椀間市布荷見3-12 築15年/アパート1K フローリング/南向き バス停荷見塚前コンビニ徒歩8分 自社
アパート近くの神社から、大勢でカウントダウンをする声が聞こえていた。
三、二、ー、と数え、年が明けた瞬間に歓声が上がる。
氷室 元は、そちらの方向を窓から眺めた。
電灯と松明で照らされた神社の灯りが見える。
年が明けたと同時にアパートの前の狭い県道も騒がしくなった。
俄に通る車が増え、がやがやと人の声が聞こえ始める。
去年は、彼女の芹菜と初詣に行ったなと思い出した。
高校のとき同じ美術部で、仲が良かった女子のひとりだった。
別々の大学に進学して、暫くしてから付き合い始めた。
付き合った子は初めてだったので、デートもどうしていいか分からなかった。
人の話を聞いたりネットで見たりして何となくイメージはあったが、いざやってみると、こんな時はどうするんだと、頭が真っ白になる事態に何度も見舞われた。
そのたびに、いちいち嫌われたかもと落ち込んだりしたが、芹菜は別に文句なんかは言わなかった。
女子というのはどの子も、格好よくデートも出来ないフツメンはボロクソ言うものなんだと思ってた。
結構違うんだなと思った。
それから二年が経った。
自分としては、仲良く付き合えてたと思う。
だが、ここ何日か会っていない。
急にメールも電話もくれなくなった。
今年も出来れば初詣に誘いたかったが。
フローリングの床に座り、元は壁に背を預けた。
不意に、部屋の作り付けの棚に置いたスマホが鳴る。
暫くスマホの待ち受け画面の明かりをじっと見ていた。
誰だと思った。
立ち上がり、着信履歴を見る。
芹菜の名が表示されていた。
「えっ、え?」
元は思わず声を上げ、棚から引ったくるようにしてスマホを手に取った。
嬉しさと緊張と、何を話そうかという考えと、いろいろなものが頭を駆け巡った。
おそるおそる通話状態にする。
「……はい」
「元」
芹菜の声が聞こえて来た。
「せせせせ、芹菜」
「今ね、四丁目のバス停にいるの」
芹菜は言った。
「四丁目の……」
元は復唱した。すぐそばに大きな霊園のあるバス停だ。
「何してんの、そんな所で……」
「また電話するね」
芹菜はそう言い、通話を切った。
呆然と元はスマホを見詰めた。
「え……」
電話で話すのは数日ぶりだ。クリスマス以来か。
暫く待つ。
部屋の安物の壁時計が、カチカチと音を立てていた。
十分、十五分。
またスマホが鳴った。
表示は芹菜の名だ。
「せ、芹菜」
元は大急ぎで通話状態にした。
「今ね、三丁目のコンビニの前」
芹菜は言った。
「コ、コンビニ? どこの」
元は言った。
駅で待ち合わせて、よく寄ったコンビニがある。そこかなと思った。
よくふたりで肉まんを買って、歩きながら食べた。
「えと、携帯ショップの隣のコンビニ?」
「また掛けるね」
通話は切れた。
カチコチという、単調な壁時計の音が響いた。
フローリングの床に脚を投げ出して座り、元はスマホをじっと見た。
五分……十分。
スマホが鳴る。
「はい!」
「元、いま元のアパートの近くの神社にいるよ」
芹菜は言った。
「え……」
元は窓の方を振り返った。
神社の松明と電灯の灯りが見える。
あそこに今、芹菜がいる。
ドキドキと心臓が速くなった気がした。
「あの、芹菜」
「また掛けるね」
元はスマホの待ち受け画面をじっと見た。
会いに来てくれたのかな。
窓から神社の灯りを見た。
ざわざわとしたざわめきが、ここまで聞こえる。
迎えに行った方がいいかな。
普段よりは人通りは多いかもしれないが、周辺には街灯のあまりない暗い道もある。
そう考え窓の外を眺めるうちに、またスマホが鳴った。
「元」
「芹菜、迎えに行こうか?」
「今、元のアパートの前にいるよ」
