於曾方市戸津頭1-11 築26年2K6・6/西向き 楚洲下線戸綱駅/自社
アパートの一階。炬燵とカラーボックスとテレビだけの素っ気ない部屋。
徳用と印刷されたビニール製の袋を、伊豆木 立は両手で開けた。
落花生がぎっしりと入っている。
片手を袋に突っ込み握れるだけ取り出すと、炬燵の上に無造作に置いた。
バラバラという音がする。
これは後で食べるやつ。
三粒ほど摘まんで、同じく炬燵の上に並べた。
これは豆まき用。
立の地元では、炒り豆ではなく落花生を撒くのが一般的だった。
この時期にはまだ雪が積もっているため、外に撒いた豆が見つかりやすいようにという理由だったが、その理由を知ったのは地元を出て独り暮らしを始めてからだった。
地元にいた頃には、落花生が普通だと思っていた。
三年前大学に入学し、初めて迎えた節分で、スーパーに豆まき用の落花生が無いことにショックを受けた。
立はビニールの袋の中を覗き込み、袋を軽く振って均した。
当分、おやつはこれだ。
撒くのは三粒だけ。勿体ないから。
節分の元々の主旨からはいろいろ外れているが、こんなん気分の問題だろうと思う。
「よし、んじゃ」
点けっ放しのテレビは、お笑い芸人が雑談しているだけの番組だった。
面白くて見ている訳ではなく、静かな部屋が苦手で点けている。
落花生を三粒持ち、立は部屋と水場とを仕切る引き戸を開けた。
電気を点ける。
部屋は二つあった。
どちらも六畳間。
郊外で交通の便があまり良くないというのと、死者が出た物件ということで、家賃は相場よりだいぶ安かった。
大学には自転車で通っていて、交通の便の悪さは問題ない。
幽霊は見たことはないし信じてもいないので、特に気にもしなかった。
二部屋で家賃が安いなら、ラッキーという感じだ。
右手を上げ、水場の端の方に狙いを定める。
「鬼は……」
年配の男性が、もう一つの部屋の出入り口からこちらを見ていた。
目を大きく見開き、出入り口の縦枠から顔の上半分だけを出してじっと見ている。
目と額の皺の感じでしか分からないが、七十代くらい行ってるだろうか。
短い髪は、ふさふさと生えてはいたが真っ白だった。
心臓が跳ね上がる。
立は右手を上げた姿勢で固まった。
「んぇ……」
変な声を出してしまった。
幽霊。
そう思った。
確かここで死んだのは、男性だとは聞いている。
ここに越して三年、今まで見たことはなかったが、何か未練のある物でも見つけてしまったのか。
落花生に未練があるとか。
それとも夕飯代わりに食べたスーパーの半額の恵方巻か。
今年は閏年なのを思い出した。
閏年に何か未練があるとか。
「あの……」
右手を上げたまま、立は言った。
「幽霊……ですか?」
なぜ確認しているんだと自分でも思ったが、実際に会ってしまうと案外落ち着いてるものだと知った。
年配男性は、更に目を見開いた。
暫くしてから掠れた小さな声で答える。
「はい……」
「ええと、未練があるんですか?」
「な、何にですか」
「いえ、聞きたいのはこっちで」
立は言った。
「いつもそこにいるんですか?」
男性は、暫く沈黙していた。ややしてから「はい」と答える。
そちらの部屋は、寝室にしている部屋だ。
やべえ所で寝てたな、と初めて寒気がした。
「い……いつもどこにいるんですか?」
立は尋ねた。漸く気付いて右手を下ろす。
「こ、この部屋」
「いやだから、その部屋のどこ」
男性は暫く沈黙してから答えた。
「……天袋」
「天袋って何ですか」
男性は眉を寄せてこちらをじっと見た。
何か困惑しているようにも見える。
天袋とやらを知らない人間がいるとは思わなかったという感じか。
「……押し入れの上にある、小さい物入れ」
男性はそう説明した。
ああ、あれか。
天袋って言うのかと立は思った。
「何でそんな所に居るんです。そこで死んだとか?」
立がそう尋ねると、男性はまた沈黙した。
今度の沈黙は長かった。
点けっ放しのテレビの音声が不意に耳に入って来る。
聞こえないくらい緊張してたのかと気付いた。
「あの」
