表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/96

於曾方市保津2-11 築30年/戸建て/南向き バス停保津塚前/仲介

 目覚めると、流線形の模様の入った和室の天井が目に入った。

 中央に四角い傘の付いた電灯がある。

 見覚えは無い部屋だった。

 竹田 茉白(たけだ ましろ)は、もそりと上体を動かすと、部屋を見回した。

 ショートボブの黒髪を、ぐしゃっと雑に掻き上げる。

 布団に寝かされていた。

 分厚い敷き布団に、毛布と白いカバーの付いた布団。

 中央がくり抜かれ網の部分のあるカバーだった。田舎の祖母の家でしか見たことがない。

 スーツを着たままだった。

 枕元にコートとマフラーが畳んである。

 企業の面接に行く途中だったはずだが。

 がらんとして、何も置いていない和室だった。

 窓から庭らしき場所が見える。

 さほど広くはない敷地に何本か植えられた背の高めの木。葉には雪が少し残っていた。

 一戸建ての家なんだなと見当を付ける。

 部屋の出入り口の引き戸が開いた。

 顔を出したのは、小柄な高齢女性だった。

 背筋はしゃんと伸びているが、八十歳は越えていそうだ。

 地味な焦茶色の着物を着ている。

 今どき珍しいなと思った。

「目が覚めたかい」

 高齢女性は言った。

「あの」

 茉白が言葉を発する前に、後から入室した中年の女性が大きな声を上げる。

「お父さん、来て来てえ! 目が覚めたって」

 ああそなの、とのんびりとした中年の男性の声がした。

「あの、えっと」

「あんた」

 高齢女性は、こちらにずんずんと近付くと、着物の裾を揃え茉白の横に正座した。

「貧血で倒れるなんて何です。牛乳とか飲んでないでしょ」

「牛乳……」

 茉白は呟いた。

 確かに牛乳はあの粘り気のある感じが苦手だ。

 でも珈琲にミルクは入れる。

 何も怒るみたいに言うこと無いじゃないと思った。

 中年女性が、正座した高齢女性の後ろで身体を屈ませた。

「あなた、すぐ前のバス停で降りた途端に倒れたの」

 そう言った。

 真面目そうな中年の男性が、部屋入り口でうんうん、と頷いている。

「ああ……」

 茉白は宙を眺めた。

 それでこの家族が親切に運んで寝かせててくれのか。

 親切だなあ、日本っていい国だなと茉白は思った。

 他の国、よく知らないけど。

 茉白は雑に布団を退かせると、正座して見よう見まねで三つ指を付いた。

「ご親切にありがとうございました。ではこれで、おひまさせていただきます」

「手の位置が違う!」

 高齢女性が鋭い声を上げた。

 茉白は、ぱちくりと目を丸くした。

 後ろで中年女性が「お義母さん……」と顔を(しか)めている。

「手を前で揃えるのは、江戸風! 京風の(ひざ)の上に手を置いたままが本来です!」

 高齢女性は言った。

「あ、あたし東日本の人間ですし」

「なら江戸風で良い。姿勢が悪い!」

「し、姿勢」

 茉白は思わず正座し直した。

「背中丸めてスマホばかり見てるんでしょ!」

「あの、それはともかく、あたし面接に行くところだったんですけど」

「なら、ちゃんとしたご挨拶を覚えて行きんしゃい!」

 何これ怖い。

 茉白は、出来うる限り行儀が良いと思われる姿勢で座り直した。

「まあまあ、お義母さん、余所(よそ)のお嬢さんですし」

 中年女性が苦笑して言う。

 この人は優しそうだ。部屋入り口の男性とは夫婦かな。

 厳しいお姑さんと同居してる感じなのか。ストレス溜まるだろうなと茉白は思った。

「あんたは、そこの宇美山物産に面接に来たのか」

 高齢女性は言った。

「は……はい」

 茉白はそう返事をした。

 枕元のバッグの上に、宇美山物産の住所と簡単な地図を書いたメモが乗せられている。

 バスから降りたときに手にしていたものだ。

「社長さんには事情を話して、日を改めてもいいって言って貰ったから、挨拶くらい出来るようになって行きんしゃい」

 行きんしゃいって、どこの方言だろうと茉白は眉を寄せてしまった。

「あ、でも、あそこが本命とかって訳じゃないですし。駄目だったら駄目で次の……」

 茉白はへらっと苦笑いをした。

「そんな心構えの者を、雇う会社がありますか!」

 高齢女性は声を上げた。

「それから「おひま」ではありません。「お(いとま)」です!」

「す……すみません」

 何の目に会ってるんだろう、あたし。茉白は内心そう思いながら、取りあえず謝った。

「もう、お義母さん」

 中年女性が後ろで困ったように言う。顔をこちらに向けた。

「あなた、(のど)は渇いてない?」

「あ、コーラ欲しいです」

 茉白は言った。

