於曾方市小諸町6-11 築20年/戸建て/南向き 楚洲下線戸綱駅 自社
午後十時半。
八月朔日 夏生は窓をほんの少しだけ開け、じとっと睨むように周囲を伺った。
向かいの家の主婦が、ごみ袋を持って勝手口から姿を現した。
こちらを見て会釈をしてきたが、無視した。
数日前に、若い女性を殺した。
二十ほども年下の、女子大生風だった。
犯人はまだ全くの不明と報道されていた。
被害者とは面識もなかった。人通りの無い道だったので、たぶん目撃者もいない。
強盗目的だったが、相手が抵抗した。
つい殺害まで至ってしまったことに動揺して、金は取らずに逃げて来てしまった。
後で舌打ちしたが、逆にこれで動機も分かりにくくなるだろうと思った。
警察に辿り着かれる可能性は高くはないだろうと思っている。
だが、気持ちは当然落ち着かなかった。
三日前、この一戸建てに越して来た。
事故物件を専門に紹介するという不動産屋が扱っていた家だ。
近付く人間は最低限で済むだろう。気味悪がられるほど都合がいい。
玄関ドアをノックする音がした。
改めて時計を見る。
午後十一時近くなっていた。
無言で様子を伺っていると、若い男の声がした。
「夜分にすみません。華沢不動産の者ですが」
八月朔日は、緊張させていた頬を、僅かに緩ませた。
この家を扱っていた不動産屋だ。
ドアを開けると、線の細い、今どきの若者という感じの男がいた。
いつも黒いスーツで訪れる。
契約したとき、事故物件担当、華沢 空と書いた名刺を渡された。
「様子を見に来ました。それと、八月朔日さんにお話を伺いたいという方がいて」
「ど、どんな」
八月朔日の心臓がバクバクと速くなった。
警察官だろうか。
「高齢の男性なんですが」
「こ、高齢? どれくらいの」
うーん、と不動産屋は首を傾けた。
「八十歳……くらいですかね」
八十歳、と八月朔日は復唱した。
警察官ではない。少なくとも現役ではない。
自身の祖父はもう他界しているので、心当たりも全くないが。
「お会いしたいと仰っているんですが、どうします?」
不動産屋は言った。
八月朔日は迷った。当然、余計な人間は近付けたくない。
だが、拒否すれば怪しまれるだろうか。
犯罪以前は、どこまで人を近付けていたのか、もはや基準が分からない。
「宜しいかね」
不動産屋の後ろから、嗄れた声がした。
暗い通路でよく見えなかったが、背後にいるのは、相当高齢の人物のようだった。
長身で痩せこけ、渋い色の着流しのようなものを着ていた。
八十歳か。なるほどそのくらいかな、という感じだ。
不動産屋は後ろを振り向いた。
「困ります。今は個人情報とか権利とかいろいろ煩いですから」
「何も、ちょっと話するだけじゃ」
着流しの男性は言った。
「ああ、来たか。上がってください」
風呂場の方から、別の高齢男性が現れた。
小太りで、ポロシャツに地味な色のズボンを穿いていた。
全く見覚えのない男性だ。
なぜ俺の家の中にいるんだ。八月朔日はポカンとして男性の動きを目で追った。
何だあんた、と声を上げたい所だったが、男性があまりに当然のように振る舞っているので、言うタイミングが無い。
「まあ、あなたも座んなさい」
ポロシャツの男性は、八月朔日に言った。
ここは俺が借りている所で、世帯主は俺で。
そりゃ住民票は移してないが。
八月朔日はそう言いたかったが、何か言える雰囲気ではなく、口をパクパクとさせた。
「ご連絡、感謝する」
着流しの男性は言った。
許可してもいないのに、玄関口で草履を脱ぎ上がった。
よく分からない雰囲気に呑み込まれるようにして、八月朔日は二つある和室の一室に促されるまま座った。
「ああ、不動産屋さんも」
ポロシャツの男性は言った。
「僕もですか」
玄関で不動産屋は言った。
「お忙しいですか」
「いや……あまり時間は関係ないんですけど」
不動産屋は頭を掻いた。
「同時に数ヵ所を回れば宜しい」
着流しの男性は言った。
「そりゅうしと同じで、同時にふくすうの場所にしゅつぼつ出来るんじゃぞ」
「そうそう。りょうしろんというやつですな」
ポロシャツの男性はハハハと笑った。
何を言っとるんだと八月朔日は顔を顰めた。
惚け老人の会話には付いて行けんわと思った。
「まあ、そうなんですけど。生前の感覚は大事にしたいというか」
不動産屋は言った。
「ですが一応、不動産屋さんにも関係してくる話だと思いますんで」
ポロシャツの男性は言った。
仕方ないという感じで、不動産屋は革靴を脱ぎ屈んで揃えた。
「今、お茶を入れますね」
ポロシャツの男性は、台所の方に行った。
おい、俺の借りてる部屋だと言いたくて八月朔日は口をパクパクとさせた。