於曾方市保津2-11 築30年/戸建て/南向き バス停保津塚前/仲介
目覚めると、流線形の模様の入った和室の天井が目に入った。
中央に四角い傘の付いた電灯がある。
見覚えは無い部屋だった。
竹田 茉白は、もそりと上体を動かすと、部屋を見回した。
ショートボブの黒髪を、ぐしゃっと雑に掻き上げる。
布団に寝かされていた。
分厚い敷き布団に、毛布と白いカバーの付いた布団。
中央がくり抜かれ網の部分のあるカバーだった。田舎の祖母の家でしか見たことがない。
スーツを着たままだった。
枕元にコートとマフラーが畳んである。
企業の面接に行く途中だったはずだが。
がらんとして、何も置いていない和室だった。
窓から庭らしき場所が見える。
さほど広くはない敷地に何本か植えられた背の高めの木。葉には雪が少し残っていた。
一戸建ての家なんだなと見当を付ける。
部屋の出入り口の引き戸が開いた。
顔を出したのは、小柄な高齢女性だった。
背筋はしゃんと伸びているが、八十歳は越えていそうだ。
地味な焦茶色の着物を着ている。
今どき珍しいなと思った。
「目が覚めたかい」
高齢女性は言った。
「あの」
茉白が言葉を発する前に、後から入室した中年の女性が大きな声を上げる。
「お父さん、来て来てえ! 目が覚めたって」
ああそなの、とのんびりとした中年の男性の声がした。
「あの、えっと」
「あんた」
高齢女性は、こちらにずんずんと近付くと、着物の裾を揃え茉白の横に正座した。
「貧血で倒れるなんて何です。牛乳とか飲んでないでしょ」
「牛乳……」
茉白は呟いた。
確かに牛乳はあの粘り気のある感じが苦手だ。
でも珈琲にミルクは入れる。
何も怒るみたいに言うこと無いじゃないと思った。
中年女性が、正座した高齢女性の後ろで身体を屈ませた。
「あなた、すぐ前のバス停で降りた途端に倒れたの」
そう言った。
真面目そうな中年の男性が、部屋入り口でうんうん、と頷いている。
「ああ……」
茉白は宙を眺めた。
それでこの家族が親切に運んで寝かせててくれのか。
親切だなあ、日本っていい国だなと茉白は思った。
他の国、よく知らないけど。
茉白は雑に布団を退かせると、正座して見よう見まねで三つ指を付いた。
「ご親切にありがとうございました。ではこれで、おひまさせていただきます」
「手の位置が違う!」
高齢女性が鋭い声を上げた。
茉白は、ぱちくりと目を丸くした。
後ろで中年女性が「お義母さん……」と顔を顰めている。
「手を前で揃えるのは、江戸風! 京風の膝の上に手を置いたままが本来です!」
高齢女性は言った。
「あ、あたし東日本の人間ですし」
「なら江戸風で良い。姿勢が悪い!」
「し、姿勢」
茉白は思わず正座し直した。
「背中丸めてスマホばかり見てるんでしょ!」
「あの、それはともかく、あたし面接に行くところだったんですけど」
「なら、ちゃんとしたご挨拶を覚えて行きんしゃい!」
何これ怖い。
茉白は、出来うる限り行儀が良いと思われる姿勢で座り直した。
「まあまあ、お義母さん、余所のお嬢さんですし」
中年女性が苦笑して言う。
この人は優しそうだ。部屋入り口の男性とは夫婦かな。
厳しいお姑さんと同居してる感じなのか。ストレス溜まるだろうなと茉白は思った。
「あんたは、そこの宇美山物産に面接に来たのか」
高齢女性は言った。
「は……はい」
茉白はそう返事をした。
枕元のバッグの上に、宇美山物産の住所と簡単な地図を書いたメモが乗せられている。
バスから降りたときに手にしていたものだ。
「社長さんには事情を話して、日を改めてもいいって言って貰ったから、挨拶くらい出来るようになって行きんしゃい」
行きんしゃいって、どこの方言だろうと茉白は眉を寄せてしまった。
「あ、でも、あそこが本命とかって訳じゃないですし。駄目だったら駄目で次の……」
茉白はへらっと苦笑いをした。
「そんな心構えの者を、雇う会社がありますか!」
高齢女性は声を上げた。
「それから「おひま」ではありません。「お暇」です!」
「す……すみません」
何の目に会ってるんだろう、あたし。茉白は内心そう思いながら、取りあえず謝った。
「もう、お義母さん」
中年女性が後ろで困ったように言う。顔をこちらに向けた。
「あなた、喉は渇いてない?」
「あ、コーラ欲しいです」
茉白は言った。