「人の話をきちんと聞く!」

 折り目正しい姿勢で、高齢女性は茉白をびしっと指した。

「貧血起こしておいて何がコーラ! 牛乳にしんしゃい!」

「あの、貧血の原因は多分、カルシウム不足じゃないと思います。ダイエットのせいだと!」

 ムッとしながら茉白は言った。

「健康管理も出来ない者が、何がダイエットか!」

 高齢女性の腹筋が大きく動いたのが、帯を締めていても分かった。

「そういうものは、きちんとお医者様の指示を仰いでやりんしゃい!」

「えええ、そんなの面倒臭い」

 怯みながらも茉白は言った。

「いま娘が飲み物買いに行ってますから」

 割って入るようにして中年女性が言った。

 茉白は中年女性に目線を向け、ども、という風に頭を下げた。

 別に家の中にある飲み物でいいんだけど、何も置いてなかったのかな、と思った。




 部屋の出入り口の向こうから話し声が聞こえる。

 屋内を歩く音が響き、引き戸が開いた。

 三十歳ほどの女性が顔を出す。

 長い髪をハーフアップにした、ちょっと綺麗な人だった。

「あ、起きたんだ」

 女性は言った。

「救急車呼んじゃったけど、どうしよ」

 後ろの方を振り向き言う。

「せっかくだから乗って行きんしゃい。カルシューム不足じゃなくてダイエットですなんて、お医者様に怒られて来んしゃい」

 高齢女性は言った。

「うちのお婆ちゃん、怖くなかった?」

 苦笑して女性は言った。

 怖かったですぅと茉白は心の中で訴える。

「行儀作法の先生なの」

 女性はくすくすと笑い、スーパーの袋を畳の上に置いた。

「スポーツドリンク買って来たけど、これでいい?」

「は、はい。いいです」

 女性が差し出したペットボトルを茉白は両手で受け取った。

「家主さん、すみません。無理言いまして」

 そう言いながら男性が入室した。

 先程までいた中年の男性とは違う人だった。

 黒いスーツを着た、二十五、六歳ほどの人だ。

「いいですよ、不動産屋さん。ちょうど祖母と掃除に来たところでしたし」

 にこやかに女性は言った。

「不動産屋さん……」

 茉白は、男性の顔を見上げた。

 格好いいけど、ちょっと童顔だなと思う。

 不動産屋は懐から名刺入れを取り出した。

「せっかくですから、どうぞ」

 名刺を差し出す。

「あ、はい」

 茉白は身を乗り出し、片手を伸ばした。

「名刺を受け取るときは両手!」

 高齢女性が声を上げる。

「あ、はい!」

 これは面接前にビジネスマナーをググって知ってた。今ちょっと忘れてたけど。

 茉白は両手を出した。

 受け取った名刺には「華沢不動産 事故物件担当、華沢 (そら)」と表記されていた。

「事故物件担当……」

 茉白は呟いた。

 この不動産のホームページをネットで見た覚えがある。

 そういう(てい)のオカルト系のブログかと思っていた。

 実在する不動産だったのか。

「お礼言いんしゃい。貧血起こしたあんたを、ここに連れて来てくれたんだから」

「ちょうど目の前に、うちで仲介している家があって良かったです」

 不動産屋は苦笑した。

「この季節に、バス停のベンチに寝かせておく訳にもいきませんし」

「隣の冬木さんにもお礼言っときんしゃい。布団お借りしたんだから」

 高齢女性は言った。

 ハーフアップの女性が、「お婆ちゃん」と(たしな)め苦笑する。

「ここ、あたしが昔住んでた家なの。親が二人とも亡くなってからは空き家になってたんで、不動産屋さんの仲介で貸家にしてて」

「あれ、さっきの人達は両親じゃなかったんですか」

 茉白は言った。

 女性は、軽く首を傾げた。

 何の話か分からないという風だ。

「さっきの。中年の夫婦っぽい人達」

 女性は、更に首を傾げた。

 言っていることを何とか理解しようとしてくれてるらしいが、分からないという感じだ。

 高齢女性も無言で茉白の顔を見ている。

「あの、こちらの人の後ろにずっといた」

 茉白は高齢女性を指した。

 高齢女性は、眉を寄せた。今度は指し方が違うとか怒られるかなと茉白は怯む。

「ここには、わたしとあんたしか居なかったが」

 怪訝な表情で高齢女性は言った。

「えっ」

 茉白は部屋を見回した。

 夫婦らしき中年の男女は、いつの間にかいなくなっていた。

 ハーフアップの女性と高齢女性は、それぞれの表情で「大丈夫かな」という風にこちらを見ていた。

 部屋の出入り口前に立っていた不動産屋が、不意に引き戸の方を見る。

「救急車、やっと来たみたいですね」

 サイレンの音が近付いた。



 終





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