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六畳の畳の部屋。
足を崩し座る八月朔日、正座をした不動産屋、侍のような仕草で胡座をかいた着流しの男性が、お互い向かい合うようにしていた。
古い和風の電灯が、やや暗めの感じに部屋を照らす。
それぞれの人物の前に淹れたての緑茶を置き、ポロシャツの男性は不動産屋の横に正座した。
「まずは自己紹介しといた方が良いのかな」
ポロシャツの男性は言った。
八月朔日の方に向き直ると、丁寧に畳に手を付きお辞儀をした。
「わたしは小浜と申します。先立って、ここの風呂場で入浴中に病死致しまして。六十八歳でした」
「六年前になりますね」
書類を見ながら不動産屋は言った。
「そんなになりますか」
小浜は苦笑した。
「恥ずかしながら看とる者もなく、華沢さんには大変ご迷惑をおかけしました」
「ああ、大丈夫です。タイルと浴槽は変えてあります」
不動産屋は書類を見ながら言った。
何の話をしとるんだ、こいつら。八月朔日は気味悪く思い目を眇めた。
さりげなく後ろに手を付き、いつでも逃げられるような体勢になった。
「後からここを借りる方の前には、なるべく出ないつもりでおりましたが、今日はまあ、事情が事情ですので」
うむ、と着流しの男性が言った。
着物の互いの袖に手を入れる、時代劇の侍のような仕草で頷いた。
「長船さん、宜しいですか」
不動産屋は着流しの男性の方を見た。
「長船と申します。家は武家でしたが、維新以降は農家をやっておりました。享年八十三歳」
着流しの男性は膝に拳を置き会釈した。
「先立って玄孫が何者かに殺害され、下手人の情報を募っておりました」
殺害、という単語を聞いて、八月朔日の心臓が跳ね上がった。
何なんだ、こいつらと嫌な汗が出た。
「はい」
そう言って、不動産屋は書類に何かを書いた。
議事録でも付けているのか。
「昨日、この小浜殿から、それらしき者が越してきたとの知らせを受けまして」
長船は小浜を見た。
「こうして、確認に参った次第です」
え、何だ。
八月朔日はそう言おうとしたが、声が詰まった。
何か空気が異常すぎる気がする。
古びた和風の部屋。
自分の部屋なのに、何か現実の風景ではないような。
玄孫を殺害した人物を確認とは、つまり何のことだ。
「名は何と言いましたかな」
着流しの男性は膝を僅かに動かし、八月朔日を真っ直ぐ見る位置に座り直した。
「いや……えと」
「八月朔日さんでしたよね」
小浜がにっこりと笑い言った。
不動産屋は、書類に何かを書いたあと、考え込むように宙を見上げた。
「玄孫は、殺害される前、銀行に立ち寄ったと話しておりました」
長船は言った。
「そこでたまたま、貴方の通帳にあった名前を見たと言っとります。珍しい名前なので覚えておったと」
「今どき通帳持って行く人なんて珍しいですね」
小浜がにこにこしながら言った。
「き……記帳が溜まってて」
八月朔日は言った。
「でも、それだけで俺がどうこうしたとかいう証拠にはならないよな? ただ銀行で会っただけって話だよな?」
長船は膝に拳を置き礼をするように下を向いた。
「玄孫は、下手人の顔を見ております」
長船は言った。
「しかし、あなたは現世の人間だ。現世の考え方に従い、ここは警察に出頭なされば問わないということに」
「はあ?」
八月朔日は声を上げた。
「何言ってんだ。惚け爺さん二人の言いがかりで、何で警察行かなきゃならないんだよ! おい、不動産屋!」
八月朔日は不動産屋の方を見た。
「家におかしなもん上げるな。契約切るぞ!」
いかん、と八月朔日の頭の中でブレーキを掛けた。
こんなもん落ち着いて考えたら、誘導にもなっていない。
いくらでも上手く躱すことは出来るのに、何を自分から白状するようなことを言っているんだ。
異様な雰囲気に呑まれそうだった。
「では仕方ない……」
長船は言った。
「ちょっと待ってください」
不動産屋は右手を上げた。
「小浜さん。その場合、小浜さんは、ここにかなり居づらくなる可能性があるのではと思うのですが」
「ああ、それなんですが。不動産屋さん」
小浜は言った。
「あたし、そろそろ成仏しようかと思っていたところなんですよ」
不動産屋は、小浜の顔を見た。
「ちょうど時期もいいですし」
「ああ、お盆ですしね」
「もし八月朔日さんもここに居たくないと言った場合は、事故物件ではなくなってしまうかもしれませんが」
「いえ、人が死んでいるので、どちらにしろ事故物件扱いなんですが」
不動産屋は言った。
「幽霊が一切出ないとなると、入りたがらない方も一部にはいらっしゃるかもしれませんが」
ははは、と不動産屋は笑った。
「そちらの話は、それで良いのかな」
長船は言った。
「ええ。問題ありません。今回は、遺体が放置されることもないので、特殊清掃を頼む必要もないでしょうし」
ボールペンの先で頭を掻きながら不動産屋は言った。
「僕には、業務上、止める義務はありません」
「では玄孫を呼ぶ」
長船は言った。
「やはり始めから同席するのは難しかったですか」
不動産屋は言った。
「かなり動揺しとってな。まだ死んだことすらよく分かっとらんらしい」
「若い身空でいきなり命を絶たれたら、そうでしょうなあ」
小浜が目頭を押さえた。
八月朔日は、背後に冷たい気配を感じた。
普通の寒気とは違う。
背骨が冷えた鉄の棒にでもなってしまったかのような、暗示的な冷気。
かさりと畳を踏む音がした。
小さな足で踏んだ、控えめな音だった。
「この人だあ」
横から、瞳孔の開いた目をした女が覗き込んだ。
抵抗したときに出来た頬の擦り傷と、乱れたアップの髪。
八月朔日が殺害した女性だった。
「この人この人この人」
女性は、後ろからぐるりと回り込むようにして、八月朔日の顔を正面から見た。
「この人この人この人この人」
視界が霞むくらいの間近で凝視する。
「この人この人この人この人この人」
「間違いないか」
長船は言った。
「この人この人この人この人この人この人」
女性は低い声で繰り返した。
「では不動産屋さん」
長船は言った。
「はい。現世的には心不全というところでしょうから、こちらの心配は結構です」
「この物件の中で良いそうだ」
長船は言った。
「この人この人この人この人この人この人この人」
女性は八月朔日の首に手を掛けた。
ギチイッと強く締める。
声を上げる暇すら八月朔日はなかった。
女性とは思えないくらいの強い力だった。
声ももう出せない。
「この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人この人」
舌がだらんと出た。
最期に目に映ったのは、神妙な顔で座る長船と複雑な表情の小浜。
そして、こちらをチラッと見てから、淡々と何かを書いている不動産屋の、童顔だが冷静な顔だった。
終