元は玄関扉の方を見た。
「芹菜」
通話は切れた。
アパートの前の、砂利の通路を歩く足音がした。
足音は近付き、玄関前のコンクリートの通路を歩く足音に変わる。
時折カツン、と聞こえるのは、不意の雪に備えて持って来た傘だろうか。
「芹菜」
元は慌てて玄関に向かった。
扉に付いた魚眼レンズに顔を近付ける。
スマホが鳴った。
「元」
「芹菜、あの」
ここ数日、連絡もくれなかったのは何故なのか。何か怒っていたんだろうか。
「今、元の部屋の玄関の前にいるよ」
芹菜は言った。
玄関扉のドアノブからカチャッという音が聞こえ、玄関扉は外から開けられた。
開いた扉の前に、芹菜がいた。
セミロングの髪を耳に掛けて、スマホを耳に当てていた。
「芹……」
「元、明けましておめでとう」
芹菜は言った。
元は笑いかけた。顔を見たのは何日ぶりだろう。
「おめでと……」
「元、今ね、元のアパートの部屋に来てるの」
芹菜はそう言い、声を震わせた。
「まだここにいるかな……」
芹菜は玄関口の天井の辺りを眺めた。
元は、困惑して目を見開いた。
「芹菜?」
目の前にいるのに、視線が噛み合っていない。
元の姿がまるで見えていないような様子で、芹菜はスマホを大きなバックに仕舞い、俯いて唇を噛んだ。
暫く無言で俯いたあと、芹菜はおもむろに横を向いた。
「すみません。こんな時間に」
震える声でそう言う。
「いえ」
芹菜の後ろに、男性がいると気付いた。
黒いスーツを着た、二十五、六歳ほどの男性だ。
どこかで会っているようなと思い、元は記憶を辿った。
不動産の社屋でこの部屋の契約をしたとき、好奇心で事故物件について聞いたことがあった。
社長さんが一度奥に行った間に出て来て、名刺をくれた人だと思い出した。
事故物件担当と名刺にあった。確か名前は、不動産と同じ華沢。
華沢……空だったか。
「元の実家のお母さんが……荷物は引き払ったけど、スマホだけ置き忘れて来たかもしれないって言ってて」
芹菜は不動産屋の方を向きそう言った。
元はスマホを握りしめ、芹菜を呆然と見詰めた。
荷物は引き払ったって。
玄関口の向こう側にある、フローリングの部屋を振り向いた。
がらんとして、作り付けの棚以外なにもなかった。
暖房もなく、明かりも点いていない。
射し込む外の明かりで、辛うじて支障がない程度にものが見えている。
なぜ今まで違和感を覚えなかったのか。
不意に芹菜はこちらを見ると、泣き笑いのような表情になった。
「あった、スマホ……」
そう言い、元の手からスマホを引ったくる。
「まだ電池保ってたんですね……」
芹菜は涙を拭った。
「置きっ放しなら、そんな感じなのかな。元が亡くなったの、クリスマスの次の日だし」
芹菜は顔を歪ませた。
「クリスマス……」
元は呆然と立ち尽くした。
「まだ通じると思わなかった」
鼻声で芹菜が言う。
「アルバイトの帰りに、どこかで転んで頭打ったんじゃないかって。大したことないと思ってアパートに帰って、眠ったままって感じだったらしいって、元のお母さんが」
芹菜は上体を伸ばすようにして、部屋の奥の方を見た。
「あの壁の時計も忘れ物かな……」
「ああ、そうですね」
不動産屋は言った。
「持って行きますんで。上がっていいですか?」
鼻の音をクスンクスンとさせながら芹菜は言った。
「どうぞ」
不動産屋がそう言うと、芹菜は鼻と口を押さえながら三和土でショートブーツを脱いだ。
芹菜がフローリングの部屋に入り、背伸びして壁時計を外し始めたのを眺めてから、元は何気なく不動産屋の方を見た。
目が合った。
戸惑った元に、不動産屋は冷静な口調で言った。
「宜しければ、後ほど改めてご説明に伺います」
「は……はい」
緩く腕を組み芹菜の方に視線を戻した不動産屋を、元は呆然と見ていた。
終




