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営業時間を終え、客の引けたお化け屋敷。
礼二は敷地内に車を停めると、合鍵で中へと入った。
まだ完全に暗い時間帯ではなかったが、窓を塞いでいるので中は真っ暗だ。
ベタベタと御札を貼った壁を探り、電気のスイッチを探す。
血糊でややくすんだ明かりが点いた。
二、三度周囲を見回し、二階に上がる階段を探す。
さほど広い家ではないので、階段の昇り口はすぐに目に入った。
昇る前にやや身体を傾け、一階の部屋の一つを覗く。
他にも問題があるようなら、ついでに見付けて行きたいが。
そちらの方を眺めながら階段を昇る。
昭和の後半に建てられた家なので、階段の幅が心なし狭い。
全体的に、何となくどこかに手足をぶつけてしまいそうな手狭さがあった。
二階に上がると、右手に窓、左手に部屋が二つ並んでいた。
先ほど見ていた見取り図を思い浮かべる。
ベランダは、どちらの部屋からでも出られたと思ったが。
取りあえず右側の部屋に入った。
畳が踏みつけられ、微かな音を立てる。
南側の掃き出し窓を手で探る。
ベニヤ板で窓を塞ぎ、その上からカーテンを閉めていた。
順路と間違えるような塞ぎ方ではないと思うが。
「そこに何か問題でも」
不意に後ろから声がした。
「う……うわっ!」
振り向きながら声を上げる。
華沢不動産の事故物件担当者がいた。
「え……な、何ですか」
礼二は心臓を抑え後退った。
いつの間に後ろにいたのか。全く気付かなかった。
「え……き、来てたんですか」
ベニヤ板に背中を擦り付ける。
昭和風の小豆色のカーテンに皺が寄った。
「車があったので、いらしているんだと思って」
「あ……はあ」
まだ心臓がバクバクいっている。
「いや問題はありませんよ、大丈夫です」
礼二は言った。
「外から見たらベランダが壊れているようだったので、それを見に来たのかと思ったのですが」
「え……」
礼二はベニヤ板を肩越しに見た。
「ベランダ……」
「それ外せば、すぐに分かると思いますが」
不動産屋はベニヤ板を指した。
「すぐ分かる位置なんですか?」
礼二は言った。
間違えてまたベランダに出る客がいるかもしれない。
壊れた箇所から落ちたら大変だ。
掃き出し窓を塞ぐのも大事だが、客にまたベランダに出られた場合のことも考えておくべきではあるだろう。
「分かりました。ちょっと見てみます」
くるりと不動産屋に背を向け、礼二はベニヤ板を外し始めた。
営業期間終了後は元通りにして退去する約束なので、そんなに厳重な付け方はしていない。
その気になれば手で外せる。
手に力を込め、ベニヤ板を貼り付けたテープごと外した。
真っ暗な部屋に、夕方の薄い外光が入り込む。
掃き出し窓をからからと開け、赤いペンキの剥げかけたベランダをざっと眺める。
「どの辺ですか?」
背後の不動産屋に尋ねる。
「ベランダに出てみないと分からないと思います」
不動産屋は言った。
すぐ分かると言うから、文字通り中から眺めてすぐに分かるのかと思ったんだが。
少々億劫に感じながら、礼二はベランダに出た。
「どの辺ですか?」
「下の方ですね」
不動産屋は背後で言った。
「下……」
礼二は、手摺のそばから、ちらりとベランダの下の方を見た。
「すぐ見えると思いますが」
「……そう」
手摺に両手を掛け、礼二は下を覗き込んだ。
「どの辺?」
「見えませんか?」
「いや……どの辺か、ちょっと」
「もう少し下です」
「そうなの?」
ぐっと身を乗りだし、下を覗き込んだ。
「どこ?」
「もう少し下」
「もっと?」
すぐ見える所なのではと思いつつ、更に身を乗りだす。
「どの部分? どんな壊れ方してんの?」
「もっと下。見れば分かります」
「下……」
更に身を乗りだし、きょろきょろとベランダの下部を見回した。
「どこ……」
途端に酷くバランスを崩し、身体が下に傾いた。
