけますか」
「え……希」
春奈がそちらを振り向く前に、希が背後から携帯の通話口に顔を近付けていた。
「すみません。悪気は無かったんですけど」
希は言った。
「降霊遊びとかしてる人達だから、平気かと思って」
そう言うと、希は正座に座り直した。
折り目正しくお辞儀をする。
「お騒がせしました。わたし、就職とかする前に自殺しちゃったから、何か混じってみたくて」
「え……え?」
混乱して春奈は答えに窮した。
「自殺の際わたしが汚しちゃった畳は、不動産屋さんが取り替えてくださったので大丈夫です。あと、もう不必要に出るつもりはありませんので」
「ああ……はい」
つい春奈はそう返した。
彩と咲子が、相変わらず不思議そうに眺めている。
「差し出がましいのですが、よろしければ今後、同年代として何か相談にでも乗れれば」
「……真面目なんですね」
思わず春奈は言った。
希は再び頭を下げる。
「そうなんです。わたし、真面目というか思い詰める癖があって、すぐ死にたいとか考えちゃう方で」
洒落にならない、と脳内で突っ込み春奈はやや身体を引いた。
「解約なさるなら今からでも伺います」
電話口の向こうで不動産屋は言った。
「えと……どうしよ」
春奈は迷って目線を泳がせた。
急に言われても引っ越し先なんてすぐには見つからない。
何より面倒臭い。
お金もかかるし。
物凄く怖い目に会わされる幽霊ならともかく、こんな感じだとかなり迷う。
炬燵テーブルの上の恵方巻が目に入った。
「取りあえず恵方巻パーティーやってから考えます……」
何かそう言ってしまった。
終