「……天袋に撒いた豆を回収しようとして、手で探ったけど見つからないんで仕事用の脚立で登って、天袋に上半身突っ込んで探そうとしたら、そこで急に意識が遠退いて……」
あるのか、そんな死に方。
立は眉を寄せた。
突然の心筋梗塞とか脳溢血とか、そういう感じかなと思った。
しかし、そんな所にまで律儀に豆を撒く人間がいるのか。
主要箇所だけ三粒で済ませるのが申し訳なくなってきた。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「華沢不動産の者ですが」
玄関扉の外からテノールの声が聞こえた。
このアパートを管理している不動産屋だ。
立は玄関の方を振り向いた。
「ちょっと出るけど」
男性に向けて言う。
男性は小さく二、三度頷くと、部屋の中に顔を引っ込めた。
そういえば不動産屋は、実際に幽霊が出るかどうかは把握しているのだろうか。
住人から話が出れば備考欄に書き留めるくらいはしているのか。
立は玄関扉を開けた。
黒いスーツの男性がいた。
二十五、六歳くらい。襟足のやや長い黒髪短髪で、童顔だが落ち着いた感じの人だ。
このアパートを管理している華沢不動産の事故物件担当者で、名前は華沢 空。契約時にそう書いた名刺をくれた。
「様子はどうですか」
いつもと同じように微笑して不動産屋は言った。
事故物件は、夜中に突然解約したいと言い出す人もいるとかで、毎夜こうして一回だけ様子を見に来る。
契約時にそれを聞いたときは、まさか本当に幽霊が出るとは思わなかった。
「いやあの」
立は、寝室の方をちらちらと振り返りながら言った。
「あの」
「はい」
不動産屋は言った。
「やっぱ、他の事故物件も、幽霊とか出るなんて話はあるんですかね」
「ありますね」
不動産屋はさらりと言った。
「何かありましたか?」
「いや……さっき、お爺さんの幽霊出て」
不動産屋は、やや眉根を寄せて立の背後の辺りを見た。
「部屋に?」
「寝室にしてる方に。突然いたんでびっくりしたんですけど」
「まだ部屋にいますか?」
「ああ、うん。多分。不動産屋さん来たんで出ようとしたら、部屋に引っ込んだ」
「ちょっといいですか?」
不動産屋は、立の肩を軽く掴むと前に出るよう促した。
立は、少々つんのめるようにして玄関の外まで連れ出された。
「何?」
そう尋ねると、不動産屋は口の前に人差し指を立てた。
中を伺い扉を閉める。
「通報しますので、暫くコンビニにでも行っててください」
「え」
不動産屋は声を潜めた。
「ここで亡くなった男性は、三十代の大柄な方です」
「えっ……」
「お会いしたことは無いですか」
「……無いです」
いったんそう答えてから、立は不動産屋の顔をついじっと見た。
「あるんですか?」
「何度か。生前に一度と、亡くなった後に」
立は眉を寄せた。
不動産屋に勤める傍らで、霊能者でもやっているんだろうか、この人。
「え、じゃ、あの爺さんは何」
「多分、窃盗目的で侵入したんじゃないかと」
不動産屋は言った。
「ぇえ……」
立は玄関扉を見詰めた。
幽霊という設定に適当に合わせて、隙見て逃げる気だったとかだろうか。
「ご、強盗ってことは無いですよね。ここで死んだ人、あれに殺されたとか」
「ああ……」
不動産屋は言った。
「ここで亡くなった方は始め変死かと思われたんですが、実際は病死でした。強盗ではなかったですね」
不動産屋は脇に挟んでいた大きめの封筒を手に持ち、書類の上半分だけを出した。
「天袋に撒いた豆を手探りで回収しようとしたそうなんですが見つからず、仕事用の脚立で登り、天袋に上半身だけ入って探そうとしたあたりで意識を失ったそうです」
不動産屋はそう言い、書類を仕舞った。
「突然の心筋梗塞とか、そういう感じだったらしいですね」
何やらデシャヴを感じて、立は鳥肌を立てた。
あの侵入者は、口から出任せを言ったつもりだったのかもしれないが、もしかして背後に前の住人がいたとか。
「では。通報しておきますので、後は警察の指示に従ってください」
書類を脇に抱え、不動産屋は会釈した。
終




