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「えっと、事故物件の、て、定義は」
昨日の殺人を何とか隠そうと、桔平は否定する意味でそう言った。
「昨日、こちらでお亡くなりになった方が出てしまいましたので」
不動産屋は言った。
身体の芯がひんやりと冷えるような感覚を桔平は感じた。
「ああー、やっぱりそういうことになっちゃうんだ」
背後で文香が声を上げた。
こいつを殺したからか。
それで事故物件ってことになってしまったのか。
だが、なぜこの不動産屋は、それを知っているんだ。
「家賃は今日の分から、日割り計算で割引かせていただきます。もちろん別の物件に移りたいという場合も、ご相談に乗りますが」
「あたしは別に、ここでいいけど」
文香は言った。
「結婚したあともこのままここでいいよね?」
文香は、少々可愛い子ぶった感じで首を傾け言った。
一生取り憑くつもりか。
寒気がした。
「そうだ」
文香は声を上げた。
桔平を押し退けるようにして、玄関扉の開いた隙間に顔を近付ける。
「死んだ人が出た場合は、特殊清掃とか頼むことになるんですか?」
桔平はますます青ざめて文香を見た。
「あれ、料金高いって聞いたから。不動産屋さんとどっち持ちになるのか、ちゃんと聞かないと」
ね、と言って文香はこちらを向いた。
自分の遺体の掃除の話だと。
桔平は目眩がした。
「いえ」
不動産屋は微笑した。
「亡くなって時間が経った訳ではないですから、特殊清掃までは必要ないのではと」
「そうなの?」
文香は言った。
「気になるのでしたら、手配するのは自由ですが」
「そういう場合は、こっち持ち?」
「そうですね」
不動産屋は苦笑した。
「不動産屋さん的には、気分の問題でしょって扱い?」
「ええまあ。腐乱して部屋が汚れた訳ではないので」
不動産屋は言った。
「もちろん、時間が経ってお部屋が汚れ始めれば違いますが」
不動産屋は手にしていた書類を捲った。
桔平は心臓の辺りを抑えた。
押し入れに入れた文香の遺体。
まだ匂いはしてないよな、と周辺の匂いを確認する。
「お寺のお坊さん頼もうか」
文香は言った。
桔平は、シャツの胸元をぎゅっと掴んだ。
葬式を出してくれという意味か。
喪主をやれとか。
参列した人間が見たら、確実に自分が旦那ってことになるじゃないか。
桔平は奥歯を噛み締めた。
この女、やっぱり死んでからもずっと俺の人生を縛る気か。
「結婚の前にお経上げて貰うって、どうなんだろ?」
文香は言った。
「なんか幸先悪くない?」
こちらの顔を見上げ言った。
本当に結婚する気でいるのか。
冥界婚とかいうオカルト用語を思い出した。
あの世への道連れにするつもりか。
ゾッとした。
このままでは殺されるのか。
「あ、そうだ」
文香はにこにこと笑い不動産屋の方を向いた。
「さっき、つい言っちゃってたかもしれないけど。不動産屋さん、あたしたち結婚するんです」
桔平は血の気が引くのを感じた。
呪い殺す宣言に聞こえた。
「いいいいいいいや」
桔平は文香の言葉を遮るように声を上げた。
「ああ、それは。おめでとうございます」
不動産屋は書類を見ながら淡々とした口調で言った。
「い、いや」
桔平はもう一度言ってチェーンロックを外し、扉を大きく開けた。
「警察に通報してください! 自首します!」
覚悟を決め大きな声で言った。
呪い殺されるよりましだ。
全てぶちまけて、誰かに腕のいい霊能力者を紹介して貰おう。
不動産屋は、童顔のやや大きめの目を見開いてこちらを見た。
「ど、どうしたの? 桔平」
文香がぽかんとこちらを見る。
「こいつを殺しました! 遺体は寝室の押し入れにあります! わざとではないです! ごめんなさい!」
桔平は文香を指差した。
不動産屋は、おもむろに文香の方を見た。
「奥さん、死んでいらっしゃるんですか?」
「いいえ」
文香は言った。
「やだ、奥さんとか、やだ」
少し間を置いてから、文香は上ずった声を上げた。
「同棲のカップルの場合、女性の方を何て呼ぶかいつも困るんですよ」
不動産屋は、書類を見ながら心なし眉を寄せた。
「死んだと思ってたの? そこまで心配した?」
「え? は?」
何が何やら分からず、桔平は文香を凝視した。
「この人、大袈裟なんです。脳震盪起こしただけなのに、毛布ぐるぐる巻きにして暖めて、静かな所で安静にさせようなんて発想するんですから」
文香は、あははと笑った。
「何か可愛いから、一晩そのままでいちゃった」
「の、脳震盪……?」
桔平はその場にずるずると座り込んだ。
いまだ話がよく見えないが、どちらにしろ目眩がする。
「脳震盪を軽く見ては駄目ですよ。いちおう病院に行かれた方が」
「そうですね」
文香は言った。
「あのお爺さん目の前で見ちゃったら、そう思います」
そうと続けた。
何のことだと思い桔平は顔を上げた。
文香と目が合う。
「さっき言おうとしたの。昨日、宗教の勧誘のお爺さんが来て、ここでいきなり倒れちゃったの」
文香は玄関の狭い三和土を指差した。
「救急車呼んだんだけど、駄目だったらしいって」
「厳密には、ここで亡くなっていたのか、救急車の中でお亡くなりになったのか微妙なんですが、うちとしては、後でクレームが来るより、僕の担当にしてしまった方がいいかなと」
不動産屋は言った。
「事故物件って、普通隠さない?」
くらくらする頭を抑えながら桔平は言った。
「今どき隠してもどうせネットで書かれたりしますし、事故物件に敢えて住みたがる人も案外いるんですよ」
不動産屋は言った。
「まあ、お安くはなりますし」
そうと続け苦笑した。
「いちおう、夜中に様子を伺いに来ますので、その時に解約を申し出てくださっても結構です」
書類を大きめの茶封筒に入れ脇に挟むように持つと、不動産屋は「では」と挨拶して去って行った。
「お家賃、安くなるのかあ」
文香は言った。
「結婚すればいろいろ費用もかかるし、ちょうどいいね」
そう言い笑みを浮かべた。
いや、と桔平は眉を寄せた。
先ほど結婚しようと言った、あれは無効だ。
こいつが死んだと信じた上で、苦し紛れに承知したんだ。
半ばとはいえ、まだ二十代だ。
結婚して責任を負う気にはなれないし、もしかしたら、もう少しいい女性に出逢うかもしれない。
桔平は取り消そうとした。
しかし、文香はその心中を読んだかのように言った。
「取り消しても無理。さっきの発言、スマホで動画撮って、即実家に送っちゃったもんねえ」
文香は、はしゃいで言った。
殺意が湧いた気がした。
終




