朝石市河岸常3-6 築10年/アパート2DK 告知事項あり/自社
「ルナ様、ルナ様」
萩尾 実弥は、外国の硬貨の上に乗せた指に集中した。
アニメのキャラクターのように、長く伸ばした前髪を三束ほど顔の前に垂らしたロングヘア。
近くの高校の生徒だった。
両親と三人暮らしだが、今日は二人とも帰らない。
友達を呼んで、ずっと試したかった降霊術を行っていた。
杏月は学校外で知り合ったが、同じ高校、同じ学年。
同じようにスピリチュアルに使命を感じているという話になり、話が合った。
学校で流行っていた降霊術は「セイレーンさん」というものだったが、中々霊は現れなかった。
今日は、もっと強力な方法として杏月が知っていた、「ルナ様」を試みているところだ。
指に思わず力が入る。
八畳二間に、ダイニングキッチンのアパート。
部屋は明かりも点けず暗かった。
窓から覗く中秋の満月が、うっすらと殺風景な畳の部屋を照らしていた。
畳の上に置かれた、フランス語のアルファベットを書いた紙をじっと見る。
硬貨は中々動かなかった。
「力んじゃ駄目。実弥ちゃん」
杏月が言った。
腹這いの格好で硬貨を凝視しているので、ツインテールに結わえた長すぎる髪が畳の上に散らばっている。
黒いミニのワンピース、首から下げた五芒星のペンダント。
まるでアニメの魔女のような格好だ。
「そうだね、ルナ様がパワーを使えなくなっちゃう」
実弥は言った。
「ルナ様はセイレーンさんよりパワーは上なんだけど、力は不安定なの」
杏月は神妙な顔でそう言った。
実弥は顔を傾け、顔の前にだらりと垂らした前髪を目から退かした。
「あたしのコンセントレーションが足りないのかな」
もう片方の手で握り拳を作り実弥は言った。
「実弥ちゃん、あたしのパワーをあげる」
杏月は、実弥の指に両手を翳し、むん、と小さな声を上げて目を瞑った。
「何か温かい感じがする」
「パワーが伝わってるのね」
杏月は言った。
「実弥ちゃんは、あたしよりルナティックパワーが上なんだと思うの」
「あたし、元々霊感強いしね」
胸に握り拳を当て、実弥は言った。
「ルナ様は気紛れなんだよ」
「月の満ち欠けと同じ性格なんでしょ。分かってる。もう一回、集中して呼び掛けてみる」
実弥は硬貨の上に置いた指に集中した。
「ルナ様、ルナ様」
杏月も腹這いになった格好で目を瞑った。
「ルナ様、ルナ様……」
脳裏に大きな満月を思い浮かべる。
その満月から、美しく武装した女神が剣を掲げ舞い降りて来る姿を思い描いた。
不意に玄関扉をノックする音がした。
「あのう、すみません。いいですか」
扉の向こうから若い男性の声がした。
ゆっくりと顔を上げ、実弥は杏月を見た。
暫くしてから杏月も目を開け、玄関の方を見る。
「不動産屋さんだ」
実弥は言った。
「事故物件担当とかいう人?」
杏月は身体を起こした。
玄関扉を眺める。
「中断されて、ルナ様がお怒りにならなきゃいいけど」
ツインテールを直しながら杏月は言った。
「いつも降霊術してるときに来るんだよね、あの人」
実弥は、長い前髪の間から覗く両目を玄関扉の方に向けた。
「何か呼ばれてるんじゃないの?」
杏月は言った。
「どうぞ。入っていいですよ」
玄関口に向けて実弥は言った。
ややしてから鍵をドアノブに差し込む音がする。
カチッという音がし、扉が開いた。
実弥たちより十歳ほど歳上の、黒いスーツの男性が現れた。
このアパートを管理している華沢不動産の事故物件担当者。
名前は、華沢 空といった。
「今日はお友達も一緒でしたか」
不動産屋は言った。
「あのっ」
杏月が立ち上がり、不動産屋の方に歩み寄った。
星のワンポイントが入った黒い靴下が、畳を擦る。
「事故物件担当って聞いたんですけど。どんな風にしてなるんですか?」
杏月は言った。
「両親が不動産屋を経営してましたんで」
不動産屋は淡々と言った。
「お告げとかあってなるんですか?」
「ありませんが、どうして」
「何かスピリチュアルな使命がありそうな仕事に感じたの」
「別にありませんよ」
不動産屋は言った。
茶封筒から書類を取り出し眺める。
「でも、本人が認識していないだけで、地神とかから使命をいただいているんだと思う」
「そうですか」
不動産屋は書類を捲った。
「じゃ、実弥ちゃん、あたし一回戻るね」
杏月は言った。
「お気を付けて」
横を通りすぎた杏月に向けて、不動産屋は会釈した。ややして顔を上げ、明かりもなく月で照らされた室内を眺めた。
「お気を付けてっていうか……杏月ちゃん、もう死んでるんだけど」
実弥は言った。
「セイレーンさんで呼ばれて来たの」
「そうみたいですね」
不動産は何でもないことのように言った。
「同じ学校だったんだけど、病気して全然通えないまま死んだんだって」
「お友達が出来て良かったですね」
不動産屋は言った。
「引っ越してしまったご両親の所に行けば、もう少し寂しくないと思うんですが」
書類を捲る。
「ここにいたら、迷惑ですか?」
実弥は言った。
「どうせ僕の担当なので、どちらでも」
「ここ、幼稚園の時から住んでたし、他の所とかあんまり行きたくないんだ」
「ご両親も、お仕事の都合で仕方なかったみたいですね」
不動産屋は、更に書類を捲った。
「前髪長すぎて視界が悪くて事故って死んだとか、馬鹿娘って言ってるだけに決まってるよ、あっち行っても」
実弥は苦笑いした。
「いまだ事故現場のお花を取り替えに来ているようですが。見てませんか」
不動産屋は言った。
「前髪、注意でもされてたんですか」
「でもこうして顔隠してる方が神秘的っていうか、アベル様みたいで格好よくない?」
「アベル様?」
「アニメの」
「アニメ見ないんで」
実弥は束にして垂らした前髪を指で整えた。
不動産屋は捲った書類を元に戻した。
「せっかく可愛いから隠さなくていいと思うんですが」
書類に目を落としながらそう言った。
「え……かわ、可愛いとか、それ、そんなことないし」
「じゃあ、また来ますね」
書類を茶封筒に入れ、不動産屋は言った。
「別に部屋を汚したり壊したりしている訳ではないんで、実弥さんの自由でいいんですが」
俄に実弥は、どこに目線を持って行っていいか分からなくなった。
「では」
不動産屋は会釈し、アパートの通路を去って行った。
実弥は目線だけを動かし、玄関のすぐそばにあるダイニングキッチンを見回した。
無人の物件内には鏡などなく、しゃがんで銀色のシンクに自分の姿を映した。
一瞬だけ自分の姿らしきものが映り、すぐに消えた。
か、可愛いかな。
そうなのかな。
ルナ様で誰か呼んで、さりげなく聞いてみようかな。
月明かりでぼんやりと照らされた空き部屋の中、そんなことを考えた。
終




