実家と風車
ヘイズヘルヘブンのメルといえば、それなりに有名な風車修理屋だ。腕が飛びぬけていいわけでなければ、誰もやりたがらない危険な場所の修理を好んでするようなこともない、壊れた錬金術を魔法のように直すようなこともできないし、見たこともない風車の解体ができるわけでもない。ただ仕事が速いのだ。早ければこなした数が増える、増えれば信頼が生まれる。そうして名実共に、彼女は優秀な修理工の1人に名を連ねるようになった。
けれど、彼女の後輩は人間なので錬金術はいじれず作業は人並み、いや少し遅いぐらいだ、さらに高所恐怖症という最悪のおまけもついていた。
メルはたまに後輩が足を引っ張っているのではないのか、と問われることがある。
彼女はきまってそんなとき、笑ってこういうのだ。
――アンタよりは使えるよ。
リグと組む前に組んでいた、修理工はどこにいったのだと、問われることもある。
メルがその問いに答えたためしはない。
誰よりも風車の事を良く知った、天才技師がいたことを思い出す。事故でやめていった彼女は、今何をしているだろう。
アーセル・トリコロル。背が小さく、メルと同じぐらいだった。だからメルは気に入ってよく彼女と組んで仕事をしていた。そして彼女は、メルに見合うだけの技術と知識をもっていた。
そんな相棒といまのリグが見合うのかといわれたら苦笑するほかないかもしれない。
でもメルはいつもリグと仕事をしていた。リグが会社を休まないかぎり例外はない。
「相変わらず、リグちゃんにはあまいねぇ」
「そう?」
「私の時なんて、ほとんど相手にしてくれなかったじゃないかぁ」
「勝手に居なくなったのは、ユズでしょうが」
まとわり付くユズを振り払いながら、メルが言う。
世界最大企業というのは伊達ではない、この庭がすべてを物語っている。土地のないこの世界で、これほどの空間を所有するのに、どれほどの権力と財産が必要だというのだろうか。
「それにしてもひろいねぇ。なんか、不安になるぐらい」
「落ち着かないなこれは……」
2人の言に、メイドのモモが苦笑を返す。
「元は、浮遊艇の基地だったんだそうです。その名残で中央を走る道は、圧縮木材じゃなくて軽量金属なんですよ。滑走路なんだそうです。お屋敷の先にも伸びています、ほら」
モモが指し示す道の先、門を貫いて続く道はすぐに別の家に突き当たる。だが、たしかにその道は他の圧縮木材の床とは質感がまったく違っていた。
「てことは、管理者の」
「ええ、払い下げのようなものです」
ふっとメルが顔をあげた。
「あ、戻ってきた」
彼女の言葉にみなが顔を上げる。
余所行きのフリルのあるスカートから、落ち着いたスカートに上着も随分と動きやすそうなものにかわっている。私服などほとんど眼にしないだけに、お嬢様からそのあたりを歩いていそうな若者的服装になっていて、メルもユズも眼をしばたたかせた。しかもすべてベルフレア系列のブランドで綺麗にまとまっている。
「えーと、確かベルフリ……なんだっけか。まぁいいっか」
「ペイフリールですよ先輩。ちょうどサイズが合うのあったんで勝手にもってきました。いいでしょ~」
そういって、くるりと背後を向けて肩越しに振り返るリグ。
「私はツナギで十分だよ。うんと頑丈で動きやすけりゃ言うことないね」
「似合ってるよぉリグちゃん。育ちがいいと、やっぱりセンスもよくなるのかねぇ、うひひ」
ユズがメルを見ながら笑う。
何も答えずメルは鼻息も荒くお茶をすすった。
メルの反応にユズは苦笑。あんなことをいっていながら、メルだって私服はちゃんと持っている事をユズはしっている。しかもペイフリールほどではないが、たしかそれなりにちゃんとしたブランド物だったはずだ。
「ささ、お嬢様も。あ、お菓子もってきますね」
「あ、いいよ~お構いなくねぇ」
「そうそう、そんな事の為にお邪魔しにきたんじゃないの」
ユズとメルの言葉に首を傾げたのはリグだ。出されたものは病気以外なら喜んでもらうような2人が、笑いながらお菓子を断った。
