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事故物件不動産  作者: 路明(ロア)


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椀間市八橋保字拝天2-3 高内ビル3F ㈲拝天クリア・サービス

 夕方、午後五時。

 簾 香南子(みす かなこ)は、モップとモップ用バケツ、ぞうきんを持ち二階建てアパートの階段を昇った。

 不動産からあずかったスペアキーで部屋の鍵を開ける。

 中に入ると、鉄の匂いがプンプンとただよった。

「水道管が鉄管なのかな、ここ。それとも配水管?」

 あたりを見回す。

 赤い血糊(ちのり)のようなものがたたみにぶちまけられているが、落ちるだろうか。


 華沢不動産、事故物件担当の華沢 (そら)が担当する物件は清掃会社の同僚たちがみんなこわがってやりたがらないので、香南子(かなこ)がほとんどを引き受けている。


 ほかの受け持ちの清掃が終わってからになってしまうので夕方以降になってしまうのだが。


「みんなほんとひどい。華沢さん困っちゃうじゃない」


 香南子は眉をよせた。

 持ってきた掃除用具をとりあえず水場の(ゆか)に置く。


 しかし華沢 空担当の事故物件は、とつぜん一泊したいと申し込む人もけっこういるとのことで、電気ガス水道はたいがい使えるようになっている。

 ここは助かる。


 モップバケツをお風呂場に持ちこみ、蛇口をひねり水を出す。

 ときどき真っ赤で鉄くさい水が出ることがあるが、華沢さんに知らせたら「だいじょうぶです、害はありません」とのことなので、安心して使っている。

 やはり排水管にサビでもあるのだろうか。


 たたみ部屋の掃き出し窓も拭かなきゃと思い、窓を見る。


 

 作業着姿のの男性が、ガラスにべったりと貼りつき室内をのぞいていた。



「えっ……」

 香南子はおどろいて目を丸くした。

 不動産からは空き部屋と聞いていたのだが、住人がいたのか。

 クレセント錠が壊れたかなにかで中に入れなくなったのか。


「だっ、だいじょうぶですか?!」


 あわてて窓ぎわにかけより、掃き出し窓を開ける。

 御札のような長細い紙が貼りつけてあったのに気づいた。開けるときに破れてしまったが、怒られるかな。


 男性が、ニタァと笑いながら会釈した。

 香南子も会釈を返す。


 男性はまるでゾンビのような前かがみの体勢で入室した。

 よほど疲れていたのかなと香南子は思った。ベランダには長時間いたのか。


 窓のほうを見る。



 ベランダはなかった。



 窓の外にあるのは、物干しさおだけだ。

「えっ? えっ? どこかに足をかけて踏んばってたんですか?! それとも物干しざおにぶら下がって?!」

 香南子は男性にかけよった。

「だっ、だいじょうぶですか?!」

 そりゃ疲れると納得する。

 足もとをみると、くつしたのみだ。靴は履いていない。

 やはりここの住人だったんだと思う。



「すみませぇん。不動産屋さんからは空き部屋って聞いてたんですけど。――あ、わたし清掃会社の者で」

「ありがとね……」



 男性がこちらを横目で見て、ふたたびニタァと笑う。

 手や腹部にベタベタと赤い汁がついている。トマト料理でもつくっていたのかなと思う。

「いえ、どういたしまして」

 香南子は笑いかけた。


 男性が赤い血糊のあるあたりで上体をかがませ、包丁をひろう。


 あんなところに包丁あったっけと香南子は思った。

 とりあえず自分のもちものではないが。


「お姉ちゃん、ありがとね……」

「いえ、こちらこそすみません。も一回不動産屋さんに確認してきますけど、よかったらそこの血糊……あ、トマトの汁ですか? お掃除しますか?」


 キャンセルになりかねないお仕事を、意地でもぶん取る。

 これでちょっとボーナス上がったりするかな。

「んじゃやってもらおうかな……」

 男性が言う。

「はいっ」

 香南子が返事をするが早いか、男性が香南子の頭上めがけて包丁をふり上げる。

「え」

 香南子は目を丸くした。

 玄関口から、バァンと大きな音がする。

 


