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事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


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18/96

朝石市片吉1-3 片吉駅徒歩15分 築27年/貸店舗 自社

「いらっしゃいませ」

 午後二時過ぎ。

 客はひとりもいない時間帯だった。

 生田 穂波(いくた ほなみ)は、木目のカウンターを拭きながら声を上げた。

 喫茶店ダリア。

 穂波の伯母が、ひとりで切り盛りしている店だ。

 貸しビルの二階にあった。

 店舗は小さく駅から離れているが、大きな通りの近くなので、それなりに客は入る。

 クリーム色の壁に、木目調のカウンター。

 猫足の椅子とテーブルに、並んだ大きな窓、レースのカーテン。

 良く言えばレトロというか、昭和風というか。

 二十年前、開店した当初はケーキを販売するのみの店だったそうだが、経営が軌道に乗るまで、ああでもないこうでもないといろいろな要素を付け加え、今ではケーキと軽食のある喫茶店という形に仕上がっていた。

 普通ならあっという間に店じまいしているパターンではと穂波は思う。

 奥の厨房にいる伯母を伺った。

 ショートケーキの、ケーキフィルムを付ける作業をしていた。

 すぐに手は離せないだろう。

 あたしが注文聞くか、と穂波は台拭きを片付けた。

 知らない店でないとはいえ、店員として仕事をするのは、今日が初日なのだが。

 身内だけでやっていると、本当にこういう所は緩い。

 春先まで、首都圏の大きな企業にいた。

 就職が決まったときは周囲にも喜ばれ、穂波自身も定年まで働くつもりで意気込んでいた。

 ところが、ストレスで体調を崩した。

 勤めている間はどうしても治らず、退職して地元に戻った。

 半年ほどで体調は戻ったが、意気込んでいた気持ちの持って行き場がなく、実家でダラダラと過ごしていたところを、伯母の手伝いでもして来いと親に言われた。

 学生時代にファミレスでアルバイトをしていたので、接客は未経験ではないが。

 客は、黒いスーツの青年だった。

 二十五、六歳といったところか。

 穂波とほぼ同い年くらいだ。

 営業の人かなと思った。

 外回りの合間にこうしてサボる人はよくいる。 

 青年は席には着かず、軽く首を伸ばすような仕草で厨房の方を眺めた。

「あの」

 お席に、と穂波は声を掛けようとした。

 しかしちょっと違うのかと思った。

「伯母のお知り合いですか?」

 穂波は言った。

「華沢不動産の者です」

 青年は感じ良く微笑し、そう言った。

「不動産」

「すぐ近くの。ご存知ないですか?」

 青年は西の方向を指差した。

 穂波は眉を寄せた。

 確かここは貸し店舗と聞いていた。

 とうとう店仕舞いするんだろうか。それについての話か。

 やはり儲かってはいなかったのか。

「伯母、呼んで来ます」

 穂波はカウンターのスイングドアを(ひざ)で押した。

「いえ、お変わりなければいいんです」

 不動産屋は言った。

「また来ますから」

 そう言うと入口の扉に向かった。

 ガラスの扉を押して開け、退店する。

 扉に付いた大きなベルがカランカランと鳴った。

「あら? 誰か来てた?」

 厨房から伯母が顔を出したのは、入口の扉が閉まったのとほぼ同時だった。

 白髪混じりの頭に被った三角巾を、片手で直す。

「不動産って言ってたけど」

「華沢さん?」

 伯母はそう言って、入口の扉を見た。

「呼んで来る。行ったばっかりだし」

 穂波はそう言って、小走りで入口に向かった。

 扉を開ける。

 不動産屋は、もういなかった。

「あれ……」

 穂波は、通路を見回した。

「もう居ないでしょ」

 カウンターの内側から伯母が言った。

「でも、今出て行ったばっかりで」

 穂波は、何度も通路を見回した。

 薄暗く狭い通路には、配管と消火栓の設備くらいしかない。

 隠れられる所なんかない。

「いいよ。毎日来るし」

 伯母は言った。

 先ほど穂波が片付けた台拭きを、流し台のシンクで濯ぐ。

「近くの、華沢不動産って所の息子さん」

「華沢」

 何かを穂波は思い出した気がした。

 記憶を手繰る。

 前にネットで見た名なのに気付いた。

「夜中だけ事故物件を扱うとかいう不動産で、そんな名前の所を見たような」

「その華沢さん」

 カップを洗いながら伯母は言った。

 客のいない時間帯なので、水音が大きめに聞こえる。

「さっき来てたのが、事故物件担当の(そら)さん。その辺に名刺あると思うけど」

 え、と穂波は顔を強張らせた。

 事故物件担当って。

 この店舗、事故物件だったの。

 (にわか)に鳥肌が立った。

 幽霊なんか見たことないけど、出るのか。

 カラン、と扉のベルが鳴った。

「い、いらっしゃいませ」

 穂波は努めて明るい声で言った。

 タイミング的に悪い。心臓が跳ね上がった。

 入って来たのは、白っぽいワンピースの女性だった。

 細身で長身。

 長い黒髪を腰に近い位置まで伸ばし、面長で涼しげに整った顔立ちは、独特の雰囲気があった。

 ゆっくりと店内の段差のある通路を歩くと、店の端の席に座った。

 店内のライトを一部しか点けていない昼間は、女性の座った席は、やや薄暗かった。

 静かにメニューを取り出し、無表情で見ていた。

「水とおしぼり出して来る。あと注文」

 そう言った穂波を、伯母はエプロンを引っ張り引き止めた。

 無言で顔の前で小さく手を振る。

 行くなという意味かなと穂波は思った。

「何で? どしたの?」

 伯母は口に人差し指を立てた。

 ぞわりと悪寒が走った。

 あれが、ここに出る幽霊ってことなのかな。

 初めて見ちゃった。

 血の気が引いていくのを穂波は感じた。

 霊感は全く無いが、怪談話ははっきり言って大嫌いだ。

 怖すぎて、誰かが話し始めたらがっちり耳を塞ぐくらいだ。

 伯母は顔を上げ、厨房の時計を見た。

 昼過ぎ。

 午後二時半になっていた。

「ちょっと買い物行って来るから」

 伯母はエプロンを外し始めた。

「え、伯母ちゃん、ちょっと」

「ボックスティッシュ、今日安いんだよねえ。売り切れちゃう」

 穂波は焦って伯母の服の袖を掴んだ。

「あ、あたしが行くから」

「すぐ向かいの店だし、ちょっとは運動しなきゃ。留守番してて」

 伯母は中肉中背の身体で、年齢にしては軽やかに店内を横切った。

 ぱたぱたと入口のガラス戸を開けると、出掛けて行った。





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