「え? 私の後を付けて実家がどんなところか見に来たとか、そういうんじゃないんですか?」
「う」
「うひひひ、ズバリだけど」
「大体、先輩も実家帰るとかいってませんでした?」
ずいと、近づいてくるリグにたじろぎ一歩下がるメル。
「あー。そんな事もあったかな?」
「わたしゃ覚えてないねぇ。あったっけねぇ? って別にそれはいいとして。実家暴きだったら、別に家に入ってくる必要はなかったわけでゴザル」
耳をぴくぴく動かしながら、ユズが笑った。人型のもののけが珍しいのか単に獣の耳が生えているのが珍しいのか、モモの視線が面白いぐらいユズの耳と尻尾にそそがれている。
「つまり、お茶をもらいにきたわけですね」
「……たまにリグちゃんは怖い時があるよねぇ~」
「自覚ないからそっとしときな。アレだよ、アレ」
言わずもがなである。メルの視線は先ほどからずっとそこを見ていた。
庭の片側を埋めるように、聳え立つ山のごとき雄大なシルエットがそこにある。全長は20mは超えているだろうか。羽は5m近くもあり、羽音は随分と重かった。支柱は3又に分かれていて、緩やかにカーブを描いている。
「綺麗な風車だねぇ。なんヘッドぐらいあるの?」
「8000ヘッドぐらいだと聞いてます。理論値で10000ヘッドぐらいだと奥様がおっしゃっておりました」
モモが答える。10もあれば普通の家の1軒は十分まかなえる。電化されたものが多い家でも30ヘッドは越えない。学校や工場になれば、最大で8000ヘッドぐらいだろうか。大量に電気を使う大工場だって20000強ぐらいだ。20000といえば小さな工場区がある街1つまかなえる発電量だといえる。
「な……」
「たった5m羽で8000? いいとこ2000でしょ」
普通家屋に使われる風車は、2、3mのものか1m羽の風車を2機というのが常識だ。1mで大体20から30ヘッド。
3m羽の高効率風車でも200ヘッドだ。現存する十m羽の巨大風車は、10000ヘッドを記録している。無論それは家屋用ではないので発電機も巨大なものだ。
「ハイ。3又に分かれた軸を、3つ同時に起電陣へ送ることで、とかなんとか」
見上げた先、発電量だけでいえば、街1つを支えられる風車が回っている。ちょうど日が中天にささしかかり上空にある町にかかってあたりが薄暗くなりはじめた。影が迫り、一瞬にしてあたりを包んだ。
かすかに、ほんのかすかにだが辺りの温度がさがる。常時風の吹く街では、日が照らなければ温度は風と一緒にすべてもっていかれるのだ。
風と風車が立てる風きり音だけが辺りに聞こえる。
はずだった。最初に気が付いたのはメル。続いてモモが顔を上げる。
「聞こえた?」
「う~ん……」
「あの、何か変な音しませんか?」
「お、聞こえたよ~ん。大きくなってるねぇ。あ、やばい」
ユズの言葉と同時だった。
風車が歯車を噛みはずす音が誰の耳にも届いた。金属破断のように容赦のない、何かが弾けたような音だ。
「! 歯車が」
跳ね上がるようにリグが席を立つ。
「噛み合ってないね。外れてる。3本支柱があるから、回転だけじゃわからなかったんだ。多分ずっと外れてる」
「奥様が風車は壊れていると……でもこんな音」
「さて、私たちはお茶をしにきたわけじゃなくて」
「そうそう~」
「風車を直しに来たの。料金は、通常通りにしておくよぉ~。時間は、今丁度お昼だから、日が落ちるまで、かなぁ」
「し、しかし。あの風車は……」
最初から壊れていた。この家の庭に設置されたときには、もう発電量は200ヘッドぐらいしか出ず、ただ大きいだけの風車だった。屋敷の主であるグロウズ・グリーフベルアは不良品はいらないといって取り壊そうとしたが、かたくなにこの風車の設計者であり彼の妻がそれを拒んだのだ。
