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 学校帰りにスーパーで買い物し、葉月はエコバッグを片手にアパートの階段を昇った。

 玄関の鍵を開けながら、中にいる湊子に声を掛けようとした。

 そのときだった。

「ちょっと聞きにくいんですが……」

 いつ近付いて来たのか、不意に男性に声をかけられた。

 驚いて、葉月は少々大袈裟な仕草で振り向いた。

 年齢は三十歳前後。

 クールビズの格好が板に付いてる感じだ。会社員か何かだろうか。

「ここの部屋の方ですか?」

 男性は言った。

 暫く顔を眺めてから、雨の日にいつもアパートの前にいる男性に似ていると葉月は気付いた。

「だから? 何です?」

 警戒心を露にして葉月は言った。

 いえあの、と男性は口籠った。

 おとなしくて誠実そうな雰囲気には見えるが、そう見えるのが全て良い人な訳はない。

「なに?」

 鋭い口調で葉月は先を促した。

「この部屋に、若い女性の霊が出ると聞いたんですが……」

「湊子ちゃんに何の用?」

 葉月は声を張り、男性を正面から見据えた。

「あの……その幽霊は、二十年前の洪水で亡くなった女性(ひと)ですか?」

「だから何? 湊子ちゃんは、それでも一生懸命生きてんのよ」

 いや生きてないって。葉月はつい脳内でセルフ突っ込みをした。

 男性は、言いにくそうに俯いた。

「あの……お礼を。それとお詫びかな」

「は?」

「その洪水のときに、その方に助けて貰った子供です。当時十歳で」

 男性は言った。

「だいぶ後になって、その方が洪水で亡くなったと聞いて、僕を助けたせいかなとか思って」

 葉月は目を見開いて男性を見た。

「旦那さんとここに住んでた人だったと分かって、いつも通るたび気にして見てたんです。特に、洪水の時と同じ雨の日なんか出やすいのかなとか思って」

「……旦那さん?」

「あの」

 玄関扉が開き、湊子が顔を出した。

「立ち話も何ですから、中でお茶でも」

「いえ、今は、その……こちらの方の独り暮らしの部屋みたいですし」

 男性は葉月を指した。

「あのときのボクだったのね」

 湊子はにっこりと笑った。

「大きくなったねえ」

 湊子ちゃん、親戚の叔母さんみたいと葉月は思った。

「僕を助けて逃げ遅れたのかなとか、ずっと思っていて」

「違うよ」

 湊子は手を左右に振り否定した。

「そのずっと後よ。夫を探しに行って、川と道の区別が付かなくて、流されちゃった」

 湊子は言った。

「近所の人に助け出されたんだけど、救急車が中々来られなくて。運ばれたこの部屋で」

「そうですか」

 男性は複雑な感じに顔を綻ばせた。

「あの時は、ありがとうございました」

 そう声を張り、男性は深々と礼をした。

 一度顔を上げ、小さく会釈してアパートの通路を去って行った。

 男性を見送ったあと、葉月はくるりと湊子の方に向き直った。

「湊子ちゃん、結婚してたの?」

「してたけど」

「何で言わなかったの?」

 何か隠し事をされていたような気分で葉月は言った。

「聞かなかったし」

 そう言ってから、湊子は苦笑いした。

「まだ見つかってなくて。夫の遺体」

 葉月は湊子の顔をじっと見た。

 だから成仏出来なくてここにいたのかなと思った。

 そんな悲しいことを抱えながら、自分の夕飯を作ってくれたり洗濯物を畳んでくれたり、昼間に部屋の掃除してくれたり、麦茶を作って冷やしておいてくれたり、お布団干してくれてたり、お風呂を沸かしてくれたり、靴下をちゃんと揃えて用意してくれたりしてたのかと葉月は思った。

 改めて考えると、自分の家事の出来なさに打ちのめされるが、ともかく。

 葉月は、湊子の方に真っ直ぐに向き直った。

「湊子ちゃん、そういうことは早く言いなよ。あたし、湊子ちゃんの旦那さんの遺体探すの協力する」

 葉月は言った。

「ネットとかも使って調べたら、何か分かるかもしれないし」

「でも葉月ちゃん、そろそろ就職活動しなきゃならないでしょ」

 湊子は心配そうに言った。

 うっと葉月は言葉に詰まった。

「就活終わったら、調べてあげるっ」

「葉月ちゃん、就職は地元でするんじゃなかったっけ」

 湊子は言った。

 ううっと葉月は呻いた。

「商店やってる伯父さんのコネがあるとかって」

「こっちでする」

 葉月は湊子の両手を取った。

「不動産屋さんが今日来たら、契約延長したいって言うからね」

 葉月は言った。

 不意に都合の良いことを思い付き、顔をへらっと弛緩させた。

「その代わり、就職してからも家事やって」

 えへ、と葉月は笑った。

「葉月ちゃん……」

 湊子は呆れたように言った。

 コンロの上では、今日の夕飯の料理がグツグツと音を立てていた。



 終





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