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事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


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29/96

朝石市河岸4-5 1Rロフト築20年収納ありキッチン窓あり バス停河岸徒歩5/自社

 午後十時四十九分。

 アパートの華奢な階段を昇りながら、秋谷 梨恵(あきや りえ)はスマホを見た。

 会社の同僚からメールが入っていた。

 ちょっとしたお知らせ程度のものだ。

 ホーム画面に戻り、アナログ時計の表示をちらっと確認してから、ツイッターのタイムラインを見る。

 アパートのすぐ前のコンビニから帰って来たところだった。

 ビニールの袋の中、汁のたぷたぷと入った容器には、大根と卵と餅巾着とはんぺんが二枚。

 太りそうなのでいつもは夜食を控えていたが、休みの前日だけは食べても良い日と決めていた。

 深夜までDVDを観て、明日は昼まで寝る予定だ。

 袋の音をカサカサとさせながら、ポケットを探る。

 鍵穴に差し込んだ。

 途端に、手元が暗くなった。

 薄暗くも困らない程度には見えていた鍵穴が、突然全く見えなくなった。

 何が起こったのか判断が付かず、梨恵は暫く手元をじっと見た。

 おもむろに顔を上げ、通路を照らす明かりを見上げる。

 点いていなかった。

 周囲が異様に暗いのに気付き、同じアパートの隣の棟を見る。

 どの部屋も真っ暗だった。

 一階の部屋の方から、男女の声で「停電、停電」と言い合っているのが聞こえる。

 停電なのか。

 逆の方向に目を向け、街灯を見た。

 確かに点いていない。

「停電ですか、これ」

 女性の声がした。

 隣の部屋の扉がほんの少し開き、小柄な人が顔を出しているのが分かった。

「みたいですね」

 梨恵は言った。

 隣の人と話したことはなかった。

 女性だったのか、と思った。赤ん坊の泣き声も聞こえる。

「あの……すみません」

 女性はおずおずと言った。

「懐中電灯、余分になんて無いですか?」

「えと……ちょっと」

 梨恵は苦笑して答えた。

 自分が使うものですら、どこに置いたか。

「そうですか。すみません……」

 女性はそう言うと、扉を閉めた。

 また赤ん坊の泣き声がした。

 暗いと世話しにくいだろうなとは想像した。

 幸い鍵は、鍵穴に差し込んだ後だった。

 カチャッと手探りで回した。 

 玄関扉を開ける。

 入居する直前にリフォームしたとかで、室内は新築の塗料のような匂いがしていた。

 いつもは部屋の明かりがなくても、外の明かりでうっすら室内が見えるのだが、今日はさすがに真っ暗だ。

 いったんポケットに入れたスマホを取り出す。

 目の前に翳すと、ワンルームの室内は薄く照らされ、困らない程度には物を見ることが出来た。

「懐中電灯……」

 誰に言うでもなくそう呟き、靴を脱いで上がる。

 また赤ん坊の泣き声が聞こえた。

 カラーボックスを一段ずつ探った。

 懐中電灯は無い。

 クローゼットの中だったかなと思い、アコーディオン型の扉を見る。

 よくあるホラー映画の一シーンをつい想像してしまった。

 暗いクローゼットの中から、女の人の目がこちらを睨んでるみたいな。

 暫くじっと扉を見た後で、後回しにしようと思った。

 化粧水やら乳液やらを入れているプラスチックの(かご)を探る。

 カラカラに乾いた古い乳液のチューブを籠の底に見付け、スマホの明かりに翳したあとに、なぜだか元通り籠に戻した。

「無いな……」

 独り言を言って、ワンルームの部屋を見回す。

 何となく「懐中電灯 置き場所」とスマホで検索してみた。

 検索結果、「いざというとき、慌てず取り出せる場所に!」などと出て来た。

 停電の前に言ってよ、と思いホーム画面に戻る。

 こんなことをやっている間に復旧するかもと思い始めた。

 もう一度スマホで部屋の中をぐるりと照らす。

「あ……」

 カーテンレールに掛けた、S字フック。

 ごちゃごちゃに掛けたショルダーバッグや薄い秋用のマフラーと一緒に、地味な紐が掛けられているのを見付けた。

 手を伸ばして探る。

 百円ショップの、小さな懐中電灯が掛けられていた。

「あ、あった……」

 S字フックごと下ろし、懐中電灯を取り出す。

 スイッチを入れると、煌々と点いた。

 どうしようかなと、隣の部屋の方向を見た。クローゼットの向こう側になる訳だが。

 こちらはスマホがあれば充分だし、貸そうか。そう思った。