この風車は、彼女の娘。つまるところリグをイメージした風車だ。直接、デザインした本人に聞いたわけではないがモモはしっている。だから彼女は取り壊すこともせず、壊れたままの試作品をこの家に移設させたのだ。大きい背と、のんびり回る羽、ちょっとしたことで壊れてしまう繊細さまでそっくり。何も言わないが、夫のグロウズもまたその事を知ってか知らずか、何度も強く取り壊せとは言わなかった。
設計そのものから見直された後継機は既にこの形を捨てている、目の前にある風車は、まさに世界で1つの風車になっていた。直るはずはない。
ベルフレアの技師たちが心血注いでも脆弱性を打破することはできなかったのだから。
もし、仮に直ったとしてもすぐに壊れるだろう。
でも、それでも、モモはもしかしたらという可能性を捨て切れなかった。
「あの」
「先輩、私もやります」
「当たり前だ。工具もっておいで」
メルの言葉に、家へ走り出すリグ。その背中を目で追いながらモモがつぶやいた。
「直り、ますか?」
「少なくても、そのために来たから。やらせてもらえる?」
「お願いします。もうあのタイプの風車はどこにも、ないんです。試作で失敗だと……」
「わかった。任せて」
大きくてのんびりと風を受けて回る風車をまぶしそうに目を細めて見上げている。
まったく、繊細なところまで似せなくてもいいのに。そんなことをつぶやいて、メルは歩き出した。
■
なぜ自分はこんなことをしているのだろうか。手が震え、ひざが笑い思考がまとまらない。ただ、どうしてという疑問と高い所に対する恐怖で頭はいっぱいだった。
リグは、風車の上にいた。視界には空しか見えない、まさにここは高所だった。
そこに、にゅっとメルの顔が現れる。
「せせせせせせせせん」
恐怖に唇がうまく開かないリグ。
「しっかり。錬金術でむやみやたらに強化されてるから、私がいじったら他の錬金術を壊しちゃう。ユズも同じ。あんたがやるしかないの」
外装からみただけでも、既に幾重にも錬金術が起動していた。軽量、加重、湾曲、剛直、硬化、軟化、摩擦増加減少。簡単にわかるだけでも8。ボックスの中には確実に、それだけではすまない錬金術が起動しているだろう。見たところ、3角錐に収まっている縦回転の風車はこの錬金術の動力に使われている。補助とはいえそれなりに大きい3枚羽がほとんどこの錬金術のためだというのなら、どれほどの術が起動しているというのだろうか。
――あの大きさであのトルクなら、間違いなく20ヘッド前後。確実に10から15は錬金術が起動してる。
さすがにその量の錬金術を避けながら、修理をすることは錬金術師でも無理だ。溶接されたボルトを壊さずはずして元に戻せとわれてるようなものだ。
「でででででででで」
「でもじゃない。機械系はアンタの担当でしょう」
たとえ高所恐怖症でもリグにしか、いまこの風車は直せない。それはリグ本人にもわかっていた。
「だだだだ」
「だってもへちまもない。ほら、しっかり。外装開けるよ。あとは1人でやるんだから、ちゃんとして」
「せせせせせ」
「私は起電陣のほう。とりあえずこのボックスの中みて方針きめないとね」
ギアボックスに張り付いてる2人の会話は、下で見上げているユズとモモにも聞こえていた。
「アレで会話できるのは、1種の才能だよねぇ」
「お嬢様……」
リグの醜態に、モモは顔を両手で覆った。耳まで真っ赤にして俯いても、リグの泣き言はとどまる事を知らなかった。
ギアボックスのなかは、見たこともない構造だった。外側の流麗とした美しいフォルムとはうってかわって、生き物の内臓のように無駄な場所ないと言わんばかりのすし詰め状態で歯車と軸が入り乱れている。
「わかる?」
「え、あ。はい。大丈夫です、たぶん。ちょっとよくわからない機構がありますけど」
ギアボックスを貫く主軸には、いくつものギアが張り付いている。駆動系がどこからきてるのかは、メルでもなんとかわかった。中央の主軸から3本の支柱すべてに動力を伝達するために逆傘のような形をしたギアが回っていた。角度をつけた傘に合わせて3つのギアが遊星ギアのように周りをまわっている。
