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⑺『残像の行く先』ー列挙ー
⑺『残像の行く先』ー列挙ー
㈠
観念的感性の上において、所謂、芸術至上主義の魂が、闇夜を放浪する場合、残像はそっと寄り添って、我々に感銘を与えるのである。しかしどうだろう、その残像が、真の物かどうかは、我々には分からないだろう、きっと神以外には。
㈡
それでも、残像が言葉である時、我々には、傍に居るかどうかの、判別がつくのである。言葉の問題、これは非常に重要で、或る場合には、音や映像よりも、言葉のみの感覚が、人生すら変容させてしまうことが、多々あるのだと、思っていて間違いないだろう。
㈢
それは、つまり、刹那の判別であって、研ぎ澄まされた感性が、感覚に痛切に響くのである。或いは、それは、感覚を超えた、全神経だと言っても良い。ただ、それは、幸福なことだろうか、不幸なことだろうか、それは、体感者にも分かるまい、きっと、残像本体以外には、という残像の列挙を、残しておく。