 スマホで照らしながら玄関口に向かった。

 玄関扉を開け隣の部屋の方を見る。

 隣の扉の前に、スーツのような服装の人が立っているのに気付いた。

 暗くてよく分からないが、立ち姿から若い男性だと思う。

 隣の人の知り合いだろうかと思い、梨恵は暫く様子を見ていた。

 男性はこちらに気付くと、会釈をしたようだった。

「今晩は。華沢不動産、事故物件担当の華沢と申します」

 感じの良いテノールの声だった。

「華沢不動産……」

 復唱してから、ここを管理する不動産の名だったことに梨恵は気付いた。

「事故物件担当って……お隣、そうなんですか?」

「ええ」

 不動産屋は上着の合わせを捲り、懐を探ったようだった。

 小さな白いものをこちらに差し出す。

 名刺のようだ。

 スマホで照らすと「事故物件担当、華沢 (そら)」とある。

「そういう所に住む人って、結構いるんですか」

 梨恵は隣の部屋の玄関扉をまじまじと見た。

「やっぱりお家賃、安かったりします?」

「そうですね」

 不動産屋は言った。

「ご迷惑をおかけする分、割り引かせていただいてますが」

 懐に名刺入れを仕舞いながら不動産屋は言った。 

 へええ……ともう一度隣の扉を眺めてから、梨恵は懐中電灯を不動産屋に差し出した。

「さっき懐中電灯の予備がないか、隣の人に聞かれてたんです。これ、渡して貰えますか」

 梨恵は言った。

 不動産屋は、じっとこちらを見ていた。

「ええと……女の人が。赤ちゃんもいるみたいだし」

「いえ。ここは、乳幼児や小さい子供はいませんね」

 不動産屋は言った。

「というか、空き部屋なんで」

「え」

 懐中電灯を差し出した格好のまま、梨恵は固まった。

「え……冗談」

「いえ本当に」

 不動産屋は言った。

「二十年前の洪水の際、停電が原因で亡くなった方なので、その時の停電と混同してしまったのかもしれませんね」

「嘘」

 梨恵は一、二歩後退った。

「幽霊とか、信じてないし」

「そうですか」

 不動産屋は言った。

「あ、赤ちゃんも、そのとき一緒に亡くなってるんですか?」

「赤ちゃん」

 不動産屋は、隣の玄関扉の方を振り向いた。

「お子さんは居なかった筈ですが」

「でも、さっきから赤ちゃんの泣き声が」

 不動産屋は、かさかさと紙の束のようなものを取り出した。

 関連の書類でも見ているのだろうか。

 こんな暗い所で見えるのだろうか。梨恵はじっと様子を眺めた。

「あのぉ、すいません」

 階下から、初老の男性のような声がした。

 通路の手摺りに掴まり下を見る。

 こちらを見上げているようだ。

「ああ、そこそこ。人、いますよね?」

 階下の男性は言った。こちらを指差しているのだろうか。

「大っきな虎猫見ませんでしたか? 家から逃げちゃって」

「猫……」

 梨恵は復唱した。

 男性のすぐ傍の部屋の住人が、カラカラと掃き出し窓を開けたようだ。

「そっちの棟の方で鳴き声してたけど、それですかね」

 そう言っているのが聞こえた。

「猫……?」

「猫の鳴き声だったんでしょうかね」

 不動産屋は言った。

 赤ちゃんの泣き声と猫の鳴き声。確かに似てるかもしれないと梨恵は思った。

「え、じゃあ、赤ちゃんの幽霊はいないの?」

「ええ」

 不動産屋は言った。

「安心しましたか?」

「ちょっと安心しまし……」

 言いかけ、梨恵は不動産屋の方を向き直った。

「いいいいいえ、女の人は、幽霊ですよね?」

「まあ、そうなんですが」

 危うく何でもない部屋と思い込まされそうになった。

 こういう手で事故物件を契約させるのだろうか。

 担当者ということは、そうやって契約させるの上手いんだろうなと梨恵は思った。

「あああの、あたしは、事故物件とか無理なんで」

「まあ、人それぞれです」

 不動産屋は言った。

 不意に明るくなった。

 チカチカ点灯してから、通路の薄暗い明かりが次々点いた。

 周囲の部屋から、安堵したような声が一斉に聞こえる。

 大きめの茶封筒に書類を入れ、不動産屋は会釈した。

「では。そちらのお部屋の担当は昼の本営業の方なので、何かありましたら、そちらに」

 そう言い、不動産屋は薄暗い通路を去って行った。

 明るい所で見たら、ちょっと格好いいかもと梨恵はつい思ってしまった。

 アパートの敷地の端の方で、「おっ」とも「こら」ともつかない声がする。

 暫くすると、先程の初老の男性と思われる人物が、大きな猫を抱いて去って行くのが見えた。



 終





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