「すごい。この風車、首ふれますよ。風の方向なんて変わらないのに……」
接続がその傘からでる3本の支柱だけだ、任意の方向に回すぐらいはわけもないだろう。それが役に立つことなどあるか不明だが。
「ベヘルギアなんて珍しいね。直せる?」
「大丈夫です、3つの支軸をまとめる外郭ギアが外れてるだけみたいですから。でもこれ……」
「また外れるね」
ベヘルギアの周りを回っているのは3つの支軸につながる3つのギアだ。そしてそのギアを取りまとめるのは、外側から縛り付けるような外郭ギア。
内側にのみ歯のついたリング状のギアである。
3つの支軸は動きが制限され、さらに錬金術で同期を取られていた。完璧に同じ動きをする軸たち。それは、かすかなギアの差をゆっくりと溜め込み、そして最終的には剥がれ落ちる。
外郭ギアは、既に支軸のギア部分ではなく軸のあたりまでずり落ちて用をなしていないし、1つ外れた支軸はベヘルギアに接続されてないにもかかわらず回り続けていた。
「外郭ギアと、支軸ギアに遊びを作って……支軸をとめてベヘルギアにもどして……外郭ギアをはめなおせば」
リグはぶつぶつと目の前の構造物を凝視しながらつぶやく。問題は完全停止ができないことだ。5m羽を止めるとなると、それなりに機材が必要になるが今ここにあるわけもない。また、これだけの巨大な羽を支える軸に、羽だけを回して軸を止めるような機構はない。
「起電陣にいって、支軸を同期させている錬金術をちょっと止めて来るから。その隙にはめなおして」
「え? あ、はい。でも、先輩発電室は……」
先日、発電室でうずくまり、震えていたメルを思い出す。
「アンタも上でがんばりなさい」
それだけいって、メルはするりとギアボックスから出て行った。手を握る。少しだけ震えがおさまっていた。
よく見ればギアそのものは自己修復していて歯の欠けすらない。はめなおせは正しく動くのは間違いないだろう。だがそれらが完璧なほど同じではない、かすかなずれは存在しつづけたままだ。このずれはいつしか同じ故障を招く誤差である。
自己修復錬金術というのは、特に珍しい錬金術ではない。回復速度は遅いが、確実に最初に設定した形に戻ろうとする。
――つまり。
常に削れ続ければいい。現在完璧にちかい構造で回っているベヘルギアと3つの支軸に遊びがあればギアはずれを溜め込むこともなくなる。最終的に外郭ギアをはずしてしまうようなひずみがおきないなら、十分。
完璧ではだめなのだ。空回りしている外れた軸に触れる。ひんやりとした感触の向こう、歯の形をおぼろげながらに想像する。
聞こえるのは歯車があげる声と、風の音。切断用の板ヤスリを取り出して、歯の1つに突きこむ。自己修復金属独特の、少し粘性を帯びた感触が手にかえってきた。
歯の角が擦れ合わないように丁寧にに磨かれた角を、あえて鋭角に。切断用のブレード相手ではさすがにギアの歯は簡単に削れていく。丁寧に、形を確認しながら、リグはギアを削っていく。
一通りの整形が終わり、残るはギアをはめ直すだけとなった。リグは振り返り、ギアボックスの下にいるメルに声を――
空はどこまでも遠くて、まるで支えなんてどこにも無くて。霞かかった上方の街は、今も静かにリグを見下ろしている。
雲ひとつない空に、太陽が一人ぼっちで浮かんでいた。
胸を締め付けられるような恐怖。体中が落下の恐怖にすくみあがり、意識は瞬時に真っ白に染まった。
「う……あ」
思わず体の力が抜ける。硬い音が響く。置き方がまずかったのか、ボケて手ではじいてしまったのか、板ヤスリがギアに飲み込まれそうになっていた。しかも、手を伸ばしても届かない狭い場所へ。リグの反応は正確だったし最速だった。恐怖なんてものは、一瞬で吹き飛んでいた。
ワイヤーブレーキと呼ばれる軸を強制的に止める道具を取り出す。
1秒。
ワイヤーを引き出し、ためらいも無く主軸に撒きつける。
2秒。