「覚悟しなさい、悪霊! この華沢 (そら)の一番弟子、鮎川 詩織(あゆかわ しおり)が相手だ!」



 とうとつに玄関のドアが乱暴に開き、巫女姿のわかい女性が乱入する。

 三和土(たたき)草履(ぞうり)をぬぎ、水場をとおってズカズカとこちらに歩みよった。

 こわきに抱えた塩をたたみの上に置き、祓串(はらいぐし)をバサバサとふる。


「もうだいじょうぶよ、あなた。悪霊はどこ? 引きずりだしてやる」


 詩織(しおり)と名乗った巫女姿の女性が室内を見回す。

「えっと、わたしも連絡の間違いでご迷惑かけちゃったんですけど、ここ住人のかたがいます」

 男性を手で指す。

 地鎮祭でもやるのかな。そういう人も頼むんだ、と香南子は思った。


 詩織がこちらを見る。

 すぐに天井のほうを見上げた。

 

「ここに()む悪霊のことね。安心して。わたしが来たからにはもうだいじょうぶ」

「いえ、生きたかた。ここいますけど」


 香南子は男性を指さした。

 男性がニタニタと笑って詩織のほうに歩みよる。

 こんどは詩織の頭上に包丁をふり上げた。

「あの、こちらの巫女さんにはわたしが説明しますのでトマト料理つづけてください。ほんとすみません」

 香南子は男性の背後に向けてそう告げた。


「トマト料理?」

 詩織がこちらを振り向く。

 

「トマト料理つくってた最中みたいです、ここのかた。――ほら、ここにもトマトの汁が飛び散っちゃったみたいで」

 香南子は、たたみの上に広がる血糊のような赤い液体を指さした。

 詩織が不可解そうに目をすがめる。

「……トマトなんてないけど」

「トマトじゃないんですか? お魚料理とかでした?」

 香南子は男性に尋ねた。



「香南子さん」



 掃き出し窓がカラカラと開く。


 ここのアパートを管理している華沢不動産の事故物件担当、華沢 空だ。

 いつもの黒いスーツ姿で窓の外から屋内に入る。

「華沢さん」

 たしか掃き出し窓の外には、ベランダはなかったはず。

 どうやってそこにいたんだろ、すごい運動神経と香南子は思った。

「……ああ、やっぱり御札はがれてた」

 不動産屋が窓ガラスを見る。

「す、すみませんっ。窓開けるときやぶっちゃって」

「ああ、いいです。ここの霊はさすがに住人のかたには危険なので外に出ていただいていたんですが」

 不動産屋が包丁を持った男性を見る。

 にっこりと笑った。



「獲物、ここから逃げましたよ。きれいな女のかた」



 不動産屋が窓の外を指さす。

 包丁を持った男性は、窓に突進した。

 そのまま窓の外に出る。

 すかさず不動産屋が窓ガラスを閉めて、ポケットから出した新しい御札を貼り直した。

「御札、いつも持ってるんですか?」

 香南子は問うた。

「いえ、いま急いで神社へ行って」

 不動産屋がほほえむ。 



「え……? もう浄霊終了しちゃったんですか……?」



 巫女姿の女性、詩織が祓串を手にぼうぜんと不動産屋を見る。

「追い出しただけなので除霊ですね」

 不動産屋が答えた。


「そんな……わたしは霊がどこにいるのかすらまだ感知していなかったのに……」


 詩織がつぶやく。

 幽霊なんていないのに華沢さんの怪談話に合わせてあげるなんて優しい人だなと香南子は思った。

「修行し直してきます……」

 詩織がとぼとぼと玄関口に行き、三和土で草履をはいて出ていく。


「あれ? 住人のかたどこに行きました?」

 香南子は室内を見回した。




 終






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