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空になった缶を潰してビニール袋に入れる。
カン、カン、と軽い音がした。
三人の座った周囲には、たこ焼きの甘いソースの匂いが漂っていた。
「結構、出ないもんだねえ」
薄暗い天井を見上げ一夏は言った。
新しいチューハイの缶をプシュッと開ける。
「やっぱり、霊感の強い人とかいないと駄目なのかな」
海里は言った。
「誰か、霊感の強い人誘ってみれば良かったね」
芙美子は笑って言った。
缶の入ったビニール袋を両手で持ち上げ、カラカラと音をさせる。
「明日、誰かにケータイ掛けてみよっか」
一夏は言った。
玄関の呼び鈴が鳴った。
はい、と返事をして一夏は立ち上がり玄関口へと行った。
「華沢不動産の者です。ご様子は」
扉の外から、そう男性の声が聞こえた。
ここを管理する不動産屋だ。
夜中に一度だけ様子を見に来ると言っていた。
「あ、はい」
そう言って一夏は扉を開けた。
扉の外に立っていたのは、黒いスーツの男性だった。
一夏たちよりもやや歳上という感じだろうか。
ここを借りるときに、手続きをしてくれた人だ。
童顔だが、結構イケメンさんだよねと手続きの後三人で話した。
確か、事故物件担当、華沢 空と名刺にあった。
「どうですか、ご様子は」
不動産屋は改めて言った。
「ええと」
一夏は振り向いて二人の友人を見た。
「何か、楽しんじゃってます」
あはは、と笑った。
「なら良かったです」
不動産屋は言った。
書類に短く何かを書き込む。
「異常なし」みたいな感じのことだろうか。
芙美子と海里も、ぱたぱたと玄関口に来た。
「あの、ここで亡くなったのって、どういう人だって言いましたっけ」
好奇心でわくわくした表情で、海里が言った。
「ええと」
不動産屋は資料らしきものを見た。
「若い女性ですね。皆さんと同年代くらいの」
「同年代なんだ」
一夏は言った。
「不動産屋さん、見たことあります?」
「ええ」
さらりと不動産屋は言った。
三人は顔を見合せ、銘々に驚いた顔をした。
目で意思の疎通をし出す。
「不動産屋さん、霊感強いんですか?」
芙美子が訪ねた。
「強いというか……何というか」
不動産屋は言った。
「あのっ、ちょっとでいいんで、協力してくれませんか?」
「協力?」
「あたし達、誰も霊感とか無くて」
一夏は言った。
「幽霊呼び出しても出てこないから、誰か霊感強い人呼ぼうかって言ってたとこなんです」
「お酒もありますし、どぞっ」
海里と芙美子が中に促した。
「いえ。幽霊なら、既に出ていますので」
不動産屋は言った。
うそっ、と一夏は声を上げた。
「どこっ。霊感強い人は見えるの?」
三人三様に部屋と水場を見回す。
「僕です」
不動産屋は言った。
「数年前に事故死しまして」
書類に何か書きながら不動産屋は言った。
「ああ、あと、ここの女性の霊ですが」
不動産屋は続けた。
「一応穏やかな方ですが、飲食物は勧められても断ってくださいね」
そう言った。
「では。お邪魔しました」
会釈をする。
ボールペンを書類と一緒の袋に入れ、不動産屋は薄暗い通路を去って行った。
「何……? 今の」
芙美子が、やや呆けながら言った。
「からかわれたのかな」
一夏は言った。
「幽霊見たがる人ばっか見てるから、あしらい慣れちゃってるんじゃない?」
海里が言った。
「とりあえず飲み直そっか」
一夏はそう言い、畳の部屋へと戻った。
「一夏、何本飲んだ?」
後ろを付いて来るようにして、芙美子が言う。
「一夏、一人で飲んでない?」
海里は後ろ手で扉を閉めていた。
誤魔化すように、あはは、と一夏は笑った。
その時だった。
「あの」
閉めかけた玄関扉の外から、女性の声がした。
海里が振り向く。
二十代中盤ほどの女性が、扉の隙間からこちらを見ていた。
一夏は、あっと声を上げた。