「人の話をきちんと聞く!」
折り目正しい姿勢で、高齢女性は茉白をびしっと指した。
「貧血起こしておいて何がコーラ! 牛乳にしんしゃい!」
「あの、貧血の原因は多分、カルシウム不足じゃないと思います。ダイエットのせいだと!」
ムッとしながら茉白は言った。
「健康管理も出来ない者が、何がダイエットか!」
高齢女性の腹筋が大きく動いたのが、帯を締めていても分かった。
「そういうものは、きちんとお医者様の指示を仰いでやりんしゃい!」
「えええ、そんなの面倒臭い」
怯みながらも茉白は言った。
「いま娘が飲み物買いに行ってますから」
割って入るようにして中年女性が言った。
茉白は中年女性に目線を向け、ども、という風に頭を下げた。
別に家の中にある飲み物でいいんだけど、何も置いてなかったのかな、と思った。
部屋の出入り口の向こうから話し声が聞こえる。
屋内を歩く音が響き、引き戸が開いた。
三十歳ほどの女性が顔を出す。
長い髪をハーフアップにした、ちょっと綺麗な人だった。
「あ、起きたんだ」
女性は言った。
「救急車呼んじゃったけど、どうしよ」
後ろの方を振り向き言う。
「せっかくだから乗って行きんしゃい。カルシューム不足じゃなくてダイエットですなんて、お医者様に怒られて来んしゃい」
高齢女性は言った。
「うちのお婆ちゃん、怖くなかった?」
苦笑して女性は言った。
怖かったですぅと茉白は心の中で訴える。
「行儀作法の先生なの」
女性はくすくすと笑い、スーパーの袋を畳の上に置いた。
「スポーツドリンク買って来たけど、これでいい?」
「は、はい。いいです」
女性が差し出したペットボトルを茉白は両手で受け取った。
「家主さん、すみません。無理言いまして」
そう言いながら男性が入室した。
先程までいた中年の男性とは違う人だった。
黒いスーツを着た、二十五、六歳ほどの人だ。
「いいですよ、不動産屋さん。ちょうど祖母と掃除に来たところでしたし」
にこやかに女性は言った。
「不動産屋さん……」
茉白は、男性の顔を見上げた。
格好いいけど、ちょっと童顔だなと思う。
不動産屋は懐から名刺入れを取り出した。
「せっかくですから、どうぞ」
名刺を差し出す。
「あ、はい」
茉白は身を乗り出し、片手を伸ばした。
「名刺を受け取るときは両手!」
高齢女性が声を上げる。
「あ、はい!」
これは面接前にビジネスマナーをググって知ってた。今ちょっと忘れてたけど。
茉白は両手を出した。
受け取った名刺には「華沢不動産 事故物件担当、華沢 空」と表記されていた。
「事故物件担当……」
茉白は呟いた。
この不動産のホームページをネットで見た覚えがある。
そういう体のオカルト系のブログかと思っていた。
実在する不動産だったのか。
「お礼言いんしゃい。貧血起こしたあんたを、ここに連れて来てくれたんだから」
「ちょうど目の前に、うちで仲介している家があって良かったです」
不動産屋は苦笑した。
「この季節に、バス停のベンチに寝かせておく訳にもいきませんし」
「隣の冬木さんにもお礼言っときんしゃい。布団お借りしたんだから」
高齢女性は言った。
ハーフアップの女性が、「お婆ちゃん」と嗜め苦笑する。
「ここ、あたしが昔住んでた家なの。親が二人とも亡くなってからは空き家になってたんで、不動産屋さんの仲介で貸家にしてて」
「あれ、さっきの人達は両親じゃなかったんですか」
茉白は言った。
女性は、軽く首を傾げた。
何の話か分からないという風だ。
「さっきの。中年の夫婦っぽい人達」
女性は、更に首を傾げた。
言っていることを何とか理解しようとしてくれてるらしいが、分からないという感じだ。
高齢女性も無言で茉白の顔を見ている。
「あの、こちらの人の後ろにずっといた」
茉白は高齢女性を指した。
高齢女性は、眉を寄せた。今度は指し方が違うとか怒られるかなと茉白は怯む。
「ここには、わたしとあんたしか居なかったが」
怪訝な表情で高齢女性は言った。
「えっ」
茉白は部屋を見回した。
夫婦らしき中年の男女は、いつの間にかいなくなっていた。
ハーフアップの女性と高齢女性は、それぞれの表情で「大丈夫かな」という風にこちらを見ていた。
部屋の出入り口前に立っていた不動産屋が、不意に引き戸の方を見る。
「救急車、やっと来たみたいですね」
サイレンの音が近付いた。
終