主軸が人間の腕力で止まるわけが無い。
3秒。
軸と一緒に回ろうとするブレーキと必死で引っ張る。
「っく……」
―――重たい。
3つに支軸がわかれているからといって、かかる力が3分の1になるわけではない。そもそもギア比から考えても、到底人間が支えきれる重量ではない。
けれど3つのうち1つは動いておらず、残りは2つ。しかも、1つ分の軸と同期をとるために動力を削られている。
それはかすかな隙だ。ギア同士の遊びと軸の柔軟さから導き出された猶予は、まさに十数秒という微かな時間。
だが、転がり込もうとするヤスリをはじくため、狭い場所をいじるための長細いレンチを拾い上げ、隙間に差し込む。正確によどみなく。弾く。恐怖が向こう側から近づいてくる。飲まれれば、もう体はすくんで動かなくなる事を嫌というほど知っている。
転がりでたヤスリは、勢いを緩めずそのままギアボックスから落ちて行った。
「落下ぁ!」
物が落ちたとき、下の人間に喚起する言葉に主語も理由も、状況もいらない。ただ落ちてしまった事実が落下物より早く伝わればそれでいい。
言い訳も、説明もない言葉に下で見上げていたモモが不思議そうに目を丸くする。
だが修理工であるメルとユズの反応は早い。地面に置いていた工具を一瞬でつかみあげると、ユズが跳ねるように風車から離れる。一拍おいてメルがモモを抱えて飛び退った。
■
瞬き1回分。振り返ったユズの視界に板ヤスリが床へ勢い良く突き刺さった。
「うわ、こわ」
金属が重たい音を立てて震えている。
「こらぁぁぁぁ! リグぅぅぅぅ!」
一拍おいて、遠くリグのごめんなさいという泣き声。
そして続けざま、
「きゃあああ!」
叫び声があがった。
「ユズ、お願い」
何かがあったのは確実だ。一瞬、メルは体が硬直するのを感じる。背筋にながれたのは冷や汗か悪寒か。駆け上がっていくユズの背中を眺めながら、メルは唇を噛みしめる。
似ていたのだ。昔事故にあった後輩の叫び声に。
ちょうど、リグとおなじような叫び声だった。助けを呼ぶような、自責するような叫び。
後輩は、歯車に取り込まれそうになった欠片を取り除こうとして事故にあった。正確なことは誰もわからない、ただ彼女のツナギが歯車に巻き込まれたのは確かだった。
千理眼と呼ばれる右眼球に埋め込まれた錬金術が、ギアボックスの様子を無理やり脳みそに送りつけてくる。袖を引き込まれ、必死で引き抜こうとしている後輩の姿。声は聞こえない。悲鳴も届いては来ない。それが尚更恐怖だった。
弾かれるようにメルは、風車を発電室から止めようとして、起電陣の動板につかみかかる。
ギアボックスへ助けにいく時間が惜しかったのだ。いまでもその判断が正しかったのか、メルにはわからない。いや、その判断はきっと間違っていた。
どうしようもなく、間違えだった。
両腕が痺れるような痒みを覚え、ふと現実に意識が戻る。
「メル様、お嬢様は……」
幼い――といっても20歳ぐらいなのだけれど――耳長族の少女が、心配そうにメルを見上げていた。
「大丈夫」
ただそういって、上っていくユズをみる。ギアボックスを覗き込んだユズが、はじかれたようにこちらを見下ろすのが見えた。
「メイル! ブレーキ外れない! 同期陣をとめて!」
返事はなかった。まるであのときの繰り返しじゃないか。そんな自責みたいな言葉を誰かが頭の裏でつぶやいている。
いや、違う。
――ちょと手順が早まっただけだ。問題なんかない。
言い聞かせる。誰に何を言い聞かせてるのか、それすらわからないけれど。
大丈夫だと、誰かが誰かにいっていた。まるで大丈夫じゃないことを、見ないように知らない振りをするように必死になって大丈夫だ大丈夫だと叫び続けている。
「ユズ、急いで! こっち」
メルの叫び声に、ユズが風車を駆けのぼりはじめる。
時間はない。それだけはよく知っている。
申し訳ありませんが、明日より「日、火、木」の週3更新とさせていただきます。
更新時間については変更ありません。