「お姉ちゃん!」
ぱたぱたと玄関口に戻る。
海里が扉を大きく開け、ども、と挨拶した。
女性は玄関口に入ると、酒らしきものが入ったビニール袋を顔の辺りまで持ち上げた。
「飲むでしょ?」
大人しそうな美人顔に、優しそうな笑みを浮かべる。
「さあっすが、お姉ちゃん」
一夏は、はしゃいでビニール袋を受け取った。
四リットルの大容量ペットボトルで買って来てくれたようだった。
たぷたぷと音がして、重い。
「お姉さん、どおぞぉ」
芙美子が部屋からつまみを持ち上げ呼んだ。
「これ、人数分作るから。コップある?」
女性は言った。
「コップだって。買って来てたよね?」
一夏はきょろきょろと室内を見回した。
百円ショップで買った物が入ったビニール袋を探り、紙コップを取り出して女性に渡した。
女性は、流しの横の作業台に紙コップを並べた。
両手でペットボトルを持ち上げると、白く濁った飲み物をそれぞれのコップに半分ほど注いだ。
「大容量で買って来るなんて、お姉ちゃんさすが。水で割るんでしょ?」
一夏は紙コップを覗き込んだ。
強い臭いがする。
「そっちの、違うペットボトルのやつで割るの」
女性は言った。
「ミネラルウォーターまで買って来てくれたの? すごっ」
一夏は女性が持って来たビニール袋をがさがさと探った。
「どこのメーカー? ラベル貼ってないね」
ペットポトルを取り出し一夏は言った。
「計り売りで買って来たから」
女性は言った。
「国道沿いの酒屋さん? あそこまで行って来たの?」
「いいお姉さんじゃない。一夏あ」
海里が言った。
あはは、と一夏は笑った。
「やっぱ、お姉ちゃんは長女だからしっかりしてる感じ? あたしなんか長女だから、取りあえず名前に一の字つけられちゃって……」
ん、という風に一夏は首を傾げた。
「え?」
海里が呟く。
芙美子がぽかんとこちらを見ていた。
玄関の外から、物凄い勢いで連続して呼び鈴が鳴らされた。
ドンドンドン、と扉を叩く音もする。
「あのっ! すみませぇん!」
若い女の子の声がした。
「こちらで、あのっ! 間違って」
一夏は玄関扉を開けた。
二十代前半ほどの、小柄な女の子がいた。
清掃会社らしきロゴの入った作業服を着ている。
ポケットに名札が縫い付けてあった。
簾……香南子 と読むんだろうか。
女の子は扉を開けた途端、慌てたように縦枠に両手をかけ身を乗り出した。
「あのっ! こちらで間違って、清掃に使う洗剤持って行きませんでしたか!」
そう言って、玄関口からすぐ見える水場を見回した。
「あったー!」
一点を指差す。
大容量ペットボトル二本だった。
「え……それ、お酒と水で」
「さっき女の人が持って行ったって聞いて、探してたんですよお。塩素系のと酸性のだから、混ぜたら大変なことになっちゃう!」
「え?」
「お酒のペットボトルと間違えたんだあ」
お騒がせしましたあ、と言って、女の子は履き古したスニーカーを脱いだ。
ばたばたと三和土を上がり、二本のボトルを両手で持った。
「ここ、十年くらい前に、女の人がこれで自殺してんですよねえ」
今度はスニーカーを足だけでごそごそとを履きながら、女の子は言った。
「塩素ガスで、この辺一帯に避難勧告が出てニュースにもなっちゃったみたい」
「塩素ガス……」
「もうう、危なかったあ」
スニーカーを履きトントンと爪先を叩くと、女の子は両手にボトルを持ち、慌ただしく帰って行った。
「一夏、お姉さんは?」
芙美子が言った。
一夏は流しの作業台を見た。
人数分の紙コップが並んでいたが、女性はいなかった。
「ごめん……姉とかいない」
芙美子が、ひっという顔をした。
海里が呆然と部屋を見回す。
「あたし、一人っ子だし」
三人とも、しんと黙り込んだ。
雨は、小降りになったがまだ雨音はしていた。
畳の部屋を薄暗く照らした和風の電灯が、僅かにゆらゆらと揺れた。
終