落ちる。
自分の体勢の危なさに初めて気付き、心臓が針で刺したような感覚で危機を告げた。
息を呑み、目を見開く。
次の瞬間、強い力で服を掴まれた。
グッと後ろに引っ張られる。
「大丈夫ですか」
スーツを伸ばす気かという勢いで、がむしゃらな感じで引っ張られた。
不動産屋だった。
同時に、元いた部屋の方から、ばたばたと走り去るような足音が聞こえる。
「いや……ありがとうございます」
ほうっと大きく息を吐き、礼二は言った。
ふらつき手摺を掴む。
「それで、壊れてる所って」
「ありませんよ」
不動産屋は言った。
え、と礼二は顔を上げた。
「不動産屋さんが、壊れてるって」
「壊れている箇所がある物件を、そのまま引き渡す訳がないでしょう」
不動産屋は僅かに眉を寄せた。
「じゃ、さっきの何」
「ここで自殺した、持ち主のお孫さんですね」
不動産屋は、走り去る足音のした方向を眺めた。
「中々お顔を見せてくれないので、僕もまだ直接お話はしたことないんですが」
「直接って」
急に妙なことを言い出す人だなと礼二は思った。
「ああやって誰かのふりをして、ここから落とそうとするんです」
アルバイトの女子大生が部屋から顔を出した。
「やめた方がいいと言っても聞いてくれなくて」
「え……つまり幽霊でしょ? 何なの聞いてくれないって」
礼二は崩れかけた前髪を掻き上げた。
幽霊を肯定してる自分の発言も、もはや訳が分からないが。
「あれ」
ふと思い立ち、顔を上げた。
「あなた誰……」
目の前の女子大生を見た。
最近雇ったアルバイトという認識でいた。
だが、最近面接なんかしただろうか。
自宅マンションの一角を事務所にしているような会社だ。
そうそうアルバイトを増やす余裕などない。
「ああ……」
不動産屋が女子大生の方に向き直った。
「はじめまして。華沢不動産の事故物件担当、華沢と申します」
そう言い軽く礼をした。
「いえ。この前十五月さんの事務所でお会いしてるんで、はじめましてではないんですが」
女子大生は言った。
ああ、と言って不動産屋は軽く目を見開いた。
「そうでした。お茶、美味しかったです」
「不動産屋さん、飲んでなかったじゃないですか」
女子大生はくすくすと笑った。
「お供え物と同じですよ」
「話が見えないんだけど」
やや声を張り上げ礼二は言った。
こちらを向き、不動産屋は女子大生を手で指し示した。
「ここで亡くなった、女性の方の方です」
不動産屋は言った。
「ですよね?」
女子大生に向けて言う。
はい、と女子大生は返事をした。
「男性の方なんですけど、元々引きこもりだったとかで、なかなか話を聞いてくれないんです」
女子大生は言った。
「それで、イベント会社の方に注意喚起しようと事務所に」
「お疲れさまです」
不動産屋は言った。
何かこの不動産屋も感覚ずれてないか、と礼二は思った。
「あの男の方は何? 彼氏?」
礼二は言った。
「まさか」
女子大生はころころと笑った。
「ネットで知り合っただけです。死ねる場所を提供できるからって」
ころころ笑いながら言うことか。
礼二は額を抑えた。
「じゃあ何? ここでの企画、やめた方がいい?」
「まあ、その方がいいに越したことは無いんですが」
不動産屋は言った。
「いろいろ都合もおありでしょうから、ベランダ下にネットを張るなどして対策しては」
「ネットか」
礼二は呟いた。
少々外観を損ねるが、怪我人が出るよりましか。
「いいね。そうする」
ええ、と返事をして、不動産屋は部屋の方を見た。
「その他、何か問題がありましたら、ご相談ください」
「ああ、うん」
「この物件の契約期間は三ヵ月ですが」
「うん」
「その後ももし宜しければ、ぜひうちをご利用ください」
不動産屋は丁寧に礼をし立ち去った。
何か。
自分よりずっと歳下で、物腰も柔らかい若者なのに、妙な強かさを垣間見た気がした。
立ち去って行く黒いスーツの後ろ姿を、礼二は眺めた。
終




